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◆緋〜死の熱を持つもの〜(2)


アスターの上官ホルグ黒将軍は、武闘派の将である。
筋骨隆々とした男らしい体に短い黒髪と黒目を持ち、体のあちこちに残る傷跡が当人の精悍さを増している。
そんなホルグは部下を公平に扱うことでも有名である。
部下の出撃回数も均等に行い、レンディやノースのように特定の部下を必ず連れて行くということはしない人物であった。

軍本営で開かれた黒将軍会議にて、新たな戦いに出る将が決まり、ホルグは上機嫌で本会議室を出た。
東の大国ウェリスタへ陽動に出る将がレンディとゼスタ。
本命の戦いとなるサウザプトン戦をホルグとブートが引き当てた。
久々の出撃を、それも本命の戦いの方を引き当てたことでホルグは喜んでいた。大きな戦いなので部下もすべて連れていくことができそうなことも嬉しかった。
会議室から少し離れた控え室で待っていた部下のうち二人にそれを告げると、彼らも大層喜んでくれた。手柄を立てることができる戦いに出撃することは青将軍たちにとっても嬉しいことなのだ。
そうして己の公舎へ戻ろうとしていたホルグを呼び止めたのは、同じ会議に出ていた人物であった。
茶色の髪に灰色の瞳を持つ小柄な男性、ノースだ。

「ノース将軍か。どうなさった?」

己よりもずっと年下だが、黒将軍としての経歴は上である人物にホルグは丁寧に問うた。

「頼みがあってね。アスターを貸してもらえないかい?」
「アスターを?またか。そなたはよくアスターを借りたがるな。レンディ将軍やギルフォード将軍にも頼まれたことがあるぞ。あれはそれほどよき将か?」

アスターは青将軍の中では目立たない将だ。上級印持ちでもなく、目立った経歴もない。運良くそれなりの功績を立てることができて、将になれた、としか思えない人物である。
しかし、そのアスターはよく他の黒将軍から『貸してくれ』と依頼がくる。それがレンディやノースといった功績の高い名だたる将であるため、ホルグ麾下の将たちにも嫉妬されていた。
ノースは軽く眉を寄せ、己よりずっと背が高い相手を見上げた。

「私からアスターを引き抜いた君の台詞とも思えないな。アスターの能力を知っているからこそ引き抜いたのだと思ったが?不要ならすぐにでも返して欲しいぐらいだ」
「心外だ。別にアスターを低く評価しているつもりはないぞ。よき将だと思ったから勧誘したんだ。だがこれほど他の将に欲されるほど優れているとは思わなかったのでな。特にそなただ。それほどよき将を抱えているのに何故アスターを欲する?アスターより優れた将は山ほど抱えているだろうに」

ホルグの疑問はホルグ麾下の将たちの疑問でもある。ホルグの背後に控える青将軍らもノースの返答を興味深く待った。
ノースは眉を寄せたまま、静かにホルグを見つめ返した。

「難攻不落の砦をわずかな日数で落とせる将がどれほどいる?」
「うん?それはベランジュール国のシガン砦のことか?」

難攻不落の砦を落とした、といえばすぐにベランジュール国の砦のことが頭に思い浮かぶ軍人は多い。あの砦を落とすことに成功したのはそれほど意外な結果であり、それだけに大きな功績となった。
あの戦いではレンディ軍も一時危機に陥った。それを立て直すことができたのも砦を落とすことができたからだという見方が強い。砦を落とし、デーウス軍が回り道をせずに駆けつけられたからこそ、レンディ軍の危機を救うことが出来、戦いに勝利することができたのだ。
シガン砦を落としたのはノース麾下の隊だった。そのためシガン砦はノースの策で落とされたと思われていた。

「シガン砦はアスターが落とした。何故か私が策を与えたと思われているようだが、そんな事実はどこにもない。あれはアスターの隊が主導となってイーガムと落としたんだ」
「ほぉ!それは知らなかった!」

ホルグは驚きの声を上げた。彼の麾下の将たちも驚いた様子を見せている。

「彼の隊は確かに抜き出たところがない。しかし、彼はそんな隊を率いて、難攻不落の砦を落とし、王都の激戦を勝ち抜いて見せた」

シガン砦を落としたアスターの軍はそのままレンディ軍と合流し、激戦に入ったのだ。
そしてレンディ軍の窮地を救い、見事勝ち抜いたのだ。

「強き隊を率いて、勝利するのは簡単だ。部下がよければ愚かな上官でもある程度、結果を出すことができるだろう。
しかし、その逆であればどうか?弱き隊で激戦を勝ち抜くことがどれほど厳しいか、そなたらにも判るだろう?アスターの軍は強くない。だがいつも彼の隊の生存率は高い。
彼はどんな戦いでも私の期待を裏切ったことはない。だから私は彼を高く評価している」
「なるほど……。よく判った。俺も少々アスターの評価を改めねばならんな」
「それで、貸してくれるのか?」
「それを聞いて貸せなくなった。これから本命の戦いだからな。是非連れていきたい。悪いな、ノース将軍。
そもそも、そなたの任務は内乱の鎮圧だろう。青将軍の一人か二人に命じれば済むことだろうに」

わざわざアスターを連れていくことはないのでは?と暗に問うたホルグに、ノースはため息を吐いた。

「カークがうるさくてね。君にアスターを取られた後、どれほど責められたことか。元々、アスターはカークの部下だったのでね…」
「ふむぅ、下世話なことだから今まで問わなかったが、アスターはカークの愛人なのか?」
「あいにく部下のベッドの中での事情までは私は関知しないようにしている。特にカークのプライベートに関しては一切関わらないようにしているんだ。理解できないのでね」
「ハハ、確かに理解できそうにないな!俺も無理だ」

ともかく今回は諦めてくれとホルグが告げると、ノースは苦笑気味に頷いて去っていった。
今回はホルグの受けた戦いの方が重視される。ノースは単なる内乱の処理を行えばいいだけであり、内乱の規模自体も大きくないため、危険性も低いのだ。
こうしてアスターが知らぬところでアスターの処遇が決定した。
そしてこのことが彼の運命を大きく変えることになる。