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◆緋〜死の熱を持つもの〜(4)


一週間後、アスターたちは王都を出発した。
戦場であるサウザプトンまで20日を要した。大国で約二万兵を超える大所帯であるため、移動に時間がかかったのだ。
そうして陣を張り、戦いに入った。
完全に有利に進んでいた戦いに異変が起きたのは四日目のことだった。

「……なんだ、今のは!?何が起きたんだ!?」

唖然とするような光景だった。
アスターたちは後方支援のため、全軍の最後尾に位置し、全体の補佐をしていた。
その目の前に広がった大部隊が、輝くような光と共に一気に消えたのだ。
後に残ったのは一面の焼け野原だ。

「……熱、だな……」

隣の馬に乗っているザクセンが呟く。同じように驚愕していたものの、彼はアスターより早く自分を取り戻した。指を前方へと向ける。

「見ろ。地面が真っ黒に焦げている。熱気で視界がゆらゆらと歪んでいる。
倒れた兵の鎧も溶けている以上、熱であることに違いない。とにかく強烈な熱、それにやられたんだろう」
「熱……すると炎系の印の技か。しかし、こんな強力な印は見たことがないぞ!!」
「そうだな、印じゃないかもしれない。だが強靱な熱を操る存在ってのはいる。青竜ディンガに匹敵する攻撃力を持つ竜、紅竜の得意技が熱だ」
「紅竜!?けど、ヤツの使い手はサウザプトン国じゃなかっただろ!?」
「今はそれを追求している場合じゃねえ。一刻も早く戦場を退かねえと、第二撃がきたら、うちの隊も二の舞になるぞ」
「そうだな。こんなばかげた強さの武具に敵うわけがない。とっとと逃げねえと」

その時、周囲を見回していたアスターの視界に見慣れた青が入った。青。それは青将軍のコートだ。

「!!!」
「おい、アスター!?」

とっさに馬を走らせるアスターにザクセンがついてくる。
相当な距離を吹き飛ばされたのだろう。地面に倒れた相手は服がボロボロだった。印に対する防御力のある戦時用のコートがこの有様なのだ。普通の服ではひとたまりもなかっただろう。
アスターは馬を飛び降り、相手に駆け寄った。

「ホセ!?おい、ホセ、しっかりしろ!!」
「……ぅっ……フォ…ド……フォ…ド…は…無事、…か?」

ホセとフォードはいつも一緒に行動している親友同士だ。仲が良い二人は連携攻撃が得意であり、戦場でも一緒のことが多い。今回も二人の部隊は隣接していた。
しかし、アスターは答えられなかった。見回す限り、他の将の生き残りはいない。焼け野原なのだ。

「ザクセン、引き上げてくれ!」
「判った」

ホセは大柄な体格だ。長身のアスターでも容易に馬へ引き上げることはできない。
アスターはザクセンに手伝ってもらって馬へ引き上げると、軍人ならば誰もが持っている小さな丸薬を取り出して、ホセに無理矢理飲み込ませた。常用すれば体を害する麻薬だが、強烈な痛み止めとなるこの薬は戦場の常備品だ。
この状況で、戦場に長居するのは得策ではない。
生き残りがどれほどいるのか判らない。だがこれほどの戦闘力を持つ敵にまともに戦っても被害を増やすだけだ。
この敵には、どれほど足掻いても敵うはずがない。そう決まれば話は早かった。

(逃げるしかねえ。本国まで全力で逃げる!!)

本来、敵に背を見せることは恥じるべき行為だと言われている。
しかし、一般兵出身のアスターは良くも悪くもそういったことに躊躇いがない。
今は生き残りを助けて逃げなければならない。頭が瞬時に切り替わる。

「ホーシャム!作戦3だ、3!!急げ!!」
「判ったぞい!大至急、作戦3を打ち上げろ!!」

ホーシャムの指示を受け、近くにいた騎士が慌てた様子で馬を下りると、馬から離れ、小型の花火を打ち上げた。パンパン…と空で3回、音が鳴り響く。
敵に知られては困るので花火による伝達は最終手段として用いられている。今まで使用することがなかったこの伝達の内容は『負傷者を収容し、速やかに戦場より撤退すること』を意味する。言い替えれば『なりふり構わず、逃げろ』だ。
アスターも指揮官としてこの花火を使用するのは初めての経験であった。

「信じられねえ」
「そうじゃのう……」
「この目で目の当たりにしても信じられねえよ。一体何が起きたんだ……」
「軍歴40年以上のワシでも初めてじゃよ」

負ける要素がなかった小国相手に敗戦。
それ以上に目の前で起きた光景が信じられなかった。
目の前に広がっていた大軍が一気に消滅したのだ。

(くそ……!!)

一体どれほどの人数が生き延びることができるだろう。
とにかく今は逃げることしかできない。撤退する上で最善のことしかできない。
何が起きたか判らない以上、これ以上被害を拡大させないことが重要なのだ。

「急ぎ、エドとトマを呼べ!!ローはどこだ!?撤退の先頭を命じる!退路の確保を急げ!!」

矢継ぎ早に指示を出していると、左翼と右翼からそれぞれ伝令が駆けつけてきた。赤将軍たちから放たれた伝令だろう。

「アスター将軍!!左翼と右翼の前方には生存者がいる模様です!!負傷者の回収はいかがなさいますか!?」

アスターの目の前、つまり、中央部隊は生存者がいるように見えない。完全な焼け野原なのだ。
しかし、左翼と右翼の前方はそうでもなかったらしい。

「クッ……左翼はシプリ部隊、右翼はマドック部隊に最後尾を命じる!!他部隊は撤退を優先しろ!!……シプリとマドックには無理をするなと言え。逃げることを優先してもかまわねえ。俺が全責任を取る!」
「御意!!」
「ただの一撃で強力な熱にやられたんだ!!二撃目が来ると耐えきれねえ!!とにかく撤退を急げ!!」

伝令が来たときと同じように猛スピードで戻っていくのを見送り、アスターは苦い想いを抱いた。
大量の死者が出た今、少しでも生存者を増やしたい。怪我人は一人でも多く収容したい。
しかし、これ以上死者を増やすわけにもいかない。ヘタに戦場に留まり、第二撃が来たら目も当てられない状況になることが明らかだ。本当に全滅してしまう。
指揮官としては、撤退を優先させなければならない。しかし、怪我人の回収を怠ることは助かる可能性がある味方を見捨てることになる。
部下の安全を思えば、撤退を優先させたい。
しかし、味方を回収するなと断言するわけにもいかない。

(シプリ、マドック、すまねえ……!!)

とても危険な任務を命じてしまった。しかし、命じないわけにもいかなかったのだ。苦渋の選択だった。

(すまねえ……!!)