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◆月〜造られし感情の行方〜(8)


ノースの祖父はいつも書物を読んでいた。
ノースは祖父に抱かれながら昔話を聞くことが好きだった。軍師であった祖父の昔話は戦いの話ばかりだったが、大好きな祖父だったため、飽きなかった。
祖父が集めた書物は今も実家にある。その中には貴重な書物もある。貴族に狙われたこともある書物だ。
家族を守るために軍に入った。祖父の形見である書物も手放すつもりはない。

「軍は大きな力を持つ。俺がもっともっと大きくする。お前も強くなればいい。権力を握れば回りに好き放題されることもない。腕力ばかりが力じゃない」

来い、とレンディは告げた。

「お前と俺で国をもっと強くしよう。お前が策を練れば俺が完璧に実行してやる」
「行くよ」

正直言って、レンディの考えには賛同できないことも多い。
しかし、彼はノースの弟妹たちにも興味を示している。
ノースの大切な家族を守るためには、ノース自身が強くなるしかない。残された家族を守るためにはノース自身が力を得る必要があった。レンディや権力者から弟たちを守るために。

(本当は武術も身につけたいんだけどね)

ノースはそう思う。
望む権力は手に入れたと言って良いだろう。ノースの弟妹はノースの持つ黒将軍という権力によって保護され、使用人付きの何不自由ない暮らしを送っている。
しかし、多忙なノースは武術を身につけることは出来なかった。多忙すぎてそんな暇がないのだ。ノース自身の護衛は側近たちが行ってくれている。特にカークは執務中、殆ど側にいてくれている。やっていることは仕事半分、遊び半分といったところだが、護衛という意味では十分役に立ってくれている。

『ディルクにも命じたらいかがです?』

カークはそう言ったが、ノースにそのつもりはなかった。仕事以外では側に近づける気はないのだ。
性的な意味での相手をさせる気がないのだから、側につけさせたら精神的に辛いだけだろう。ノースは彼に対し、罪悪感があるし、相手には生殺しのようなものだろうと思うのだ。

『ディルク。私は君を将として欲している』

ノースはディルクにそう告げている。
ディルクも正しく判っているのだろう。そういった意味での誘いはほとんど受けたことがない。
貞操帯は初日に外させたままだ。捨てていないのであれば指輪ごと彼が保管しているのだろう。

『ノース様は残酷ですね』

カークはそう言うがノース自身にもどうしようもないのだ。

『そうだな、失敗だった。反省している。二度と小さな箱は選ばないことにするよ』

ノースはカークにそう告げて選択ミスを認めた。
人間、誰しも失敗はあるのだ。戦時中のミスでなかった分、幸運と思うべきだろう。戦時中の失敗は命で償うことになるからだ。

『まぁロデ殿下に引き取られるより、幸運だったかもしれませんね、彼は』

カークはそう思う。
第五王子ロデは残虐な性格で有名な人物だ。好き勝手しすぎるせいで王宮内の評判も悪い。そんな彼に引き取られた奴隷は身体が不完全な者が多いという。反抗されることを嫌うロデが最初からそういった者を欲するのだそうだ。

(当人もそう言ってましたしね)

今のディルクはノースに抜擢されたという形で青将軍となっている。
将が少ない今、ノース麾下で貴重な将の一人としてよく働いている。
元々、タパール国で将として働いていただけあり、ディルクは仕事ができるよき将であった。ディルクもノースの期待に応えてよく働いている。

(ノース様に好かれたい一心でしょうけれどね)

ノースの前では従順で忠実な将を振る舞っているディルクだが、影ではそう従順ではない。ノース以外の人物には言いたいことをハッキリといい、欲望にも正直な人物だ。

『おい、カーク。たまにはノース様から離れろ、鬱陶しい。茶なんか自分の部屋で飲めばいいだろうが』

特によく執務室にいるカークはノースがいない場で不満をぶつけられる。たまにはノースの執務室からいなくなれと言われているのだ。二人きりになりたいからだろう。
ディルクが積極的に仕事をこなすのはノースのため。情報を多く集めて自ら報告に行くのはノースに会いたいため。中庭で寛ぐのが好きなのはノースの執務室が中庭に面した位置に窓があるためだ。
ダンケッドやカークに比べて、ディルクが呼ばれる回数は明らかに少ない。避けられていることに気付いているのだろう。ゆえに仕事の口実を作って彼の方から会おうとしているのだ。仕事であればノースも避けようがないからだ。

(さすがは主人にのみ忠誠な『獣』ですね)

主(あるじ)にのみ忠誠を誓い、主以外の者には容赦なく牙を剥く。ディルクは猟犬そのものだ。
願わくは自分にも好みの相手との出会いが待ち受けていればいいが、とカークは思った。


++++++++++


その日の高級士官向け食堂はそこそこに空いていた。
そのため、ゆっくり食事を楽しんでいたディルクは同席した相手カークの話に驚いて顔を上げた。

「今、何て言った?」
「ええ、ですからこれはノース様へのプレゼントです。聖アリアドナの日に贈ろうと思いましてね」

カークの手元にある器はコップサイズだ。
中には赤い花が複数入っており、しっかりと封がされている。
一見、色鮮やかなドライフラワーが詰め込まれているかのように見えるが実際は違う。特殊な媚薬効果のある花が詰め込まれているのだという。

「だが聖アリアドナの日に花を贈るのは禁じられているだろう?」
「断られたときは花ではなく媚薬だと申しますよ。あの方も男です。少しは気の利いた贈り物もしておかなくてはなりません」

ディルクはグッと言葉に詰まった。
戦いに出る機会が増えるにつれ、ノース軍の陣容も整っていく。
その分、ノースの側に集まる人間も増えており、ノースに恋愛感情を抱く者も増えていた。
さすがに悪質な場合はカークやダンケッドが排除しているようだが、それらの事実はディルクに焦りを抱かせていた。

凄腕調教師エルネストの言葉が脳裏に蘇る。

『奴隷が愛されないのは魅力がない証です』

だから愛されるよう努力しろと彼は何度も言った。
飽きられぬように必死に考えて努力しなければ捨てられると。

(捨てられるも何も最初から拾われもしなかった場合は?)

ディルクは何度もそう聞きたかった。
愛される方法が知りたかった。
自分なりにノースに近づけるように頑張ったが、ノースはディルクを極力近づけようとしなかった。
仕事以外では顔も会わせられぬ事実。
茶菓子のような些細な贈り物でさえ、手渡しでは受け取ってもらえない。

『ディルク。私は君を将として欲している』

将として、と断言された。性奴隷としては欲されていないのだ。
そのためにカーディとジョルジュが捨てられたことを思えば、いつ我が身かとの恐怖に怯えずにいられない。ならば、せめて将としては有能でいなければならない。捨てられるような愚かな振る舞いをするわけにはいかないのだ。

(いつか捨てられるかもしれない……)

奴隷は主人のすることに口出ししてはいけないことになっている。
しかし、いつかノースが自分以外の誰かを愛し、ディルクを捨ててしまうかもしれないという恐怖がディルクの心を大きく揺さぶった。

「……カーク」
「何です?」
「エルネストに…連絡をつけることはできるか?」

奴隷は調教師に自分の意志で会うことはできない。エルネストもディルクが連絡をつけても会おうとはしないだろう。誰かの力を借りる必要があった。

「いいでしょう。貸し一つですよ?」
「あぁ。頼む」

藁にも縋る気持ちであった。


++++++++++


「何です?自ら返品されにきたのですか?あいにくですが貴方の主人であるノース様のご命令がない限り、返品は受け付けませんよ」

エルネストは相変わらず、読めぬ笑顔をディルクに向けてきた。
エルネストは見た目と中身が反する人物だ。
今も白いシャツにベージュのスラックス姿で、そこら辺の町にでも普通にいそうな青年の姿だ。しかし中身はどんな頑強な精神の主でも従順な性奴隷と化してしまう凄腕の調教師なのだ。
淡い金髪の平凡そうな学者風の男はディルクを見てため息を吐いた。

「知ってますよ。我が国が誇る知将の噂は王宮の片隅にも聞こえてきますからね。そんな素晴らしい主人を持ちながら、誰一人としてノース様の寵愛を受けることができないとは情けない。私の汚点です。失敗作だったんでしょうかね」

嘆かわしいとため息を吐くエルネストにディルクは反論することができなかった。最初から誰一人として寵愛を受けられなかったのは確かな事実なのだ。

「……努力は…した」
「ほぉ…?」
「愛されたい。だがご主人様は『将として欲している』と仰る。性奴隷は不要だと仰りたいのだろう。愛される余地がない」

そう、ディルクなりに努力はしたのだ。
会ってから何年かの間に何度か二人きりのチャンスがあった。
それはすべて執務室内でのことで、ディルクが仕事の報告に向かったときのことだった。
耳元で囁いてみたり、手を握りしめたり、愛して欲しいのだと懇願したりしてみた。性奴隷として教えられた内容を許される範囲内で行ったのだ。
しかしすべて失敗だった。いつも何の感情も感じられない無の表情を向けられるばかりだったのだ。
これでは嫌悪の方がまだマシだったのではないかとディルクは思う。ノースはディルクに対し、何の感情も抱いていないようなのだ。それでは無関心と言われているのと同じだ。

「確かにあの方は難しいご主人様でしょうね。何しろ知将と歌われる方です。出来損ないの貴方では苦労するのも頷けます」
「……っ」
「ですが貴方は私の作品です。このまま見捨てるのも忍びない。チャンスを差し上げましょう」

これでも駄目なら諦めなさいと差し出されたのは薄っぺらい箱であった。
これをノースに渡せという。

「これが最後のチャンスです。いいですか?ノース様が確実に一人の夜を狙うのですよ?」