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◆月〜造られし感情の行方〜(7)


部屋をでたところでノースはディルクに声をかけられた。

「ご主人様、貴方は馬車か?」
「名前で呼んでくれ。乗ってきたのは馬だ。一応私でも馬ぐらいは乗れるのでね。君らの馬も用意させるつもりだが」

将ならば馬ぐらいたやすいだろう。そう思いつつ答えたノースにディルクは無言で目を伏せた。
怪訝に思うノースに答えたのはカークであった。

「ノース様。彼等の貞操帯をご確認された方がいいかもしれません。馬に乗るには支障がある貞操帯を施されている可能性があります」

思わず振り返ったノースにディルクは顔を赤らめつつ頷いた。

「私のは……きつめで」
「ここで脱がせてみたらどうです?どこであろうと彼等は脱ぎますよ。エルネストがそう躾けているはずですから」

ここでか、とノースは思った。
ここは通路だ。幾ら王宮の片隅である離宮とはいえ、躊躇いがある。
しかしカークは違う意見であるらしい。大丈夫ですよと言った。

「むしろここがいいでしょう。彼等のためなら。ここはエルネストの仕事場となっている離宮ですから通路での調教など日常茶飯事です。苦手な者は入ってきません。恐らく彼がこう訴えると言うことはノース様の官舎まで持つ自信がないのでしょう」

ノースが視線を向けるとディルクは黙り込んでいる。しかし羞恥に染まった表情がカークの言葉が事実であると語っていた。

「判った。じゃあ厠にでも行って外してこい。許す」

鍵を差し出すとディルクは躊躇いがちに受け取った。

「ノース様、それは酷ですよ。自慰をお許しにならないと意味がありません」
「何だって?」
「性奴隷とはそういうものです。完全な調教を受けた奴隷は許しがなければ自慰もしません。そして自慰をするときは基本的に主に見てもらうものです」
「詳しいな、カーク」
「当然です。私は専門職であるエルネストほどではありませんが、完璧に近い奴隷となるまで調教できる自信がありますよ!」

無駄に知識があるらしいカークの誇らしげな言葉に少々呆れつつ、ノースはディルクに視線を向けた。

「自慰も許す」
「…………ここで、いいですか?」
「あいにく私は他人の自慰を見て楽しむ趣味はない」
「厠に行ってまいります」

硬い表情で去っていく奴隷を見送り、ノースはため息を吐いた。
やはり予想以上に厄介だ。そう思いながら。


++++++++++


二日後。カークはノースの執務室にやってきた。ノースが彼に奴隷を預けていたのである。

「うーん、話になりませんねー」
「カーク?」
「三人とも、早々にノース様から引き離されて落ち込んでおりますが、それ以上に軍人としては使い物にならないと申しますか。使えるのはディルクだけですね。彼は期待通りですよ」
「ジョルジュは?剣が使えると言っていたが」
「所詮、自称です。せいぜい護身術程度ですね」
「……そうか」
「戦場に出すには弱い。愛玩用として可愛がるぐらいがよろしいかと思います」
「そうか。だが私が欲しいのは愛玩人形ではないんだ。…カーク」

ノースは己の側近に指輪を二つ差し出した。ジョルジュとカーディの指輪だ。

「解放してやれ。自由に生き、幸せになれと。当面の生活費も持たせてやれ。許す」
「御意。ディルクはそのままでよろしいのですね?」
「あぁ。将は必要だから」
「畏まりました」

指輪を受け取り、カークはノースの執務室を出た。


++++++++++


三人の奴隷のうち、将であるディルク以外の二人はカーク用の公舎の一室にいた。青将軍であるカークは己の公舎を持っているのである。
カークは二人に出掛けるので用意してある服に着替えるようにと告げた。

「それはご主人様の命令か?」
「ええ、そうですよ」

嘘ではない。
しかし二人の奴隷は主人からお呼びがかかったと解釈したのだろう。大喜びで着替え始めた。

「この服、全然色っぽくねえんだけど、こういうのがご主人様の趣味なのか?」
「いいだろ。ご主人様がお選びになられたのなら。質はそれなりにいいぞ」

カークは着替え終わった二人に何の変哲もない巾着型のバッグと指輪を差し出した。巾着には当座の生活費が入っている。

「これを持って何処へなりと行きなさい。死ぬのは許しません。ノース様の最後のご命令は『自由に生き、幸せになれ』とのことですからね」

一気に青ざめる二人にカークはノースの命令の残酷さを思った。
主人だけを愛する性奴隷。
腕の良い調教師は徹底的に主人を愛するよう調教する。それこそ魂の随まで主人だけを想うように染みこませるのだ。
エルネストは国内でも随一の腕の持ち主だ。どんな反抗的な奴隷も彼にかかれば一流の奴隷になると言われている。そのエルネストから教育を受けた彼等だ。ノースを想う気持ちはどれほどのものだろう。命よりもノースを大切に愛するよう躾けられているはずだ。にもかかわらず、一度も愛されることなく捨てられるのだ。

『自由に生き、幸せになれ』

それはノースの本心だろう。彼はごく平凡な道徳心の持ち主のようだから本気でそう言ったのだろう。性奴隷とされた気の毒な者達に当たり前の自由を与えたつもりなのだろう。それは判る。
しかし。

(性奴隷には死ぬより辛い命令ですね)

主人だけを想い、主人だけを愛する性奴隷にとって不要な者とされることがどれほど辛いことか。しかも殆ど接することなく捨てられるのだ。

「…ディルクは?」

カーディに震える声で問われ、カークは正直に答えた。

「彼は合格です。将としてですがノース様のお役に立てるだけの実力を持っていましたから。ノース様が欲しておられるのは腕の良い将なのです」
「……腕の良い将……」
「あなた方では話になりません。さぁどこへなりと行きなさい。それがノース様の命令なのです」

カークはあえて突き放した。
ノースが不要という以上、カークにはどうしてやることもできない。そのつもりもない。カークには目の前の二人に興味がないのだ。
あえて言えばディルクは好みだったが、彼は完全にノースのものとして調教されている。惜しく思うが、他人の為に調教された者は手をつける気になれないカークである。

(これからが勝負ですよ)

ノースが欲する条件は教えてやったのだ。
これからどうするかは彼等次第なのだ。