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◆学舎の雫(10)


黒、という服はそれなりにある。
しかし、ロングコートの黒は、軍最高位にある将に憚り、誰も羽織ろうとはしない。少なくともこの国ではそうだ。
背は中背だろう。年齢は20歳前後といったところか。将としては非常に若い。
柔らかな黒髪で目はやや細め。少なくとも容姿的にはずば抜けたところはない。
しかし、黒のロングコートとその体に絡みついた鎖が彼の正体を知らしめている。
鎖を持つ黒将軍が青竜の使い手レンディであることは、この国の者ならば子供ですら知る有名な事実だ。

「坊!……じゃなかった、レンディ、様」
「レンディでいいよ、アスター。助っ人を呼んでいたようだから来てみたんだけれど…」
「まさかレンディが来てくれるとは思わなかった。忙しいところ何か悪いな…」

頭を掻きつつ困ったようにアスターが告げると、レンディはクスッと笑った。
そしてレンディの視線がノースを捕らえたのが見えた。
恐らくレナルドの『霊』越しにノースがいることは聞いていたのだろう。驚く様子は見えない。

「さて、こいつらが無礼な襲撃犯かい?」

縄で捕らえられた男たちを見つつ、冷ややかに笑んだレンディは軽く首をかしげた。
首をかしげる動きと同時にその身に巻き付く鎖が生き物のように動き出し、身を滑り落ちると、瞬く間にその姿を大蛇へと変えていく。
噂に聞く大蛇を間近で見た男たちと、貴族の青年たちが驚愕に身を震わせるのが見えた。

「ま、待て、レンディ、殺すな。こいつらには聞きたいことがあるんだ!」
「黒将軍襲撃はどう転んでも死刑となる。ならばさっさと殺してやるのが慈悲だと思うけど?」
「いや、こいつらの狙いはこちらの貴族の方々だったんだ!!それに何か変な薬を扱っているみたいだからそっちも調べたいんだ。ここで殺すのは勘弁してやってくれ、な、坊!」
「そう。じゃあ仕方ないね……」

何とか気を変えてくれたらしいとアスターは安堵にため息を吐いた。
レンディは一度決めたことは滅多に変えない。例外はアスターが絡むときだけだ。
その事実を知らないアスターは学舎の教室で殺害などという血生臭いことを防止することができたことにホッとし、レンディの視線を追った。
教室にはまだ多くの生徒達が残っている。張り詰めた緊張と恐怖で多くの生徒が動けなくなっているのだ。
レンディの視線は当然ながら、己と同格の将を捕らえていた。

「いつまで遊んでいるつもりだい?」
「遊んでいるつもりはない。学ぶことはどんな内容であろうと遊びではない」

きっぱりと答えたノースはきつくレンディを見据えている。睨んでいると言ってもいいほど強い眼光だ。
突如、レンディと対等に話し始めたノースに驚愕の視線が集まる。

「何故逃げなかった?」
「これほどの人質がいて、そんなことが出来るわけがないだろう」
「相変わらず甘いね、君は。ここにいる誰よりも生き延びるべき人間であるという自覚を持った方がいい。ここが血の海になろうと君は生き延びねばならないというのに」
「レンディ!」
「どちらにしろ、君が殺されていたら俺はここにいる全員を殺したよ。犯人だけじゃなく、他の連中もね」
「馬鹿なことを言うな!!」
「俺にとって君はそれだけの価値があるということだ。周囲の人々を殺したくなければもっと己の身を大切にするんだね。……あぁ、来たようだね、それじゃ俺は失礼するよ」

レンディはアスターに軽く手を振ると、新たにやってきた将と入れ替わりに教室を出て行った。
教室内にやってきたのはダンケッドだった。数人の騎士を連れている。
ノースは諦めたように席から立ち上がった。周囲の視線が痛いが、もう隠しようがないと判断してのことである。

「ダンケッド。カークはどうした?」

こういったときには真っ先に駆けつけてきそうな人物が来ない。怪訝に思っての問いにダンケッドは状況を確認するかのように周囲をゆるりと見回しながら答えた。

「調べ物に関する手がかりがあったそうだ。部下と郊外に出ている」
「なるほど…。ちょうどこちらも手がかりになりそうなものを偶然、入手したところだ。アスター、先ほど何か拾っていただろう?」
「はい、これです。恐らくその連中が持っていたものだと思われますが、まだ確認まではしていません」

アスターが差し出した小瓶をノースは受け取った。
そして友人たちの元へ引き返す。

「アイン、君は例の媚薬を覚えているかい?それはこれで間違いないかい?」

驚きと緊張に顔を強ばらせていた金髪碧眼の友人は、慌てた様子で差し出された小瓶を受け取った。そして慎重に小瓶の蓋を開ける。

「あぁ……確かに、匂いはよく似ているよ」
「ありがとう」

ノースは返してもらった小瓶を懐へと入れた。

「どうやら可能性は高いようだ。ダンケッド、そいつらはカークに引き渡し、調べてもらうように」
「……」
「アスター、今回はご苦労だった。礼を言う」
「はい。ではお手数ですが後はお願い致します。俺は現場に戻りますんで」
「あぁ。後始末はこちらでやろう」

教室を出たアスターはホッと息を吐くと、隣を歩くレナルドに視線を向けた。

「レナルドー、なんでレンディを呼んだんだよ」
「レンディが近くにいたから」
「だからってさー……」

レンディに会えたのは嬉しかった。
しかし、今回の件で呼ぶ相手としては最悪の人選に近い。

「俺が直接呼んだわけじゃない。通りすがりの霊に『近くにいる将軍』を呼んでもらっただけ。そしたらレンディだった」
「通りすがりの霊?」
「この間、お金で雇った霊。騒ぎに気付いて野次馬しに来ていた」
「な、なるほど……。金で雇われたことといい、ずいぶん俗な霊だなー。それにしてもレンディっていう人選がなぁ……サイアクだ」
「アスター、レンディ嫌い?」
「い、いや、そんなことはないぞ!大好きだぞ!もちろん来てくれた事に関しては感謝してるぞ、ホントだぞ!」
「よかった」
「お、おう」
「お腹空いた」
「あー、そうだな。公舎に戻ったらまずは腹ごしらえするか」
「酒」
「判ってるって、奢るよ」

霊は一般的な人には見えない。
そのため、レナルドは適当な人間に取り憑いてもらい、将を呼ぶつもりでいた。
ところが依頼した霊は、率直に『霊が見える人物』を呼んできてくれたらしい。やってきたスピードを考えると、レンディが近くにいたのも確かだろう。
レンディがやってきたのはレナルドとしても意外な結果だったが、そのことを説明しなかったため、アスターも知らぬままであった。