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◆月〜造られし感情の行方〜(15)


「…げるぷのころう、あれるのめいわく。いいおとこいる。おみやげに。……って何だこりゃー!」

己の公舎の執務室にて、アスターは側近兼友人であるレナルドから届いた手紙を読んで声をあげた。
赤将軍であるレナルドがふらりと姿を消すのはいつものことだ。
気まぐれな彼は将軍位についてから放浪癖が酷くなった。いつもふらりといなくなり、重要な時は必ず戻っている。そんな動物のような部下をアスターは好きにさせていたのだが…。

「ゲルプの古狼って言えばジリエーザ国に拠点を持つ傭兵団でしょ?」

居合わせたシプリの問いにアスターは頷いた。

「ん、まぁな…。有名だから間違いねえだろ」
「荒れてるわけ?」
「さぁ…『あれるのめいわく』って書かれてるからそうなのかもしれねえな」

今回、レナルドは珍しくアスターに行き先を告げて出て行った。
『セルジュのところへ行く』と言うので、だったら近くにある工事現場も幾つか見てきてくれ、と頼んだのだ。
行き先がハッキリしている上、危険な仕事でもない。そのため、多少帰りが遅くても全く気にしていなかった。
レナルドが不在であることに慣れているのも理由の一つだ。隊を持たないレナルドが一人いなくても、アスター軍全体の運営には何ら支障がないのである。

「ゲルプの古狼が荒れている、か。セルジュ様のところで情報を貰ったんだろうね。あの領地はジリエーザの隣にあるし」
「まぁな」

実際、その情報を期待して行くことを許可したとも言える。対ジリエーザ国戦が近い現在、情報は少しでも欲しいところなのだ。
もっとも、レナルドは許可があろうとなかろうと勝手に行ったかもしれない。彼はアスターの許可を得て行動することの方が珍しいのだ。

「けど、何でわざわざ手紙?苦手な文章を書くよりもさっさと帰ってくればいいのに」
「全くだ。この忙しいときに何やってるんだろーな、あいつ」
「いい男ってどこで見つけたのやら。そこら辺の一般人じゃないだろうね?捕虜ならともかく一般人を捕らえて連れてきたら犯罪行為だよ?」
「うーん、さすがにそれは判ってると思うけどよー。一応名前が書いてあるぜ。じょるじゅ、かーでぃ、しょーん、だそうだ」
「それだけじゃ捕虜なのか一般人なのかわかんないよ」
「うっ……一般人だったときはカーク様の所へお連れする前に謝罪して解放するから」

さすがの二人も当人がゲルプの古狼に潜入しているとは全く想像していなかった。


++++++++++


一方、噂の主はゲルプの古狼本拠地内にある食堂で、同僚たちと食事中であった。
内容はマッシュポテトやパサパサのパン、スープだ。
お世辞にも美味な食事とは言えないが、レナルドは黙々と食べた。戦時中の食事が充実しないのは当たり前だ。ここはまだ戦闘区域には入っていないが、近い将来、入ることが確定している。兵糧を食いつぶさないように節約するのは当然のことであり、戦い慣れたレナルドはそういった事情を熟知していた。
そのレナルドの隣にいるのは一緒に入ったラシルとディオだ。
20歳前後に見える二人は連日行われている厳しい訓練でぐったりしている。疲労のせいで食欲がないのか、食事はあまり進んでいないようだ。

「酒欲しい」

ぽつりとレナルドが呟くと、隣に座る黒髪黒目のラシルが顔を上げた。

「無理だって。酒飲めるようになるためには出世しなきゃ。ランクが最下位の10じゃ無理なんだよ」
「残念」
「お前よく食べれるなぁ…疲れてねえのかよ?」

感心したように言われ、レナルドは頷いた。

「平気」
「すげえな、お前。そんなに体力あるように見えねえのに」

しみじみと言われ、レナルドは、そんなものか、と思った。
入ったばかりの新兵である三人は、それよりも少し早く入った者たちと一緒に戦闘訓練を受けている。
やはり十代後半から二十代前半の者がほとんどだが、この危機下に入隊しただけあり、ゲルプの古狼に対して強い忠誠心や憧れを抱いている者が多い。要するにここを守ろうという強い意欲があるのだ。
それだけにやる気満々なのは大変いいことだが、厳しい訓練についていけているかと言われれば否だ。さすがに有名な傭兵団だけあり、科せられる訓練は厳しく、訓練途中に吐いたり倒れたりする者が続出している。
その中でレナルドはいつも訓練をやりとげている数少ない一人であった。
レナルドは一見したところ、ただの弓兵だ。ずば抜けた長身というわけでもなく、筋骨隆々な戦士でもない。見た目だけならすぐに埋没しそうなほど目立たない人物である。
しかし、中身は歴戦を生き抜いてきた、経験豊富な戦士だ。
生きるか死ぬかの戦闘を幾度もくぐり抜けてきたレナルドは、極度の緊張下で戦闘することに慣れており、何時間もの連続戦闘を生き抜いてきた経験がある。
そんなレナルドにとって、殺気のない訓練などただの肉体労働だ。どんなに厳しい乱闘だろうと、死の恐怖がない限り、精神的な疲労がない。精神的な疲労がなければ肉体疲労も遅い。生と死の恐怖というのはそれほど疲労を伴うのだ。それがないためにレナルドは疲れにくい。ただの訓練はレナルドにとっては大したものではなかった。

「おーい、巡回に行くメンバーが足りねえ。手が空いてるやつ、いたら来てくれ」
「あぁ?何で足りねえんだよ」
「ラシーが護衛任務にでてるからだ」
「あぁ、なるほど」

ガルバドス戦が近いために仕事で出ていた多くの傭兵が戻ってきている。
しかし、近場の仕事や短期の仕事は受けているらしい。

「8、9、10で手の空いているやつ、行ってこい!」

ただの見回りであるため、下位の傭兵の仕事となるらしい。
レナルドは該当していたため、立ち上がった。すると友人たちが驚いたように顔を上げる。

「お前、行けるのかよ?」

どういう意味だとレナルドは思った。手が空いているのだから当然行ける。腹ごしらえも済ませた。

「あの訓練受けて、巡回も行けるってすげえなお前。結構歩かなきゃいけないって聞いてるぜ?」
「平気」

あっさりと答えてレナルドは担当者の元へ向かった。

「見慣れねえ顔だな。新人か?」

レナルドは頷いた。

「新人は殆どぶっ倒れているか吐いているかだって聞いていたが、大丈夫か?途中でぶっ倒れられても連れ帰ってやれねえぞ?」
「平気」
「ほぉ、頼もしいな。お前名前は?」
「レナルド」
「そうか。じゃあレナルド、ついてこい」
「判った」

いきなり踵を返したレナルドに相手は顰め面で振り返った。

「おい、どっちへ行くつもりだ?」
「弓矢持ってくる」
「お前、弓矢使いなのか?もうかなり暗いぞ。使いものになるんだろうな、テメエ」
「平気。全部見える」
「あぁ?目が利くのか?」
「新月でも見える」
「ハ!そいつぁすげえな」

そうしてレナルドは先輩傭兵と共に見回りへ出た。
それは要所要所に異常がないか見回るために、本拠地とその周辺の地理を把握するのに便利な仕事となった。
見回りの隊長となっているのはランク8の男ジーバ。
年齢は50代だろうか。60に近いかもしれない。
なかなかしっかりした体格の男だが、肉体的にだいぶ衰えてきたためにランクを下げたのだという。一番高いランクのときは4だったそうだ。
その後ろについて歩いていっているのが、ジョルジュ。レナルドが目をつけている容姿のいい剣使いだ。ランクは7になったばかりだという。コツコツと頑張ってここまでこれたんだ、と笑っている。

「こいつがカーディと来たときはホントに酷かったもんだ。特にカーディのヤツは倒れてばっかりで絶対使い物にならねえと思ったもんだぜ」
「ひでえ言われようだな、おやっさん」
「本当のことじゃねえか。アリサが庇ってやんなきゃとっくに放り出されてたぜ」

アリサというのは、50代の女性で現在は厨房にいる。元々は女戦士で男顔負けに働いていた猛者だったそうだ。その女性がジョルジュとカーディに傭兵としての基礎を叩き込んでくれたのだという。

「アリサさんには頭が上がらないんだ」

アリサが口を利いてくれたおかげで傭兵団に何とか入れてもらえたのだというジョルジュはとても努力したのだそうだ。全く使い物にならなかったという二人を鍛え上げたのが、そのアリサとジーバであることは会話の中から何となく読み取れた。

「まぁ、ぶっ倒れたり吐いたりする連中は普通にいるけどな」
「今回の新人にも多いね」
「ぶっ倒れるか吐くかは、新人のうち8割は経験するからな。一人だけ体力のあるヤツがいるとチグに聞いてはいたが、お前だろ?」
「チグ?」
「お前等を指導している禿げたオヤジだよ」
「あぁ…ピカピカ」
「ハッハッハ!確かにヤツの頭はピカピカだが、チグのやつには言うなよ!殺されちまわあ!」

レナルドは唐突に足を止めた。

「あそこ」
「どうした?」
「サルがいる」
「チッ、作物を狙って来やがったな!追い払え!」
「判った」

レナルドは弓矢を構え、やや上の方の段々畑にいるサルを正確に仕留めた。

「おお、殺ったか!いい腕をしているな、お前!」
「余裕」
「この暗闇でよくあの距離にいるサルが見えたな…」
「見えると言った」
「確かに見えるとは言っていたが、大したもんだ」

サルは美味とはいえないが、食えないこともないため、持っていくことにした。

「お前、人を殺した経験は?」
「ある」
「そうか。ならば問題はない。お前なら新人部隊じゃなくてもよさそうだな。少し上の部隊を推薦しておいてやろう」

ジーバの言葉は褒め言葉のようだとレナルドは思った。ならば恐らくこれは出世話なのだろう。レナルドは頷いた。

「ありがとう」