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◆学舎の雫(7)


事件はその数日後、発生した。
ノースはいつものように学校へ行き、授業を済ませ、友人たちと帰宅しようとしていたところであった。

「ノイ、今日はどこの店がいい?たまにはお前もリクエストしてみろよ」
「そうかい?それじゃ…」

友人に答えようとしたノースはピリリと肌を突く空気に気付き、眉を寄せた。
次の瞬間、大きな悲鳴が上がり、血塗れた剣を持つ盗賊のような皮鎧を纏った男数人が、教室から通路に出ようとしていた生徒たちに襲いかかっていた。
殆どが丸腰の生徒だ。瞬く間にその近くにいた生徒たちは男たちによって人質とされ、教室に閉じこめられた。

(正体がばれたか…?)

こわばった顔の友人たちの側で目立たぬように顔を伏せつつ、ノースは慎重に男たちの動きを見守った。週に二日ほどしか来ない学校だ。通い始めて三〜四ヶ月ほどしか経っていない。学校自体の事情にはあまり詳しくない。
だがこの場でもっとも地位があり、人質としての価値が高いのはノースだろう。

「…彼らを解放せよ。私が人質になる」
「何を言い出すんだ、ノイ!!」
「危険だ!!隠れてろっ!!!」

怯える生徒たちの中から進み出たノースは慌てた友人たちに腕を引っ張られて引き戻された。

「お前のようなガキ一人、人質にとったところで役に立つか!!」
「ハッ、死にたくなけりゃ隠れてろ。何、そこのお坊ちゃまのお父様お母様が金さえだしてくれりゃ無事に解放してやるからよ」

誘拐犯の男たちが示したのは貴族の子弟である正規の生徒たちであった。

(私の正体がばれたわけじゃなかったのか……)

ノースはやや拍子抜けし、少し自意識過剰だったようだと気付いて安堵した。
軍では『知将だ』、『黒将軍様だ』、『不敗の智将だ』とちやほやされているために己は大層な有名人だと思いこんでいたのである。
それはあながち間違いではなかった。しかしノースの容姿は軍の中でも一部の者にしか知られていない。
ようするに知将ノースのことならば誰もが知っているが、ノースの容姿は殆どの者が知らないのである。

(頭が平和ボケしていたようだな。彼らが愚かで助かったが……さて、どうするか……)

自分だけなら逃がしてもらえそうだ。彼らはノースをただの一般人だと思いこみ、人質として大きな計算に入れていないようだ。
しかし、どうにか自分だけ言い逃れて、この場を逃げ、他の生徒を放置するなど出来るはずがない。

(部下はあてにならない)

学校に近づくなと厳命しているのはノース自身だ。

どうにかして現状を打破しなければならない。
しかし、今、側には頼りになる部下がいない。ノースの力だけでどうにかせねばならないのだ。
男たちは全員が布などで顔の一部を隠している。
武器は刃物が中心だが、弓矢を持っている者もいる。近接武器だけではないということだ。
怪しまれぬ程度に周囲をよく観察する。犯人の位置、教室内にいる人数、距離などを頭の中に入れていく。
その最中、ノースは犯人のうちの一人がとても小さな瓶に入った何かを口に含んだことに気付いた。
水や酒にしてはあまりにも入れ物が小さすぎる。恐らくは薬だ。しかし、それを飲んだのはいかにも健康そうな体を持つ屈強な若い男。病の治癒などのためとは到底思えない。

(何を飲んだんだ…?)

そう思い、慎重に彼らの動きを見守った。