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◆月〜造られし感情の行方〜(13)


ガルバドス国の将軍位に就く者は、引退時に金や領地を貰うことができる。
領地を治めたくない者は領地の代わりに更なる金を貰うこともできる。アスターの師であるロドリクはそのパターンだ。
領地を貰う方を選んだのは、ロドリクの元部下であるデーウスとセルジュであった。

レナルドはアスター青将軍の麾下の赤将軍である。
婚姻後、地方に領地を貰って引退した元黒将軍デーウスとその恋人セルジュを訪ねたレナルドは、こんなところにまで縄張り確認に来たのかい?とセルジュにひとしきり笑われた。不定期にセルジュの元を訪れるレナルドが、縄張りを確認する野良猫のように見えるらしい。
しかし、セルジュは嬉しかったようだ。レナルドがセルジュの身を案じて訪ねてくれたことに気付いているからだろう。
デーウスとセルジュが暮らす建物は、館というよりちょっとした城に見えた。堀や塀が作られていて、防衛に気を使って作られていることが判った。
中に入ってしまえば、綺麗な庭園が広がるので無骨な作りではない。しかし、外から見れば砦や要塞のような建物であった。
そんな建物の中にある綺麗な中庭に面した部屋で、レナルドはセルジュと向かい合っていた。
美味な茶と菓子を使用人が出してくれた。

「君、部下はいないのかい?」
「いない」
「……隊を持っていないのかい?」
「持っていない」

お前に持たせたら他人に隊を預けちまうだろ、とアスターに持たせてもらえなかったのだ。
もっとも、隊を持ちたいとは思っていないのでレナルドには好都合だった。
そうして自由気ままに振るまっているレナルドだが、苦情を言われたことはない。レナルドがこういう人物だと周囲も知っているのだ。

「相変わらずアスターは大物だね」

そう感想を告げたセルジュは、デーウスはいないのかと問われ、顔を曇らせた。

「痴話喧嘩?」
「違うっ!…そうだな、君にならいいだろう。ゲルプの古狼を知っているかい?」
「……傭兵」
「さすがに知っているか。その通りだ。有能さで有名な傭兵団だ。実はこの領地はそのゲルプの古狼の本拠地に近くてね。ゲルプの情報が入ってくる」

ゲルプの古狼は有名な傭兵団だ。
隣国ジリエーザに本拠地を持ち、様々なところから仕事を請け負っている。この領地はジリエーザとの国境沿いに位置しているのだ。
ゲルプの古狼は非常に有能で知られ、それだけに雇うために必要な金額も高いことでも有名だ。
プライドが高く、組織ぐるみで動く。傭兵団内部でランク付けがされていて、高位の傭兵は将軍位並の実力を誇ると言われている。
それだけにレベルが高い。入団するのも難しいと言われる、そんな組織だ。

「ゲルプはどこにも属さない。今まではジリエーザ国で自治を認められていたそうだ。しかし、ガルバドス戦が間近となったことで雲行きが変わってきた」

ガルバドス国はけして自治を認めないだろう。これまで落とした国はすべて王族を皆殺しにして反逆の根を絶やしてきた国だ。自治を認めるような甘さのある国ではない。

「ゲルプは移転するか今の地に残り続けるかで意見が対立しているらしい。ただ、ゲルプは大きな組織だ。代々、ゲルプの自治領で傭兵団のために働き続けてきた一般人も多い。その者たちを残して傭兵だけで移転することに躊躇いがあるらしい。だが一般人ごと移転できるはずもない。それ相応の広い領土が必要となるからだ」
「……自治じゃないと駄目?」
「それは当然だろうね。領主が来れば領主の命令に従って土地を治めねばならなくなる。ゲルプの古狼のようにプライドが高い組織は自分たちの上に主を抱くことを認めないだろう。その点、ジリエーザ国とゲルプの関係はうまくやっていたと思うよ。ただ、今回ばかりはそれもうまくいかないだろう」

ガルバドス国が傭兵団の自治を認めるはずがない。軍事大国は一傭兵団ごときの戦力を必要とはしていないからだ。つまり、ジリエーザ国がやっていたようなゲルプの古狼との取引は成り立たない。
しかし、ゲルプの古狼は強い。有名な傭兵団だけあり、将軍クラスの傭兵も複数属しているという。さすがのガルバドス国も落とすのは苦労するだろう。

「最近、レンディ軍がずっと参戦していなかっただろう?」

うん、とレナルドは頷く。
ガルバドス国において最強を誇るレンディ軍が全く参戦していなかった。それは事実だ。

「ジリエーザ戦に向けての準備を行っているのだろうともっぱらの噂になっている」

そのせいで余計、ジリエーザ国はピリピリしているようだ、とセルジュ。

「ここ、場所悪い」

何故よりによって、ジリエーザ国近くの領土などもらったのか。
そう思って問うたレナルドにセルジュは苦笑した。

「地理的には悪くない場所なんだよ。交通の要所となれる場所にあり、土地自体も肥えた良い土地だ。ジリエーザ国を落としてしまえば、の話だけれどね」

ガルバドス国がジリエーザ国を落とすことを前提にして選んだと知り、レナルドは驚くと同時に呆れた。ずいぶん大胆な先物買いだ。

「それに我々でなくてはならなかった。ジリエーザ国に近いこの地を治めるためにはある程度、自衛することが可能な領主が就く必要があった。
だが、領主が持つ戦力は限られる。我々も自衛のための戦力を持ってはいるが心許ない。
けど私たちならば、まだ軍に顔が利くからね」

ガルバドス国では貴族や領主が大きな戦力を保有することは許されない。内乱を防ぐためだ。
セルジュやデーウスは元将軍であるため、個人的戦力も高く、ついてきてくれた元部下もいるため、それなりの戦力にはなる。しかしあくまでも自衛程度でしかない。国が持つ力に比べれば段違いなのだ。
しかし、デーウスとセルジュは軍に顔が利く。
元部下には現在黒将軍のスターリング、将来黒将軍になる可能性が高いギルフォードと名だたる将がいる。
もちろん現在赤将軍のレナルドも地位的には軍の高官であり、セルジュの味方だ。現に今現在も様子を見に領地へ訪れている。

「ジリエーザ戦が近いだろう?」

近年まで軍幹部だったこともあり、セルジュは状況を正しく読んでいる。セルジュには隠すことでもないのでレナルドは頷いた。

「年末確実。アスターが言ってた」

予想通りだったのかセルジュは頷いた。

「やはり、そうか。今年か来年だろうと私も思っていた。向こうも薄々判っているのだろう。ゲルプの古狼は戦闘準備に入っている。自治が認められる可能性が薄いと気付いているのだろう」

レンディ様が出てくるだろうし、とセルジュ。

「巧みな戦術を得意とするノース様ならともかく、最大の攻撃力を持つレンディ様じゃ被害が大きくなるだろう。彼等も判っているから必死なんだ。追い詰められた者はどんな手に出てくるか判らない。領地が近い我々も自衛する必要がある」

レナルドは顔を曇らせた。
この地が荒れるのは困る。セルジュが暮らす地が落ち着かないというのは、レナルドも落ち着かない気分になる。

「夕刻になればデーウスが戻ってくる。そうすればもう少し情報も入ってくることだろう。待っていてくれるかい?」

レナルドは頷いた。
別にデーウスになど会いたくないが、領土の安全は気がかりだ。情報も欲しい。
ついでにいえばデーウスとセルジュが元気であるかどうかは恋人のギルフォードが気にしていた。彼は元上官である二人を尊敬している。その二人の顔も見ずに帰ってきたとなれば機嫌を損ねることだろう。見たくなくとも見て帰る必要がある。

「ところでギルフォードとはうまくいっているのかい?」

レナルドは素直に頷いた。

「可愛い」
「可愛い?それはギルフォードのことかい?」

ギルフォードは一般的な『可愛い』と言えるタイプではない。
長身でしっかりとした筋肉がついた体を持つギルフォードはどちらかといえば精悍な顔つきをした男らしいタイプの人物だ。あまり筋肉がつくタイプではないレナルドの方がひょろりとした体をしている。

「そう。可愛い」
「……そうか。まぁ……うまく行っているようで何よりだ」

何故笑われているのか判らなかったが、祝福されていることは判ったため、レナルドは頷いた。
ギルフォードとはうまくいっている。何の問題もなく、幸せだ。
何故かギルフォードの弟シプリには反対されているが、ギルフォードの両親は認めてくれたので今のところ婚姻の障害はないと言っていい状態だ。お互いに結婚しようとも言い合っている。
恋人を思い出して幸せな気分に浸っている内にデーウスが戻ってきた。
レナルドがギルフォードから預かってきた書類だの手紙だのをセルジュが見せているのを、何となく見つつ、この家の使用人が入れ直してくれたお茶を飲む。
そして軍や元部下の様子をデーウスが問うてくるのを彼なりに答え、傭兵団の情報を教えてもらう。やはり情勢はよくないらしい。

「ゲルプの古狼は強靱な武具を持っている。そこが一番のネックだ」
「武具……」
「むろん、七竜ほどではないが、戦局を一気に変えることが出来る十分強い武具だ。人が持つ生気を吸い取って力とする武具のため扱いが難しくて乱用することはできないという。しかし、ガルバドス戦では確実に使ってくるだろう」
「その武具を破壊することができれば、ゲルプの古狼も戦意を失って降伏してくれるかもしれないがね。死者を減らすためならば降伏してくれるのが一番いいんだが……」

そう話し合う二人を見て、レナルドは武具の破壊を決意した。
スパイならば得意だ。忍び込んで武具を壊してしまえばいい。簡単ではないか。

(ゲルプの古狼、荒れるの迷惑)

実際は上官であるアスターが『助けろ』とでも命じない限り、セルジュの生活が荒れようがレナルドに関係はないのだが、レナルドは反射的に困ると感じた。セルジュが冗談めかして言うようにセルジュの生活がレナルドの縄張り範囲に組み込まれてしまっているのである。

(セルジュが困るの、とっても迷惑)

張り切ったレナルドは入ってきた窓から出ていき、セルジュとデーウスは呆れ気味に見送った。

「窓から入ってきて、窓から出ていくとは相変わらずノラ猫のようだね、彼は」
「全くだ…」

気まぐれにやってきて気まぐれに去っていくレナルドに苦笑を零す二人であった。