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◆学舎の雫(5)


その翌日のことである。
アスターは己の執務室で書物を手に顰め面であった。
青将軍用の執務室なのでなかなか広い。
壁際には黒く艶がある木材で作られ、凝った彫り物が施された書棚が並び、貴重な書物と置物が整然と並べられている。
来客用のテーブルと椅子も大きく立派なものだ。
しかしその部屋の主であるアスターはそういった調度品には気をかけない。単に前任者から譲り受けた品をそのまま使っているだけなのだ。
青将軍という高位の地位にある人物のための執務室なのに、驚くほど雑多な人々が出入りする部屋でアスターは書物から顔を上げた。
目の前では一人の部下と一人の客人が顔を突き合わせている。

「俺は、お前が誰と何をしようが構わないが、一応、立場ってものがあるんでな。去ってもらうぞ」
「俺はテメエなんかに用はねえんだよ。邪魔するんじゃねえ!!」
「俺もお前に用はない。判ったらとっとと立ち去ってもらおうか。昼寝の邪魔だ」
「執務時間中に何を堂々と言いやがる。用がないならそっちこそ立ち去れ!!」

部下のザクセンと、客人でありアスターの同僚でもあるシグルドの言い争いだ。
シグルドがやってきて、ソファーに寝転がっていたザクセンが起きて、その後、延々と言い争いが続いている。何が気に入らないのか出会った当初から犬猿の仲で、顔を突き合わせればいつも喧嘩している。
いいかげん、手足が出そうになった頃、アスターはのんびりと仲裁に入った。

「よせって。よく飽きねーな、お前ら」
「「誰のせいだ!!」」
「はぁ?俺は無関係だろー?それよりお前らやめろよ。殺気が酷すぎて部下が入ってこれなくなるだろー」

書類を一旦卓上に置いたアスターは立ち上がり、風を腕に纏わせて放とうとしたシグルドの腕を捕らえ、背中側から捕まえた。
端から見ると、アスターが後ろから抱きしめているように見える姿にザクセンの表情が更に剣呑になる。

「貴様、アスターから離れろ」
「そいつはこっちの台詞だ!!好きでくっつかれているんじゃねえ!離れろ、アスター!」
「もー、よせっての。お前らが暴れたら執務室が壊れるだろー。ここの品は軍の備品なんだから壊すなって」
「放せ、アスター!!こいつを一発殴らねえと気がすまねえ!!」
「ダメだっての。…ザクセンもやめろ。勝敗の判ってる喧嘩をするんじゃねえ。アンタの方が遙かに大人なんだから、子どもの言うことだと思って流してやれよ」

呆気にとられた顔をしたザクセンは吹き出すと笑い出した。

「大人と子どもか!将軍位にある者を捕まえての台詞とは思えないな。相変わらずお前は言うことが大物だ。よかろう、子どもの稚気と思い、見逃してやろう」
「ありがとな」
「誰が子どもだ!!!」

ふざけるなと暴れるシグルドだが大柄なアスターにしっかりと体を捕らえられているためにどうにも出来ない。

「それよりそろそろ仕事の話をしようぜ、な、シグルド」

仕事と言われると強い反論も出来ず、シグルドはしぶしぶと動きを止めた。
レンディ以外の人物に従わぬ事で有名な将を言いくるめたアスターにザクセンはため息を吐いた。

「本当に天然タラシだな、テメエは」
「はぁ?何のことだ?ザクセン」
「俺はこいつに誑し込まれた覚えはねえ!!ヘンなことを言うな!!」
「すぐ反応してる時点で同類だ」
「貴様、やっぱり殺さねえと気がすまねえ!!」

再び喧嘩になりかけた二人にさすがのアスターもウンザリ顔になった。

「あー、もう。いいかげんにしろってお前ら。二人とも叩き出すぞ?」
「「………」」

声に怒りが含まれていることに気づいたのだろう。やっと黙り込んだ二人にアスターはため息を吐きつつ、視線を書類へ戻した。
その書類はレンディからの情報だ。
先日レンディに会った際、アスターはノースを学校で見かけたことを話していた。アスターとしては世間話を兼ねた会話だったが、護衛がついていなかったことは懸念事項として伝えておいた。
アスターとしては深い意味合いはなかったが、レンディはその後すぐに動いたらしい。シグルドが持ってきた書類には学校の内部事情を詳細に調べたことが書かれており、その中には思わぬ事も書かれていた。
ノースが通っている学校で麻薬が蔓延している可能性があるという。しかも出回っている麻薬は複数あり、一種類ではないという。

(……うーん、俺は大っぴらには動きづらいんだよなぁ)

王都上級学校は王立だ。ようするに国営であるため、国王直属の黒将軍であるレンディが動いても何らおかしくはない。
しかし、あまり騒ぎにはしたくない。学生が多く通う学舎なのだ。
現在、最大の懸念事項は麻薬騒ぎにノースが巻き込まれないかどうかだ。
とりあえずノースの身の安全が確保されればいいわけであり、それならば現在、他の黒将軍についているアスターが動くよりはノースの側近たちに任せるべきだろう。

「なぁシグルドー。坊…いやいや、レ、レンディ、様、は何て言ってた?」
「なんでそうぎこちない言い方してるんだ。いいかげん、慣れろ。別にレンディ様は何もおっしゃらなかったが?」

単に書類を預かってきただけだと告げるシグルドにアスターは思案するように視線を彷徨わせた。
書類にもどうしろ、ということは書かれていなかった。シグルドも指示を聞いていない。……ということは、判断はアスターに任せるということだ。
アスターは素早く手紙を書くと、シグルドから預かった書類と共に袋に入れ、シグルドに差し出した。

「これをカーク様に届けてくれ」
「はあ!?何で俺が同格のお前に命じられなきゃいけねえんだよ!」
「そうか、そうか。ノース軍に貸しを作るチャンスなのになー。仕方ない、自分で届けるか」
「チッ!!」

シグルドは書類をひったくるように奪い取ると、怒った様子で執務室を出て行った。
実に判りやすい行動でアスターには可愛く思えるほどだ。

カークは頭がいい。受け取った情報は最大限に利用するだろう。ノースが絡んでいる以上、放置するはずがない。
いずれにせよ、これで管轄はノース軍へと移った。
自分で調査し、麻薬を撲滅して、一つの手柄にすることもできたが、そうすることによってノース麾下の将と揉めるのは面倒だ。それよりは貸しにしておいた方が今後のためになる。
情報をくれたレンディには悪いことをしたかもしれないが、彼は頭がいい。麻薬を撲滅しろという命令がついていなかったということはアスターがこうするということを見抜いていたのかもしれない。いずれにせよ、ノース軍に貸しを作れたのは悪い結果ではない。

仕事はまだ終わりではない。飛び込んできた一つが片付いただけだ。
振り返るとザクセンが少しスネた様子でソファーに転がっている。
アスターは小さく笑うとザクセンに声をかけた。

「紅茶が冷めちまったな、新しく入れ直そうか?」
「レモンティ」
「了解」

アスターは使いかけのティーカップを手に、執務室を出て行った。