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◆緋〜死の熱を持つもの〜(14)


翌日、正式に任命状を貰い、アスターは黒将軍となった。
やることは多い。
隊の編成、公舎の決定、軍規の決定など、雑事は山ほどある。
公舎は前任者の後を使うことが普通だが、今回はそれができなかった。ホルグは公舎を自分で用意していたのだ。
彼は民間の建物を有料で借りていた。その建物を今後も借り続けるとなるとアスターが賃料を払う必要がでてくる。建物にこだわりがないアスターは軍のものを使用することに決めた。しかし、見つけた建物はかなり老朽化していた。

「古いなら作り直せばいいよな!改築しようぜ!」
「もっと郊外に行けば、いい建物があるのに」

シプリは呆れ顔だ。
年代物の建物をわざわざ改築してまで使用することはないだろうと言っているのだ。

「遠すぎるんだよ。お前等の公舎と離れすぎるだろー。中心部からも遠くなるしよ」
「うーん、そりゃそうだけど…」
「風呂はでかい方がいいよな。厩を手前にして、入り口のホールを広くとって…」
「アスター、設計図ひくのは後にしてね!もっと早く決めなきゃいけないことがたくさんあるんだからね!軍旗はどうするのさ?早く決めないと黒のコートも作れないんだけど!」
「軍旗かー……」
「うちの兄貴みたいに家紋をそのまま使うって手もあるよ?」
「いやいや俺はシプリの家と違って一般民だぜ。そんな立派な家紋なんかねえって」
「けど、軍旗だけは早く決めろって言われてるよ。黒将軍印も軍旗から象るし、建物にも掲げないといけないし、戦いに出るときにもたくさん使うからね」
「んー……なぁ、軍旗って前の人と同じでもいいのかな?」
「はあ?君、ホルグ軍の軍旗を使うつもりなの?」
「違う。師匠の。師匠はレンディの前任だったから結構経ってるんだけどよ。確か火蜥蜴の紋章だったはずだ。師匠が武術を叩き込んでくれたおかげで生き延びられたわけだからよ、師匠の紋章でよかったら使いてえなと思ってさ」
「ふぅん……いいんじゃない?変な理由でもないし、他の人と被るわけでもないしさ」
「んじゃ、ちょっと師匠に話をして許可を得たら、そうするかな」
「コートに刺繍する軍旗のデザインは俺がやるから」
「そうか?じゃあ頼む」


++++++++++


それから二ヶ月後のことである。
アスターは新たに得た黒将軍用の官舎にて来客を迎えた。

「イーガムか。もう大丈夫か?」
「ああ…」

フードを深く被ったイーガムにアスターは軽く首をかしげた。

「まだ傷が治らないのか?」
「いや…」
「男だろうが。傷なんか気にしてどうする」

アスターがそう告げるとイーガムはフンと笑った。

「これを見てもそう言えるのか?」

現れたイーガムの右の顔は火傷の痕がはっきりと残っていた。
しかしアスターは右側が焼け爛れ、生肉が生々しく見えていた状態を覚えている。それに比べれば随分綺麗に治ったなという印象を受けた。

「あの医者、やっぱりいい医者だったな。予想以上に治ってるじゃねえか」

ちょっと来いとアスターはイーガムを手招いた。
今となっては階級差がある。イーガムは仕方なさそうに近づいていった。
アスターの大きな手がイーガムの火傷の痕に触れる。イーガムは驚いてなされるがままになった。

「少しずつよくなると思うぜ。たった二ヶ月でこれだけ回復したんだからな。やっぱりあの医者はいい医者だった。ちゃんと通えよ、イーガム」
「………お前……よく触れるな」
「はあ?治ってるじゃねえか。俺はどろどろだったお前の顔も見てるんだぜ。平気だ」
「平気……これでもか」
「あのなぁ……お前は意識が無くて覚えてないだろうが、あの戦いは酷い有様だったんだぜ。どいつもこいつも火傷でドロドロだった。大量の火傷の怪我人を見てきたんだ、今更治った火傷で悲鳴上げたりしねえよ」

アスターは笑んで肩をすくめた。

「勇気を出して顔を出して歩け。どいつもこいつも、今回の戦いで火傷は嫌と言うほど見てきた奴らばっかりだ。それどころか火傷の痕を持ってる連中も少なくねえ。怪我人はお前だけじゃねえんだ」

くしゃりと髪を乱暴に撫で回され、イーガムは小さく笑んだ。

「気にしていたのは俺ばかりというわけか。さすがにザル頭だな、テメエは」
「はあ?失礼なこと言うなよ」
「褒めてんだよ。お前は部下にだけは懐かれていたな。なんだかんだ言いながらも人望はあった。軍人の才能はねえけどな」
「才能がねえって…そりゃ今は一応、軍人である俺に対して最悪の褒め言葉だ」
「事実だろうが……しょうがねえな。俺が補佐してやる。助けられた礼だ。俺も一応どこかに所属しねえと部下を守れねえからな。頼りないテメエを助けてやるよ」
「そりゃ…ありがとよ…」

出陣命令を受けたところで、従ってくれる青将軍が確保できるかどうか不安に思っていたところだ。願ってもない言葉だが、イマイチ喜べないのはイーガムの言い方が悪いからだろう。
しかし、イーガムの能力は知っている。高い戦闘能力を持ってる彼だ。ここはありがたく思うべきだろう。

「約束を覚えているか?」
「約束?」
「お前、主治医に最悪の場合、俺を嫁に貰ってやると言ったらしいじゃねえか」
「そういや言ったな」
「ちゃんと守れよ?」
「………は?」
「かなり頼りねえ旦那だが、しょうがねえ。俺もこんな顔になったし、いつ現れるか判らねえ相手より確実な相手を選ぶことにした。お前は一応黒将軍だし、収入も良い。俺もそろそろ年齢的に結婚してえしな」
「………え…っと…」
「指輪は絶対にシンプルでなおかつ豪華なものじゃねえと受け取らねえからな。土台はプラチナだ。金はごてごてして派手で好きじゃねえんだ」
「……わ、かった…」
「じゃーな。俺も忙しいんで隊に帰る。またな」

ひらひらっと手を振ってイーガムは出ていった。
素っ気なさそうな態度ではあったが、やや顔が赤らんでいたところが照れていた証か。
そんな様子を可愛いなと思いつつ見送り、痛いほどの視線を感じて振りむくと、終始無言だったザクセンに睨み付けられた。

「おい、アスター、アレはどういうことだ?テメエ、本気であいつと結婚するのか?」
「い、いや、あれは冗談のつもりだったんだが……」
「ほう……今の様子じゃ、あいつは十分本気のようだったが?」
「うーん、そう思うか?」
「とっと今のは冗談でしたと言ってこい」
「いや、その、うーん……」

イーガムは一風変わったナイフ使いで剣も使える上、風の上級印も持っている完全な攻撃型の将軍だ。
白い髪と細くて赤い目、白い肌をしていて痩せている。全体的に色素が抜け落ちているように見える。しかしすべて生まれつきらしい。
性格は皮肉屋で取っつきにくいが、軍人としては小柄な体格や、甘党で菓子を持っていくたびにあれこれ言いながらもしっかり平らげてくれるところなどが可愛いとアスターは思っている。
そして、将軍としての実力も確かだ。アスター軍には少ない印主体の攻撃を得意としているところもありがたい。

「なぁ、シンプルだけど豪華ってどういうもんだと思う?ちょっと矛盾してるよな?」
「お前あいつに指輪作る気か!?」
「いや、そういうわけじゃねえけど、ちょっと気になって。ええと、土台はプラチナ……」
「つくらねえなら、気にする必要ねえだろうが!おい、何、メモってるんだ!」

そこへノックの音が響いた。
アスターにとっては救いの手である。慌てて入室を許可するとホーシャムが入ってきた。
彼は階級こそ赤将軍のままだが、現在は黒将軍であるアスターの側近として、大きな権力を得た。
黒将軍には青将軍とは比べものにならない特権があり、ホーシャムもその恩恵を受けているのだ。側近として様々な機関や人を動かせるため、やりやすさが断然に違う。
彼は黒将軍アスターの軍師として、専用の部屋と部下を持ち、誇らしげに仕事をしている。

「ホッホッホ。将軍、情報が入りましたぞい」
「ん?」
「ホセ様とイーガム様が先週から仕事に復帰なさっておられるのはご存じですな?」
「ああ。……奇遇だな、さっきイーガムが来てくれたところだったんだ。俺の麾下に入ってくれるそうだ」
「それはようございましたな。それで、ホセ様ですが承諾を得ることができました。麾下に入ってくださいますぞ。近々、挨拶に来てくださるそうです」
「ホントか!?すげえぞ、ホーシャム!あまり期待してなかったんだがな〜」
「ホッホッホ。当然、と申し上げたいところですが、シプリ青将軍が手伝ってくださいました。脅しをかけてくださいましたからのぉ」
「脅し!?」
「アスター将軍に助けられたんだから、騎士として助けられた恩を返せとおっしゃってましたぞ」

何とも気の強いシプリらしい行動だ。

「ホセ様は気落ちしておられるようでしてな」
「それは無理もないだろう」

ホセはホルグ黒将軍の側近だった。
しかし、上官ホルグを失い、大切な部下を多く失い、親友フォードをも失った。それで気落ちしないはずがない。

「引退をも考えておられたようじゃが、シプリ将軍が一喝されましてな。少し立ち直られたようです。意外と相性がよいのかもしれませんぞ」
「へえ……」

今までシプリとホセは殆ど交流がなかったはずだ。そのため、性格の相性はアスターにもよく判らない。
しかし、ホセが少しでも立ち直ってくれたというのはいい話だ。この調子で少しでも傷を癒してくれればと思う。
そこへ噂の主がやってきた。シプリだ。手には多くの書類を持っている。

「アスター、ホセの話は聞いた?」
「ああ、今、ホーシャムから報告を受けたところだ」
「なら話は早いね。彼の部隊は大きな被害を受けたから兵力がごそっと減っている。俺の部隊から少し分けようかと思ってるんだ」
「お前の部隊から?減りすぎねえか?」
「兄貴が昇進祝いに部下を譲ってくれるって言うんだ。たまには言葉に甘えようかと思ってね」

昨年、黒将軍だったパッソが不慮の事故で死んだ。そのパッソの死を受けて黒将軍に上がったのが、シプリの兄ギルフォードだった。
元々、功績は十分だったため、あっさりと昇進が決まったという彼は、レナルドの恋人でもあるため、アスター軍との交流が深い。

「そいつはありがてえな。俺からも礼を言っておくよ」
「うん。だから俺の方は余裕ができる。その分、ホセに回そうかと思ってね」
「判った」

元々、青将軍は最大3000人までしか部下を持てないという規定がある。部下を抱えすぎても食わせていけないため、部下が多ければ多いほどいいというものでもないのだ。シプリは多すぎると判断した分をホセに回す予定なのだろう。