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◆迷闇の門(3)


王宮は警備が堅い。そのため簡単には入れない。青将軍であってもだ。
しかし、今回はカークからの紹介状がある。加えてレンディに依頼されている件で動いている旨を伝えると、あっさりと通してもらえた。
そうしてエルネストがいるという場所へ王宮仕えの官に案内されたウィルフレドは思いがけない場所へと連れてこられた。エルネストがいる場所に案内してもらったのだがそこがとんでもない場所だったのだ。
王宮とは思えない風景が目の前に広がっている。
王宮らしく塵一つ無い美しい通路を延々と歩いてたどり着いた場所は、牢がずらりと並んでいた。

(なんだ、これは……)

手足といった体の一部が欠けた奴隷の数々。
服を着ている者もいるが、全裸の者も少なくない。そんな奴隷たちが複数、牢の中で呻いていた。
そしてそこにいたエルネストは淡い色の柔らかそうな金髪と褐色の瞳を持つ学者のような雰囲気の男であった。年齢は二十代後半だろうか。外見的にはとても性奴隷専門の調教師には見えなかった。
彼は紹介状を読んだ後、思案顔になった。

「例の男ですか。レンディにも相談を受けていますので存じております」
「何とかしてやれないだろうか」
「気が進みませんね。レンディにも申し上げましたが、主に捨てられた性奴隷の末路は死あるのみ。まして敵国にいる貴族の奴隷では生かすのは無意味です」
「だが彼はまだ生きている。レンディ様にも死なせるなと言われているんだ。どうにかしてやれないのか?そもそも、何故殺すんだ。死あるのみとはあんまりだろう」

エルネストはちらりとウィルフレドを見遣った。

「あなたは性奴隷についてどのぐらいご存じですか?」
「全く知らない。今回レンディ様に命じられるまで見たこともなかった」
「そうですか……。確かに貴方はごく真っ当な精神の持ち主のようだ。相変わらずレンディの好みは判りやすい。まぁ人は自分にないものを欲するといいますからね、そういうものでしょう」
「え?何だって?」
「いえいえ、褒めているのですよ。さて、それでは性奴隷についてご説明しましょう」
「待て。念のため言っておくが、調教などは実践しないでくれ。俺は他人の性行為を見て楽しむ趣味はないんだ」
「ええ、ご安心下さい。判っておりますよ」
「ありがとう」
「まず、奴隷というのは捕虜出身の者と幼き頃から教育された高級奴隷の二種類に分かれます。どちらも性奴隷としての教育を得た後、高位の方々に売り払われます」
「あぁ……」
「フリッツ殿は今回、前者ですね。捕虜となられて性奴隷教育を受けられました。敵国の者によって、ですが。いずれにせよ、性奴隷はご主人様のためだけに生きるように教育されます。それ以外のことが考えられないように教えを叩き込まれるのです。ご主人様のことだけが命であり、生き甲斐であり、ご主人様を失えばすべてを失うような気持ちになるように教え込まれるのです」
「………」
「腕がいい調教師ほど徹底的に教えを叩き込みます。他のことなど考えられないようにご主人様だけを愛して生きるように叩き込みます。むろん私も。貴方には理解できないかもしれませんね。ですがそれが性奴隷教育なのです」
「確かに理解できないが……その教育を消す方法はないのか?」
「ありませんね。ベタ惚れの相手がいて、『その男は悪い男だ、愛するな』と言われて、『判りました、愛しません』なんて素直に言う者がいますか?一般人でさえいないでしょう。ベタ惚れの相手なのですから。
私は『ベタ惚れ』にするまでが仕事なのです。それもとことん命がけで愛するように教育する役目を担っているのですよ」
「だがそこまで愛しても、相手が愛してくれるとは限らないんじゃないか?フリッツが哀れだ」
「彼は幸せな方ですよ。周りを見なさい」

周囲は牢だ。そして身体に障害を負った者が入っている。
見るも無惨な光景だ。

「捨てられた奴隷たちです。それぞれのご主人様に捨てられ、私の元へ返品されてきました」
「………」
「彼らはこのような状態でもまだご主人様を愛しています」
「!!」
「主に殺してもらえるのはまだマシな方なのですよ。大抵は己の手が汚れるのを嫌い、こうして返品されてきます。奴隷たちは嘆き悲しみながら死を待つのです。すぐに殺されるのは幸せな方で、ほとんどの奴隷はこうして毎日を悲しみ続け、主の元へ戻れる日を夢見ながら衰弱して死んでいくのです」
「……食事などは……」
「もちろん与えていますよ。ろくに食べない者がほとんどですけどね。
彼らが望むなら読書や散歩といった生活もさせられます。私が管理する王宮の一角から出ることだけは許しませんが。主の元へ勝手に戻られると困りますからね。
あいにく、殆どの奴隷は勝手に戻ろうとするのでここから出せないんです」
「だがもっとマシな場所はないのか……こう申してはなんだが……牢の中というのはあんまりじゃないか?」

エスネストは声を潜めた。

「ここは新たな奴隷を求める高貴なる方々が来られる品評所に近い作りなのですよ。品評所も一見したところ、牢のように見える作りになっています。『ご主人様が新たな奴隷を捜しに来られるかもしれない。そのときにまたお会いすることができるかもしれない』という一縷の望みにかけて彼らはここにいるのです」
「だが実際は……」

ウィルフレドは声のトーンを落とした。
恐らくここは品評所に近い作りではあっても品評所ではない。

「ええ。ですが彼らはそのような事実を知る必要ありません」

ここは、主に捨てられた奴隷たちに精神的な望みを与えるためだけに同じ作りにされているのだ。

「彼らの……手足は……」
「むろんそういう趣味の方々に売られて、切断されました」
「!!」
「王の直轄地に私が持つ別荘があります。態度の良い奴隷はそちらで穏やかに余生を過ごすことも出来ます。ごく普通の一般人に近い生活を送れますよ」
「捨てられた奴隷が全員死ぬわけではないのか」
「いえ、9割は死にます。生き残る奴隷はご主人様が先に亡くなった場合がほとんどです」
「先に死ぬ?そんなパターンがあるのか?」
「ご主人様がご高齢だった場合はそうなります。ご高齢でご主人様が先に亡くなられた場合は立ち直れる奴隷が多いですね。病や年齢が理由で亡くなられた場合、奴隷もあらかじめ覚悟をすることができます。そのために精神的に立ち直れる奴隷が多いのですよ」
「……そういうよき主を得ることができたら余生も幸福ということか」
「ええ、そうなります」

ウィルフレドはちらりと牢の中を見た。
欠けた手足を縮めて、床に蹲っている奴隷は現実を放棄したかのように見える。あのような姿になり、主に捨てられながらも、まだ主を愛しているというのか。
そしてそういった存在を作りながらも平然としている目の前の男。
どちらもウィルフレドには理解できない存在だ。

「お前は何故この仕事についている?」
「それは答えねばならないことですか?」
「そうだな、すまん」

ウィルフレドは素直に謝罪した。
目の前の人物が何を思ってこの職に就いているのかは判らない。
だがそれを問うなどということは初対面の相手に対してあまりに踏み込みすぎた質問だ。

(俺も褒められた職ではないからな……)

軍人は戦場で人を殺す職だ。
表向きは『軍人は国を命がけで守る偉い職業』などと宣伝されているが、現実は人殺しだ。
エルネストは捕虜を性奴隷にするが、ウィルフレドは戦場で捕虜を殺す場合もある。生かしておいては危険すぎる捕虜はそうするのだ。
特に敵国の王族貴族が相手の場合は女子供でさえ殺すことが多い。国を復興する引き金になりかねない血を根絶やしにすることで新たな地を安定させるのだ。

「……やはり俺には判らないな……カークに頼むか……」

ため息雑じりに呟くと、エルネストは軽く眉を上げた。

「カークは乗り気ではないでしょう?」
「何故判った?」
「彼は奴隷を好いていないようですからね」
「そうなのか、意外だな。ヤツは似たようなことをやっているだろうに」

カークの趣味は有名だ。高位軍人ならば誰でも知っている。

「違いますよ。彼の周囲にいるのは愛人ですから。そしてカークは強制してはいないはずです。カークは自分を愛するようにし向けますが、ちゃんと自分でも愛人たちを愛しています。心から愛しているのです」
「そうなのか」
「ええ、最初は無理矢理でもその後は絶対に強制はしていないはずです。そもそも彼の愛人たちは監禁されたりはしていませんからね。逃げようと思ったらいつでも逃げられるはずです。別れたいと言ってきた相手にもちゃんと誠実に対応しているようですから。カークはお互いの意思で愛しあっている愛人のみを側に置いているはずです」
「なるほど……だがフリッツの件は協力してもらわないと困る」
「大丈夫ですよ、冷たい仕打ちはしないと思います。カークは奴隷を好んではいませんが、嫌ってはいないはずです」
「そうか?あいつ、最終手段は洗脳という方法があるなんて言っていたぞ」

エルネストは目を見張った。

「カークがそんなことを言ったのですか?」
「あ、あぁ、大嫌いな方法だから絶対協力しないとは言っていたが」

協力しないという言葉にエルネストは納得顔になった。

「それはそうでしょう。彼はその事がきっかけで運命の相手を失ったはずですから」
「運命の相手。あぁ、そういえばあいつは生まれがよかったな……名門のスリーザー家出身か」
「さすがにご存じでしたか。ええ、『豊穣』の相手を失っています。それで心の一部が壊れてしまったのでしょうね」
「心が壊れる?確かにおかしなヤツではあるがそんな風には見えないが」
「そうですか?私には壊れているようにしかみえませんが。ハーレムを作りたいと言い、過剰な愛を求める姿は、失ったものをどうにかして埋めようとしているようにしか私には見えません。運命の相手は特別な存在ですが、『豊穣』の相手ならば尚更でしょう」

エルネストにはエルネストの見方があるようだ。
軍人とは違った視点をウィルフレドは興味深く思ったが、口に出して同意はしなかった。

(何を今更)

軍人は人殺しの職だ。日常的に生と死の境に身を置き、流血も日常茶飯事。
人を殺す職に就いている者が真っ当なはずがない。少なくともウィルフレドはそう思っている。当然自分とて例外ではないと思っている。
傷を負い、痛みに苦しむ者を見ても、それが敵兵ならば平然と刃を振り下ろし、トドメを刺すことが出来る。そんな人間が精神的に真っ当なはずがないのだ。

「運命の相手か。俺にはいないから判らないがそれほどいいものか?」
「例え相性の悪い組み合わせであろうと惹かれあうのを止められない。それが相印だと言いますからね。相印の相手を運命の相手というようになったのは、どうしても惹かれあうからだといいます。その中でも『豊穣』は特に強い結びつきで、精神の一部が絡み合うほどだと言われています。そんな相手を失ったカークも気の毒ですが、相手も生きてはいないでしょうね」
「相手は亡くなられたのか?」
「表向きはそうされていますが、真実はどうなのやら……。名家になればなるほど闇が深い……どうやらお家騒動があったようです。それでカークは家をでています。絶縁まではしていないようですが、後継者の座は放棄したと聞いていますよ」
「なるほど………それで、洗脳という方法はフリッツに効果的なのか?」
「私が調教した者ではありませんからね……何がどう効果的なのかハッキリと申し上げることができません。ですが立ち直らせることができればいいんですよね?」
「あぁ」
「いつかご主人様に会える日が来るかもしれないから、立ち直れと申し上げたらどうです?」
「そんな単純なことでいいのか?」
「実現するかどうかはともかくとして、彼がそう思いこめばいいのですよ。主を愛する性奴隷は単純です。主のことでしか動きません。逆を言えば主のことであれば何でもするのです。非現実的なことであろうと、『会えるかもしれない』と当人がそう思いこめばいいのですよ」