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◆迷闇の門(9)


翌日、ウィルフレドは軍の本営にある工務科の一室に来ていた。工事関係の仕事を受けるためだ。
フリーの青将軍であるウィルフレドは上官がいないため、仕事を回してもらえない。そのために出撃の仕事がないときは工事関係の仕事を受けながら金を稼がねばならない。仕事をせねば部下への賃金が払えなくなるためだ。軍を維持するのは楽ではないのである。
そこでウィルフレドはアスターに会った。彼はよくここに出入りしているのか、文官相手に何やら世間話をしていたが、ウィルフレドに気付くと挨拶してくれた。
コーヒーを奢ってくれるというので一緒に本営の一角にある喫茶店で向かい合わせに座る。
そうして世間話をしていたのだが、どうしても家にいるリーチのことが頭に引っかかっていて話に集中できなかった。

「あ〜〜っ……」
「何ですか、一体……」

いきなり呻いたウィルフレドにアスターが呆れ顔になる。

「なぁアスター将軍。これはあくまでもたとえ話なんだが……」
「はい」
「惚れた相手に抱いてもらえなかったらどう思う?」
「はあ?いきなりそっちの話になるとは思いませんでしたよ。カーク様じゃあるまいし、心の準備をさせてくださいよ」
「カークはどうも間違っていたんじゃないかと思う。どうも違った感じというか……」
「なんスか、それは。話が飛ぶな〜。カーク様が普通の人と違った感性をお持ちなのは有名じゃありませんか」
「う、それはそうなんだが……あー、やっぱり間違ってたのか、俺は」

カークに相談したのが間違っていたのだろうか。
わざわざ性教育まで学んできたというのに。

「う〜ん、よくわからないけど、脈なしだって思うんじゃないですか?」

何とも一般的な意見だ。
しかし、当たり前かとも思う。
そして屈強な男揃いの軍人の中でも長身のアスターだ。抱かれる側ではないだろうから質問相手を間違ったとも言える。当人もよくわからないと言っているではないか。経験がないのだろう。

「ううん……」
「失敗したと思うなら謝ったらどうッスか?」
「い、いや、失敗したわけじゃ……」

むしろ成功したのではないだろうか。カークに教わったとおり、『我慢の練習』は成功したのだから。
そうは思うが、どうにも間違ったような気がしてならないのはリーチがとても悲しげにしてからだ。悲しげというか落ち込んでいたというべきか。気の強いリーチがずっと泣いていて心が痛んだ。

「さきほど、やっぱり間違ってたのかっておっしゃっていたじゃないですか。あぁもしかしてフラれた方なんですか?それは失礼を……」
「いや、フラれたわけじゃないんだが!」
「じゃあフった側なんですか」
「いや、それも違うというか」
「え?抱かなかったんでしょう?」
「いや、抱いた」

道具でだが。

「ええ?じゃあ何で俺にあんなこと聞いたんですか、アンタは」
「う………」

リーチに何度も抱けと言われたからだ。
あれは体で抱けと言われたのだ。さすがにそれぐらいのことにはウィルフレドも気付いた。
しかしさすがにアスターに対して「道具で抱いたんだ」などとは告白できないウィルフレドである。見るからに常識人の相手に道具云々の話は反応が怖くてできない。
この話でさえギリギリだろうと思うぐらいだ。

「謝るのが一番だと思いますよ」
「何で俺が悪いと思ってるんだ」
「そんなの貴方の態度を見てたら判りますよ。悪いことをしたと思っているから落ち込んでいるんでしょう?後ろめたいことがなかったら堂々としていればいいだけじゃないですか。きっちり謝ってくるのが一番ですよ」

シンプルだが判りやすい意見にウィルフレドは黙り込んだ。
後ろめたくて落ち込んでいるように見える……なるほど、他人から見ればそう見えるのかと思ったためである。
そしてアスターの意見は的を得ていた。確かに今のウィルフレドは昨夜の己を後悔している。リーチに悪いことをしたと思っているのだ。

(慣れないことはするもんじゃないな……)

カークに無理をして躾の方法など教わるのではなかった。
あれほど悲しげな顔をされるぐらいなら、リーチの誘いが鬱陶しくても誠実に対応する普段のやり方の方がよかった。
また道具かと嫌みを言いながらも積極的に求めてくる普段のリーチの方がずっとよかった。

「そうだな、謝ることにするよ」

それがいいですよと頷くアスターはケーキ食べませんか、コーヒーのおかわりもありますよとメニューを押しつけてくる。彼なりの励ましなのだろうか。

「さっき、どちらも平らげただろうが。何個食わせる気だ、お前」

好意はありがたいが、もう十分だとメニューを押し返すウィルフレドであった。