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◆月〜造られし感情の行方〜(25)


ジリエーザ戦が勝利に終わり、部隊と共に帰国したアスターは、カークの元へ向かった。傭兵団から依頼があったショーンという傭兵を引き取るためである。
そのショーンはカークの屋敷でほぼ全裸という状態だった。かろうじて股間は黒い下着で隠されていたが、何をされている最中なのか非常に息が荒かった。
なるべく相手の体を見ないようにしつつ、傭兵団に戻りたいなら出来るだけ力になるが、と伝えると、当人は首を横に振った。戻る意思はないらしい。容易に予想できたことだったので、アスターはあっさりと引き下がった。
カークに引き取られた捕虜は、ほぼ100%離れなくなる。そのことをアスターはよく知っていた。

「ジョルジュとカーディは貴方の麾下に入ったのですか?」

屋敷を去るとき、カークにそう問われた。

「はい、そうです。彼らをご存じなんですか?」
「ええ、少しばかり縁がありましてね。そうですか、二人をお願いしますよ」
「はい」

次にアスターはノースの公舎へ向かった。ジョルジュとカーディとの約束を守るためである。
二人とは公舎前で合流した。
ノースの執務室にはダンケッドがいた。絵のようなものを見ているようだった。
ダンケッドは二人を知っているらしく、アスターが連れて入ってきた途端、動きを止めて二人を見ていた。

「傭兵団からうちの部下として引き抜きました。ノース様にお会いしたいと申していますので連れてきました」

ジョルジュとカーディはとても緊張しているようだった。
下手なマネはしないだろう。ノースをとてもよく慕っている様子が見受けられる二人だ。
しかし、それでも念のためにと注意して見守っていると、二人は涙目になったまま、お元気そうで何よりだ、というようなことをかろうじて口にした。

(ノース様に恩があるって言ってたけど……)

ノースはよく人を助ける人物だ。その頭脳で人を助けることは多く、場合によっては敵や無関係の人間を救うこともある。民間人は無条件で助けるし、戦場外でも人助けをしたという話はよく聞く。彼ら二人はそんな風にして助けられたんだろうとアスターは思っている。
しかし、ノースにしてみればたくさんいる助けたうちの二人だろう。恐らく覚えていないんじゃないかとアスターは思う。

ダンケッドは木炭による素描を応接テーブルの上に並べながら、ちらりと二人の傭兵を見た。

「ゲルプの古狼にいたのか。そなたがあんなところで拾い直してくるとは思わなかった」
「え?拾い直す?」
「奴らは奴隷だ。ノース様が金を与えて解放した連中だ」
「へえ…」

アスターの想像とは違ったが、そういう事情があったらしい。
しかし、ノースの反応はアスターの想像と全く異なるものだった。

「愚かなことを。軍人になどなるんじゃない。去れ」

アスターは慌てて割り入った。

「ノース様、こいつらは俺の部下なので。無礼があったのであれば謝罪いたします」
「では、一度私が引き取ろう。ダンケッド、君の麾下に入れて放逐したまえ」
「ちょ、待ってください、ノース様。俺は承諾してません。何故、軍を去らせないといけないんですか?失礼があったのであれば謝罪いたしますが、こいつらはゲルプの古狼で鍛えられたよき傭兵なんですよ」

ノースと二人の間にある事情を知らないアスターには困惑するばかりだった。
一方のノースもアスターの言葉に思うところがあったらしい。泣きかけている二人を見遣った。

「腕がいい傭兵。それは本当か?」
「はい。ランク7だと聞いてますが、そのランクはあの傭兵団では中堅となります。実際、傭兵団の幹部たちにも将来が楽しみな傭兵だったと言われました」
「………愚かな…」

その言葉は蔑みではなく、哀れみや悲しみが強い言葉だったため、アスターは怒ることなく黙り込んだ。

「人を殺す感触を知らぬ手だっただろうに……その無垢なる手を血で染めることなど知る必要はなかっただろうに、何故そんな道を選んだ。そなたらの手は愛する者を愛する為の手だっただろうに」
「…っ、貴方を、愛する、為だっ!!」

叫び返したのはジョルジュだ。
いつも優しい笑みを浮かべている優男という雰囲気の青年だが、今は涙でボロボロだ。整った爽やかな容姿が涙で酷く崩れている。

「貴方がっ、許してくださらなくても、俺は貴方しか、愛せない」

事情を知らぬアスターにもその声は心を打つ叫びであった。

「二度と会えずとも…貴方のために、何かしたかった。将を欲しがってらっしゃると聞いた。強くなって、もっと、強くなって……もしかしたらと、思った。……なれなくても、お金を貯めて、貴方に贈りたかった」

傭兵は命の危険性が高い職業だけあって収入がいい。有名な傭兵団であれば金を貯めるにも有利だったことだろう。
ジョルジュの声は涙で酷く聞きづらかったが、かろうじて通じた。
いつも冷静沈着なノースが珍しく気圧されているのが見えた。

「幸せを……願って、くださったけど……っ、俺は、そんなことよりも……ただ、貴方の側で生きたかった……」

もう一人の傭兵カーディの言葉はない。彼は無言で俯いている。しかし、ずっと静かに泣き続けているのが判った。

「幸せを願ってくださるのなら……どうか、どうか、お側においてください、ノース様」

彼らの言葉にノースが何を思ったのかは判らない。
しかし、ジョルジュの言葉にノースが静かに頷いたのが見えた。
側にいたいという二人の願いは受け入れられたのだ。