文字サイズ

◆月〜造られし感情の行方〜(19)


そうして始まったジリエーザ戦はアスターの目には順調に見えた。
元々、レンディの軍は最強を誇る。
この戦いのために戦力を温存していたこともあり、最前線で圧倒的な強さを見せた。
そしてパッソの軍も白兵戦を得意とする頑強な軍だ。
スターリングの軍は代替わりしたばかりとはいえ、元々の基盤がデーウスの軍だけあり、しっかりしている。他の軍と見劣りするところは全くなかった。
ジリエーザ国の拠点を順当に落としていく味方に対し、アスターは安堵していた。後方支援部隊は後背を守ることと各前衛部隊への補給が主な任務だ。そして本国との繋ぎの役割も果たす。今回のように戦いが順当な場合はほぼ安全な任務であり、何ら苦労はない。
そのため比較的のんびり構えていたアスターだったが、戦いが後半にさしかかろうという時、最前線にいるレンディ軍に呼び出しを受けた。
現地にたどり着くと、そこには青将軍が全員集まっていた。
アスターはその場でゲルプの古狼を青以上の将全員で叩きつぶすと知らされた。

「有名な傭兵団を相手に半端な戦力じゃ死者が増えるばかりとなる。よって、精鋭部隊を使えというんだ。それも思い切って青以上で編成しろという。それが出撃前に聞いたノースからのアドバイスでね」

私としては毒霧で本拠地ごと叩きつぶしてもよかったんだけれど、などというレンディは、その意見を正直に告げてしまったためにノースの怒りを買ってしまったらしい。

「人口3000人もいなさそうなとてもちっぽけな村で本拠地も小さい。私一人で十分潰せそうなんだけどね。これだけの精鋭を使うなんて効率が悪すぎる」

そうぼやくレンディはまだ未練があるようだ。
だからといって民間人ごと殺害というのはあまりにもむごすぎるだろう。

「ハッ、相変わらず殺ししか能のない血生臭いガキだ」

そう言って吐き捨てるのはパッソ黒将軍だ。
大柄な体格を持つ武闘派の彼は元々レンディを嫌っている。やり合うことも多い。
冷ややかな視線が絡み合い、緊迫した空気が流れる。
黒将軍会議であれば、もめ事を嫌うノースがやんわりと宥めることが多い。デーウスがいた頃はデーウスが宥めていた。
しかし、今ここにはノースがいない。今回ノース軍は加わっていないのだ。単独で参加しているカークは二人のやりとりに興味なさそうな顔をしている。
スターリング黒将軍はまだ彼らの関係がよく判らないのだろう。無言で二人のやりとりを見ている。
呆れ顔でため息を吐くのはホルグ黒将軍だ。明らかに面倒くさそうな顔で様子を見ている。
青将軍は誰も口だししようとしない。黒将軍同士の会話に割り入る勇気がないのだ。

「じゃあ、お前が行けよ、パッソ。落とせる自信があるんだろ?」
「あぁ?何だと?俺は王都担当だ。最初にそう決めただろうが」
「そうだね、今回は王都を落とす方が何倍も楽だからね。いいクジを引き当ててよかったね、パッソ」
「テメエのくじ運の悪さを棚に上げて何言いやがる。めんどくせえのなら好きに落とせばいいだろうが。テメエがノースに何て言われようが俺には関係ねえからな」
「そうだね、そうしようかな、面倒だし……」

どうにも雲行きが悪くなってきたことにアスターは焦った。
正直言ってゲルプの古狼には興味がない。彼にとってはただの有名な傭兵団か、というだけだ。
しかし、だからといって民間人ごと殺害というのはいかがなものかと思う。傭兵団の本拠地となっているという小さな村には女子供も多くいるだろう。そこを青竜の毒や酸で一網打尽にすれば、ますます青竜の悪評が広がることだろう。そんなことをレンディにさせたくもない。
何より、本拠地にはもしかしたら友が潜入しているかもしれないのだ。

「あー、お待ち下さい。俺はノース様の案に賛成です」

突然、レンディに発言したアスターに驚いたような視線が集まる。
直属の上官であるホルグも驚いたようにアスターを振り返った。

「民間人も多く巻き込まれてしまうと思いますし、有名な傭兵団ですからいい人材がいるかもしれませんし…」

そこでちらりとカークの方を見ると、カークは頷いた。

「ええ、よき男がいるかもしれません。将来のハーレムに入れるかもしれない人材を殺されては困りますよ、レンディ」

そう?とレンディは思案顔になった。
積極的に賛同する様子ではないが、アスターとカークからの意見ということもあり、多少心動かされてくれたようである。
あと一歩のようだと思い、アスターは付け加えた。

「それに…個人的な要望で悪いんだけどよ、もしかしたら俺の部下が潜入しているかもしれないんだ。腕の良い弓矢使いなんだけど…」

弓矢使いということでギルフォードも気付いたらしい。やや慌てた様子でクイクイッとスターリング黒将軍の腕の服を引っ張る。
言葉にされないやりとりだったが、付き合いの長い運命の相手同士にはそれで十分だったらしい。スターリングは心得た様子で口を開いた。

「カークたちの意見に賛同する。皆殺しはよくない」

シンプルな意見だったが、黒将軍の一人が賛成してくれたことが決定打となった。

「判った。ノースの案を取り入れるよ。俺は外の抑えを実行する。内部の制圧は君たちに任せるよ」
「判りました」
「ありがとう、レンディ」
「うん。……アスター、その弓矢使いの安全は君が確保してね」
「問題ない。あいつは強いからお前と対峙しない限り、死ぬことはないと思うんだ」
「ふぅん、そうなんだね」

そうして会議は終わった。
その後、アスターはホルグ麾下の同僚たちに呆れ顔をされた。

「全く、あのレンディに意見するなど、肝が冷えたぞ」
「無茶をするな」
「仲は良いようだが、無礼なマネはするんじゃない」

同僚たちの目には、アスターの行動がとても無茶なものに見えたらしい。
上官ホルグは何も言わなかったが、アスターは同僚たちに心配させたらしいと気付き、少し申し訳なく思った。

「悪ィ」

そこでアスターは肩を叩かれた。ギルフォード青将軍だった。

「アスター青将軍!さきほどの話は本当か?」
「え?あぁ、レナルドですか。そうなんですよ。まだ確認したわけじゃないんですけど……可能性があるってだけでして」
「なんでそんな危険なことを命じたんだ!」
「命じてませんって!なんでそうなったのか、俺が知りたいですよ!」
「まさか捕らわれているんじゃ…」
「いや……それはない、とは思いますけど……」

しかし、長いこと戻ってこないのだ。可能性としてはあり得るだろう。
アスターが黙り込むとギルフォードの表情も暗くなった。

「ともかく出来るだけ早く探しましょう」
「そうだな……。おい、スターリング!俺は突入側に入るから軍は頼んだぞ!!」

比較的近くにいたスターリング黒将軍は眉を寄せた。

「困る。俺が突入する方がいい」
「何を言ってるんだお前は!!突入作戦に黒将軍が出てどうする!ただでさえ各軍から青将軍が出払うんだ、お前は大人しく軍を守ってろ!!」
「ずるいぞギルフォード。そんな面倒なことを俺に任せるとは…」
「ずるいとかずるくないとかいう問題じゃない!!立場が違うだろうが!!歴とした仕事だろうがっ!!」

淡々としたスターリングに怒鳴り返すギルフォードのやりとりをアスターはあっけにとられて見守った。
他の青将軍たちは慣れているらしく、驚いた様子はない。恐らく日常的なやりとりなのだろう。

(スターリング黒将軍ってこういう人だったのか……)

アスターはこれまであまり接する機会がなかったため、性格はよく知らなかった。
スターリングは、飾っておきたくなるほど見目の良い、黒髪長身の美青年だ。その容姿の良さはずば抜けている。
常に無表情で静かに喋る人物だが、口にしていることは『ずるい』だの『面倒』だの、なかなかシュールだ。少なくとも黒将軍が口にしていい台詞ではない。

「とにかく!!俺は未来の旦那を助けに行くからお前は大人しく俺の帰りを待ってろ!!」
「おみやげは?」
「そんなものあるかっ!!」

何だか苦労してそうな人だな、と思わずギルフォードに同情してしまうアスターの背後で、同僚の青将軍たちがひそひそと囁き合う。

「おい、旦那だってよ」
「そういえば彼の婚約者はアスター青将軍の部下だったな。潜入中の弓使いだったのか」
「ぜひ見てみたいものだ」
「アスター将軍の部下の方が『旦那』なのか。ほぅ……」

知らぬところで注目を受けているレナルドであった。