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◆月〜造られし感情の行方〜(23)


一方、ゲルプの古狼本拠地の奥深くでは、捕虜となった女性たちが集まっていた。
その中の一人である若い女性は、子供が新鮮なミルクを飲んでいる姿を複雑な気持ちで見守っていた。
この地でミルクはまず手に入らない高級品だ。とても狭い地であるため、放牧可能な場所がないからだ。
しかし、この地を制圧した軍はミルクを持っていた。山羊を連れていたのだ。
しかも理由が変わっている。『出産間近な妊婦さんがいるかもしれないから』連れているのだという。軍と妊婦の関係が結びつかない。何とも理解しがたい理由だ。
しかし、おかげで助かった。ストレスで母乳が出づらくなっていたのだ。
この地は貧しい。その上、最近は兵糧の節約のために食事も質素なものとなっていた。
しかし、それも戦いが終わるまでだった。ここを制圧した軍は捕虜にも豊富な食料を分けてくれた。
食べないわけにはいかない。死ぬわけにはいかないからだ。それでも複雑になる。

民間人の担当となったのは女の赤将軍であった。
『アタシが担当だから安心しな。女子供への暴行行為は絶対にさせないよ』と言い切り、うちの幹部にそういう連中はいないけどね、と言って笑った。
女性への暴行は捕虜となった場合、よくある被害だ。それがなさそうだということで皆が安堵したことは言うまでもない。

「足りないものがあったら遠慮無く言いな。薬、炭などの燃料、ミルク、服、何でもあるよ」

その台詞に彼女は顔を上げたのだ。
彼女の母乳が出づらくなっていたことを知っていた周囲も、申請したらどうだ、と言い出した。
そのため、勇気を振り絞って、赤ん坊用のミルクが欲しいと言うと、女の赤将軍はあっさりと頷いてくれた。

「いつも赤ん坊用に乳が取れる生き物を連れているからね。用意してあげるよ」
「乳を…」
「以前、ミルクの確保に苦労したことがあってね。念のために連れ歩くようになったのさ。うちの軍だけだろうね、そんな軍は。まぁこちらの話さ」

ある砦での出産劇を知るよしもない女性に、女将軍は苦笑し、山羊を貸してくれることを約束してくれた。
そこへ二人の将がやってきた。
一人は老齢、一人は壮年の男だ。どちらも赤いコートを羽織っているので軍幹部の赤将軍だろう。

「おおい、カーラ。民間人はここか?」
「これで全員なのか?」
「いいや、ここは女子供の部屋だからね。男どもは砦内部で働いている連中が中心だと聞いているよ」
「畑のことで話を聞きたいんじゃがのぅ」
「畑?」
「見事な段々畑があったじゃろ?」
「あぁ、あれかい」
「畑はあるのに水路が見えなかったんで、気になってなぁ…」

何とも庶民臭い会話である。
そうして二人は名乗り出た一部の農民と共に去っていった。

「なんだか……大国の軍人さんと言っても普通の人なのね…」
「そうだね…」

とても怖い人たちだと思っていた。隣国を次々に吸収していく大国の将だ。とても恐ろしい人たちだという印象があった。
しかし、実際に会うと、全く印象は異なっていた。さきほどの老将など好々爺にしか見えなかった。
少し安堵する。敵とはいえ、酷い扱いを受けることはなさそうだ、と。

腕の中にいる暖かな重みが愛おしい。大切な赤子は満腹になって眠っている。
戦乱になったら命に替えても赤ん坊だけは守りたいと思っていた。何もできないが、我が子だけは、と。
だが、何とか赤ん坊を守りきることができそうだ。
彼女の切実な願いは叶えられたのだ。