文字サイズ

◆学舎の雫(1)


ノースは目立たぬ容姿の人物である。
茶色の髪も灰色の瞳も世間にはありふれた色だ。目鼻立ちが整っているというわけでもなく、小柄で痩せている。
幾度も戦場に出て、そのたびに大きな武勲をあげて帰ってきたノースの頭脳も国内外に知れ渡った。今では青竜の使い手と並び、ガルバドス国では知らぬ者なしの将の一人だ。
しかしノースの姿自体は殆ど知られていない。小柄で目立たぬ容姿のため、印象に残らないのだ。
ノース自身は自分の容姿に興味がなかったので人にどう思われようと構わなかった。
彼が興味を持っているのは地図であり、人の話であり、書物であった。より多くの知識、それが彼の興味を持つものであり、その知識を得るための努力を惜しまぬのがノースであった。
そんなノースはある日、幻と呼ばれる歴史書をある人物が持っていると知った。
その人物は王都上級学校の教授であるという。
王都上級学校は官士を目指す者や貴族の子など中上級家庭の子が進むことが多い学校だ。
しかし高度な学問を学ぶため、金を積めば入れるというわけではない。賄賂で入っても授業について行けなくなるのだ。
そのため、プライドもレベルも高い生徒が多く通う、そんな学校になっている。
問題の教授はその学校で大変な変わり者で知られているという。

(つまり『命令』では動いてもらえないというわけか)

無理に奪おうとしても渡さぬばかりか燃やされかねないと部下から話を聞き、ノースは相手に好感を持った。
思えば祖父もそんな頑固な一面のある融通の利かぬ老人だった。しかしノースはそんな祖父の膝に座って昔話を聞くのが大好きだったのだ。
祖父の話は戦場の話ばかりで子供のノースにはけして面白いとは言えぬ内容だった。しかしノースは祖父と一緒にいるのが大好きだった。そしてそのときの話は確かに今のノースの糧となっているのである。

(上級学校には研修生となれば一時的に通うことも可能だったな)

きっちりとした正規のルートで会えば相手も文句は言えぬだろう。そう思いつつ、ノースは直に相手に会ってみることにした。

王都上級学校は制服があるが、研修生には制服がない。
推薦状や一定試験を受かったら入れるという研修生枠は、社会人が多いという。そのため夜間授業に来る者が多いらしく、ノースが選んだ授業にも20人近い研修生がいた。総数は50名前後なのでなかなか盛況だ。
もっともノース自身の目的は教授の方だ。
バームと呼ばれる教授は己の研究室にいた。
地震が来たらすぐにも埋もれそうなほど、本に埋まった部屋だった。天井まである本棚には隙間なくぎっしりと本が詰まっている。
白いヒゲと白い頭髪の教授はノースの祖父と同世代であった。
いかにも頑固そうなその人物に名乗ると、ノースは丁寧に一礼した。


++++++++++


『礼儀は心得ていると見える』

バームはそう言った。どうやら第一関門は突破できたらしい。
しかしやはり頑固な人物だった。一度や二度会ったぐらいでは渡してもらえそうもない。ノースは長期戦を覚悟した。

(年単位でも通ってやる)

そう決意するノースもまた頑固な人物であった。祖父譲りの頑固さを彼も持っている。
多忙ではあるが、勤務後の夜間授業に通うのは不可能ではない。

(授業も意外と面白い。雑多な知識も役立つものだ)

ノースは学校に通ったことがない。彼は中流家庭の生まれであり、貴族ではないがそこそこ裕福な家庭であった。そしてそのくらいの家庭にありがちなように、家庭教師に教育を受けていたのだ。聡明な彼は大変優秀だったが、その教育も祖父が亡くなり、軍に入ると同時に途絶えていた。誰かに教わるという行為自体が無くなっていたのだ。

(久々に勉強をしているな…)

本は今でも大量に読んでいる。軍に関する知識を得るための努力を欠かしたことはない。しかしあくまでも軍人としての知識ばかりだ。どうしてもそれ以外の知識は途絶えがちで、軍に関しない授業はノースにとって新鮮なものばかりだ。
そして軍人以外の人々と接するのもノースには新鮮だった。最近は軍の執務室と部屋を行き来するばかりの日々で、世間に目を向ける機会がなかったのだ。
学ぶことが大好きなノースは、思わぬ学生生活を楽しんでいた。