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◆緋〜死の熱を持つもの〜(5)


少し時は遡る。
左翼に位置するシプリ部隊は、アスターと似たような光景を目の当たりにしていた。
アスターと違っていたのは、死者ばかりではなかったということだ。轟音と共に吹き飛ばされてきたのは、前方にいた別の青将軍の部隊だ。
少し距離があったために巻き込まれずに済んだものの、目の前には吹き飛ばされてきた負傷者が山のように重なり合っている。

「うぉ!?何だ、今のは!!??」
「なんだこりゃ!?合成印技をまともに食らいでもしたのか!?」
「それにしては様子がおかしいぞ!!」

近くにいた部下たちが慌てた様子で叫び、急いで状況を調べろと騒いでいる。

「待ちなよ、ダヴィ…。そう簡単な問題じゃなさそうだ」

シプリの目は周辺の木々や負傷者が纏う武器や鎧の状態をしっかりと捕らえていた。

(通常の合成印技にしては、範囲が広くて被害が大きすぎる気がするんだよね…。敵将の姿すら見えないし。けど合成印技よりも強力な技ってのが存在するのかな…?特殊な武具を使われたとか……)

「しかし、シプリ様!早急に状況を把握しねえと、次の攻撃が来たら巻き込まれちまうかもしれませんよ!」
「判ってるってば。とにかく早く負傷者を救助して!一時撤退して陣を立て直す必要があるだろうから、アスターからの撤退命令が来る前に収容を終わらせるよ!」

ここはアスター軍の左翼だ。
左翼はシプリ、カーラ。右翼はマドック、ユーリ。中央をホーシャムから隊を受け継いだばかりのローが指揮している。
己の隊を動かすにしても、大きく動かすためにはアスターの指示がいる。とりあえず隊を守るためにその場その場の対応ぐらいなら動かすのも可能だが、大きく隊を動かすためにはアスターの指示が不可欠なのだ。

その時、空中で破裂音が鳴った。複数回だ。

「花火!?まさかっ!?」

空中に打ち上げて使う花火は敵にも見えてしまうため、戦場での合図には極力使われない。いわゆる最終手段なのだ。
それが使用されたというだけで、状況が如何に深刻かが判る。

さほど間が空かぬうちに二発目が鳴った。今度は心構えしていたため、回数が判った。
音は連続して3回。『戦場からの撤退命令』だ。

「『とにかく逃げろ』だって!?一体何が起きたんだよ!!」

シプリはアスターを信頼している。
あの親友は知将ノースのようにずば抜けた頭があるわけではないが、基本に沿った忠実な軍の動かし方をする男だ。
経験豊富な彼は大きな間違いを起こさない。だからこそ、緊急時も大崩れしないし、大きな被害も出さない。そのアスターが『なりふり構わず逃げろ』と同意の命令を出した。つまり、アスターがそう判断するだけの事態が起きているということだ。

「アスターに早馬を飛ばせ!!何が起きたか聞いてこい!!こっちは負傷者が多いんだ、そう簡単に撤退できないよ!」
「御意!!」

慌てた様子で近くにいた騎士の一人が伝令として走っていく。

(落ち着け、落ち着け……判断を一つ間違えば死ぬ!隊ごとやられてもおかしくないよ、これは…)

何が起きているのか判らない。
だが、とんでもないことが起きているということだけは判る。
こういう時、判断を間違えば死に直結するということをシプリは経験から知っている。戦場はそういう場だ。常に冷静に判断せねば死ぬ。

(アスター、教えてよ。どうすればいい?)

こういう時、あの親友の精神的強さを実感する。アスターはどんな状況下でも判断を間違わなかった。
予想外のことが起きても、『おいおい、なんだよこりゃあ…』などと言いながら、巻き込まれないよう撤退命令を下したり、仲間を救出するよう命じたり、と最善の判断を下してきた。
普段はのんびりした雰囲気のあるマイペースな人物だが、彼はどんな時も自分を見失わなかった。だからこそ彼とシプリは生き延びてこられたのだ。

「とにかく負傷者の救助を急げ!ただし、その場に留まるな!ここで緊急治療をできるような余裕はないよ。撤退命令がでてるからね。多少傷が開いても耐えてもらえ!!撤退するよ!!」

浮き足立っている部下に矢継ぎ早に指示を出す。
花火での撤退命令が出た以上、他部隊も撤退を急いでいるだろう。取り残されるわけにはいかない。急いで負傷者を回収して撤退する必要がある。
そこへアスターの元へ走らせた伝令が戻ってきた。

「シプリアン赤将軍!!熱です!!強力な熱による攻撃を受けたとのこと!!中央の前方部隊は壊滅!!一面の焼け野原でした!!」

シプリと共に報告を聞いていた周囲の部下たちも息を飲む。

「壊滅……焼け野原だって……?」
「アスター青将軍より、左翼の最後尾を命じるとのことです!右翼はマドック部隊が最後尾担当!他部隊は撤退を優先、シプリとマドックには無理をするな、逃げることを優先してもかまわねえ、俺が全責任を取る!との伝言をお預かりしました!!」

戦場からの撤退で最後尾を担当することは、当然ながらもっとも危険なところを命じられたということを意味する。
あの親友はシプリとマドックにもっとも危険な役割を命じてきたのだ。
アスターからの信頼を感じるが、重責だ。

(最悪っ!!けど、俺たちが逃げても責任をとるって…!)

逃げることを優先してもいい、ということは、怪我人を見捨てて逃げても罪は問わないと言っているということだ。
それだけ事態が緊迫しているのだろう。
命令からは、とにかく全部隊の撤退を優先させたい、という意図が見える。

「……ぎりぎりで一刻!!それ以上は待たないよ!!負傷者の回収を急げっ!!右翼側はマドックがやってる!!うちは中央よりに左翼を捜索してっ!!」
「御意!!」
「ブノア小隊に伝令を回せ!!最前線の部隊近くまで走って将軍位の生存者がいないか見てくるように言え!!くれぐれも敵に見つからないよう気をつけて!!可能な範囲でいいから無理はするなと!」
「御意!!」
「シプリアン将軍!!カーラ赤将軍が馬を貸してくださるとのことですっ!!」
「助かる!!出来るだけ借りてっ!!」

カーラも最後尾担当となったシプリ部隊のことを心配してくれたのだろう。
馬があれば移動が早まる上、負傷者の救出も楽になる。とてもありがたい申し出だ。
時はあっという間に過ぎていく。カーラ部隊との距離を気をつけて見ておくように部下の一人に命じていたが、そろそろぎりぎりだろう。

「シプリ様、カーラ部隊の最後尾が見えなくなって10分が経ちました」
「判った」

すでに予定の一刻は過ぎている。部下たちも救出作業を頑張っているようだがそろそろ限界だ。十分粘った。
一刻を越えるということは予想済みだ。できるだけ急がせるためにわざとそう命令を下したのだ。

「撤退するぞ!!各小隊に急げと言え!!俺が最後尾を守る。準備が出来た隊からカーラ部隊を追え!!」

仲間がどんなルートで撤退したのかは判らない。
しかし、カーラ、もしくはそれより前方の部隊が、後続のシプリ部隊のために必ず跡を残しておいてくれているはずだ。
敵に見られれば敵にもルートがバレてしまうが今回は構わない。少人数ではなく大人数での移動だ。どうしてもある程度痕跡が残ってしまうからだ。

「シプリアン将軍!!ブノア小隊から連絡!!青将軍らしき方の遺体を発見したとの報を受けております。位置的にフォード青将軍の可能性があるとのことです。遺体は損傷が激しく、確認は不可能だったとのことです」
「了解!」

とにかく負傷者が多い。皆が頑張っているがもう限界だ。とにかく一刻も早く撤退する必要がある。
そうしているうちにマドックの方がそろそろ撤退が終わりそうだという報が入ってきた。まずい。こちらだけ取り残されては敵に各個撃破されてしまう。

「急げ!!」
「シプリアン様!!馬が足りません、負傷者が乗せきれず…!!」
「見捨てろ!!」
「シプリアン様!?」
「足があるやつは歩けと言え!!出来るだけ守ってやる、出来るだけ助けてやるよ!!けど限界がある!!俺は将だ、カミサマじゃない!!ヤバイやつと元気なやつなら元気なやつを選ぶ!戦えるヤツが残らないと助かる奴も助からないからだ!!」

部下はグッと言葉に詰まった。
しかし、シプリの気持ちが通じたのだろう。涙をにじませて敬礼を返して現場へと走っていく。命令に忠実に『見捨ててでも逃げろ!!』と叫んでいるのが聞こえてくる。辛い命令に従ってくれたのだ。

「いつもの四人!アルセヌ、ダヴィ、レイトン、ザネは残れ。悪いけど命運を共にしてもらうよ。他は撤退を急げ。俺が最後尾を守る」
「御意!!」
「マジですか!…逃げてえ…」
「かしこまりました。特別手当て、期待しておきます」
「ン、貧乏くじだ……」

選んだのはシプリ麾下でも腕の良い騎士たちだ。
口は悪いが腕はいい。

「さすがの俺も一人で後背を守れる自信はないからね。……死が近い怪我人は逝かせてやれ」
「御意」

最後尾を守るということは動けなくなった怪我人は見捨てるということだ。
恐らく、収容しきれなかった怪我人が撤退路にいることだろう。
苦しみを長引かせぬよう、助かる見込みのない怪我人に死を与える必要も出てくる。
それもまた、最後尾の役目だ。

「そろそろかな」

一番撤退が遅れたのは最前線を見に行かせていたブノア小隊だったようだ。その小隊も撤退した。
ならば自分たちが残る必要はない。小隊と離れすぎぬよう撤退せねばならない。
その時、視界にちらりと敵兵の姿が見えた。

「来たか。ぎりぎりのタイミングだったね」
「もうちょっと早く撤退できていたら遭遇せずに済みましたものを」
「それは仕方がないさ。ここで片付けていくよ」
「御意!」

各小隊は怪我人を抱えている。
優れた戦闘員だけで構成しているこの最後尾のメンバーだけで片付けねばならない。
シプリは使い慣れた剣を抜いた。

「赤になってから戦うのは久々だ…。行くよ」