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◆緋〜死の熱を持つもの〜(7)


エドは部下に指示を出し、ホルグ黒将軍の軍旗を道の脇に立てた。
エドは小隊の隊長だ。従者のトマと共に、ロー赤将軍の隊に所属している。
ローは今回アスター軍の中央に位置していた。それはアスターの直属ともいえる位置であり、今回の撤退では先頭を担っている。
撤退の最前線なので危険性は低いが、撤退ルートの確保や隊全体を迷わぬように導くという意味では、十分重要な役だ。
軍旗を道ばたに立てるのは、遅れてやってきた後続を間違いなく導くという意味を示している。実際はあまり使用しない方法なのだが、今回はやれとアスターから指示が出た。かなり遅れて後続がやってくる可能性があるからだろう。前方の部隊を見失う可能性がある後続部隊が出る可能性があるということだ。それだけ今回の戦いが厳しいのだ。
軍旗にはローの名前が入った赤い布が結ばれている。
後続の赤将軍たちが通るときに布は上から順番に増えていく。そうすることによって最後尾の将が、脱落者がいないか確認していくのだ。
今回は恐らくシプリかマドックになるだろうと聞いている。二人の内のどちらかが確認してくれるだろう。

(けど、恐らくこの軍旗は戻ってこない…)

隊に余裕がある状態であれば、最後尾の隊が軍旗を回収しながら本国へ戻る。通常はそうなる。
しかし、今回はその余裕がない。最後尾となるであろうシプリとマドックは負傷者の回収を一手に担っているという。怪我人が多い隊がご丁寧に軍旗を回収できるはずがない。恐らく軍旗はそのままになるだろう。

『エド、トマ!!一番前を行け!!撤退路は覚えてるな?先頭を行け!!お前等に任せる!』
『ええっ!?僕たちですかっ!?本気ですか、アスター!』
『そうだ、いわゆる道案内だからお前等でいい。道を間違わなきゃいいんだから、慎重派のお前等が一番確実だ』
『で、ですがそのような重要な役は僕じゃなくて、ロー将軍が…』
『ローはこれから余裕が無くなる。将を失った隊の分まで指揮を執らないといけなくなるからな。将官以上の生存者がかなり少ねえみたいなんだ。
ローに余裕が無くなって、うっかり道に間違ったりしたら、軍全体が道に迷うなんて羽目になりかねない。だからお前等なんだ。誰かが専任でやった方が確実だからな』

アスターの判断は確かだったということだろう。今、ローは膨れあがった隊をまとめるのに必死で大忙しだからだ。エドとトマが、ただ道を間違わないことだけに専念しているおかげで、アスター軍は順調に故国への帰路を踏破している。
しかし、赤将軍であるローがその状態なのだ。全体をまとめる総指揮のアスターはどれほど大変なのだろうかと思う。
しかし、不安になりがちな心もアスターが指揮を執っているのだから大丈夫だろうという不思議な安心感が支えてくれる。実際、今も軍は大崩れしていない。指揮系統が壊滅に近い状況になっているにもかかわらず、順調に帰路を踏破している。

「坊ちゃま、このままじゃ軍旗が足りなくなりそうです」
「うん、僕もそう思ってた」

しっかり者のトマに指摘を受け、エドは頷いた。
一定間隔で目印に立てている軍旗には数に限りがある。
各軍が持っているものとはいえ、いわゆる戦場での目印のようなものだから、あまり数は存在していない。
今、手元にあるのはアスター軍が持つ軍旗のみ。他の青将軍が持つ軍旗を持って帰って来るなんてことはないから、本数に余裕がない。
しかし、旗を立てないなんてことはできない。通常は旗が無くても帰れるが、それはあくまでも脱落者がいない場合だ。今回のようにかなり遅れて逃げてくる味方がいる場合は、彼らが迷わぬように目印を用意する必要がある。

「坊ちゃま、目立つ木があったら、そこに赤い布を結びつけましょう」

後続が気付いてくれればいいわけだから、目印になるのであれば十分だろう。
道ばたに生える木も代用しようというわけである。

「あと、他の旗も使用しましょう。緊急事態ですから」

通常は所属する黒将軍の軍旗だが、他の旗も使用しようという。
手元には、アスター軍の証である将軍名が入った青い旗、後方支援が持つ旗とガルバドスの紋章が入った国の旗がある。
いずれも本数は多くないが、目印の代用にはなる。
割り切りのよいトマの判断で旗は使用されたが、後続からの苦情は来なかった。アスターも容認してくれたのだろう。

(シプリ、大丈夫かな…)

心配な相手はたくさんいるが、もっとも心配なのはシプリだ。
最後尾を担当しているという彼は無事撤退してくれるだろうか。

(どうかシプリが無事に戻ってきますように…)