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◆学舎の雫(2)


毎回授業で顔を合わせていると、自然と親しい相手も出来る。
社会人中心の夜間授業は、二十代から三十代の者達が中心で、二十代前半のノースは特に目立つこともなく、溶け込むことが出来た。
授業には明らかに貴族の子弟と思われる生徒もいた。制服を着ているので研修生ではなく、正規の生徒たちだ。

「昼の授業を受け損ねたり、単位を取り損ねたりした奴らが多いが、わざと夜の授業を中心に受けている奴らもいるんだ。昼より人数が少なくて静かだから」

ノースにそう教えてくれたのはベルデクトという黒髪黒目の青年だ。
二十代後半の彼はノースと同じ研修生で、正規の生徒になれるほど金も頭もないため、研修生として入ったという。
将来は町の学舎の教師になりたいという夢を持っているという。

「正規の生徒はお高くとまったお坊ちゃまが多いから関わらない方がいいぜ」

その告げるのはベルデクトの友人だという紺色の髪と茶色の目をした青年、セスだ。
ベルデクトの付き合いで学校に通っていると言い切っているが、ただの付き合いというわりにはきっちり授業を受けている。どうやら素直じゃない性格らしく、ベルデクトが仕事の都合で授業を休んだ日もちゃんと授業に来ていた。

「貴族のガキも多いからねえ」

そういって肩をすくめるのはアインだ。
金髪碧眼でそこそこ容姿の良い彼はかなりの遊び人らしく、女性連れで授業へ来たこともある。ウワサにも詳しく、いろんな話を知っている。
その日、その話題を持ってきたのも彼だった。

「変な薬が出回ってるらしいよ〜。いい夢を見れるんだって」

一度使ってみたいなぁというアインは興味津々のようだ。
その手の話にろくなものはないと知るノースは内心用心しつつ、友人たちの話を聞いた。

「どんな薬だよ?」
「自分が望んだ夢を見れるらしいけどさ、不安なんかが全部吹っ飛んで体がふわふわ飛んでるような感じになるらしいよ」
「なんだそりゃ。気色悪いじゃねえか」
「そんなことないって。ヤってる最中に使うのが基本らしいしさー」
「そっちの薬かよ」

友人たちの雑談を聞きつつ、本当にただの媚薬だろうかとノースは怪しんだ。
もし法に触れるような悪しき麻薬だった場合、使用するとアインの身が危険だ。
アインは入手する気満々のようだ。元々好奇心が旺盛な男なのだ。

「アイン。もし手に入れることができたら使う前に僕らにも見せてくれよ」
「へえ?意外だな。ノイも興味があるのかい?」

ノイというのはノースが学校で使用している偽名である。

「興味があったらおかしいかい?僕だって男だよ」

そう言って肩をすくめるとアインは面白そうに笑って頷いた。

「それもそうだな。悪かった。あぁ持ってくる。約束するよ」

元々楽しいことが好きな男だ。入手したら自慢げに持ってくることだろう。
後はその薬が一体どんなものなのか調べることだ。

(幸いというには微妙だが、こういったことに詳しそうな者もいることだし、調べさせるか)

もしかしたらすでに知っている可能性もあるだろう。
側近カークは性的な品には特に詳しいという男なのだ。マニアと言ってもいいほどだ。
そんなことを考えて上の空になっていると、突然突き飛ばされた。

「邪魔だ。廊下のど真ん中で突っ立っているな!平民風情が」
「まぐれでトップを取れたからといっていい気になるな。所詮平民は平民だ。この国は我らのように選ばれた生まれの者にしか動かせぬのだからな」

制服を着た青年二人はそう言い切ると立ち去っていった。

唖然として見送るノースの隣で友人たちは一様に顔をしかめている。

「チッ、相変わらず貴族のガキは気分が悪いぜ」
「仕方がない、相当な金をこの学校につぎ込んでいるんだろうから。だからいろいろやりたい放題でも多めにみてもらえているんだ」
「ノイ、お前前回の試験で満点だっただろ。そのせいで奴らに目をつけられているのさ」

ノースは無言で天井を見上げた。
単に回答を書いただけだった。ただそれだけでこんなことになるとは思わなかった。どうやら目立ちすぎたらしい。試験の結果というものはどうやらこの学校では重要であるらしい。

(目立つのは非常に困る。身分がばれるわけにはいかない。護衛もつけてないんだ)

学校には来るなと言明してあるが側近たちは一様に渋い顔をしていた。
特にカークは納得していなかった。こっそりついてきそうな気配があったので、彼の愛する部下を盾にとってきた。何か起きればそれみたことかと言われることだろう。そういった事態にはなりたくない。

「頭を使えば腹が減る。少し飲んでから帰らないか?」
「いいな。葉碧亭へ行こう。あそこの煮込みを突きながら飲むのが一番だ」

友人たちの何気ない誘いにノースは笑顔で頷いた。
授業の前後の他愛ないお喋り。裏を読む必要のない会話。肩をこづいたり、腕を組んだりという、階級差のない仕草。一般的な小さな飲み屋で安っぽい食事と酒を楽しむこと。
そんな一般的な付き合いを知らぬまま来たノースには、友人たちとの時間はとても新鮮であり、楽しいものであった。
この時間がつかの間のものであるという自覚がある。
ガルバドスは軍事大国。軍人の地位がとても大きい。黒将軍の上には王しかいない。彼らとの本来の階級差は判っているつもりだ。
それだけに大切に一分一秒を楽しみたい、そう思うノースであった。