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◆碧〜枷と咎と〜(12)


国王バロジスクは自室にいた。
大きな赤いソファーに座り、寛いだ格好をしている彼は、癖のある黒髪と大柄な体を持つ人物だ。
彼は臣下に報告を受けたらしく、苦笑いを浮かべていた。
同じソファーには、レンディが座っている。視線はテーブルの上に並んだチェス盤に向かっている。どうやら二人でチェスを始めていたところだったらしい。

「クリストが愚かなことをしたようだな」
「いえ…」

ノースは殿下の前で血を流したことを謝罪した。
しかし、バロジスクは気にするなとあっさりしていた。
バロジスクは実力主義で剛胆な王だ。本当に全く気にしていない様子が見えた。

「クリストは謹慎させる。その後、教師を変えて鍛える。少々放置しすぎたようだ。すまなかったな。バルドイーンが報告を聞いていてな。怒ってクリストを連れていったから、今頃しぼられているだろう。いい薬だ」

第一王子バルドイーンはノースびいきなところがある王子だ。
そしてそれには理由がある。バルドイーンはノースの部下ダンケッドと懇意にしているのだ。
バルドイーンが今回の件を処理するのであれば、王族に刃を向けたダンケッドが処罰を受けることはないだろう。ノースは少し安堵した。

「ノース」

話が一段落したところで、国王にもたれかかるように座っていたレンディが顔を上げた。

「カークに伝言を頼むよ。鑑賞会は予定どおり、今夜行うって」
「判った」
「君もどうだい?」
「済まないが予定があってね。遠慮しておくよ」

レンディとカークが絡む鑑賞会といったら、ろくなものじゃないだろう。少なくともまともな美術品じゃないのは確実だ。誘われようが関わらないに限る。
そう思いつつ、国王の御前を辞し、精神的に疲労を覚えつつ、己の公舎へ戻るノースであった。


++++++++++


一方アスターは友人兼部下たちと、救出作戦を実行していた。
目的の鍛冶師が囚われているという場所は大きな公爵家の屋敷であるという。
その情報を死人達から手に入れたレナルドの案内で、ウェリスタ国に密かに潜入したアスターは、現地に到着後、目的の人物がすでにいないことを知った。
どうやらレナルドが連絡のために帰国している隙に場所を移されてしまったらしい。
レナルド、アスター、ザクセンの三人は公爵家の広い庭に身を潜めつつ、話し合った。
…とはいえ、会話しているのはレナルドとアスターの二人だけだ。ザクセンは話し合うつもりはないらしく、無言で木を背に座り込み、目を閉じている。

「間違いない。いない」
「チッ、助けが来ることを悟られたか。しかし、お前の能力便利だなー」

自ら潜入せずとも死人たちに調べてもらうことができるレナルドはこういった仕事に最適の能力を持っていると言えるのかもしれない。
そんなことを思うアスターの隣でレナルドはときどき小さく、アスターの知らない言葉を呟いている。その視線は空中に向かっているので、どうやら死人と会話しているようだ。

「どこに連れ去られたか判るか?」
「判らない。痕跡、消されてる。ここの死人、非協力的」
「判らないか。せっかくここまで来たのに残念だな〜」
「珍しい。貴族が闇の印を…………そうか。…アスター、うちの国の軍人いる。青らしい。どうする?」
「え?うちの国の青将軍がいるってことか?」
「いる」
「場所判るか?」
「判る」

木の棒を手に、地面に見取り図を描きだしたレナルドの隣で、アスターは時折質問をしつつ、頭の中に正確な図面を引いていった。

「よし、判った。じゃあ退路はこっちを使うってことでいいな」
「うん。中には俺が潜入する」
「大丈夫か?俺やザクセンの方が接近戦はいけると思うが」
「俺の方がいい。敵に死人がいる」
「えーっと、それはどう対応すればいいんだ?」
「だから俺の方が向いてる。大丈夫、敵より俺の方が有利。問題ない」
「そうか?じゃあ俺とザクセンで退路を守っておくから無理するなよ。ヤバかったら遠慮無く逃げてきていいからな」
「判った」

そうして、広い公爵家の庭に身を潜めつつ、レナルドが帰ってくるのを待っていたアスターは、脱出してきた二人の姿を見て驚いた。

「うわっ、酷い目にあったみてえだな、アンタ!」

全裸でレナルドに連れられてきた相手に、アスターは慌てて着ていた茶色のマントを羽織らせた。裸だったということは性的な被害を受けたことは間違いないであろうからだ。
捕虜になっていたために多少痩せてはいるが、軍人らしく体格の良い男は、目がうつろだ。しきりに屋敷の方を振り返っている。
あげくの果てに戻ろうとするので、アスターは慌てて腕を掴んで引き留めた。

「おい、何やってんだ、逃げるぞ!」
「…コンラッド……」
「行くぞ、レナルド、ザクセン」
「判った」
「ああ」
「嫌だ、戻りたい」
「はあ?」

アスターは驚いた。せっかく助け出した相手が屋敷に戻りたいなどと言っているのだ。

「コンラッドの元へ戻りたい。すまないが俺は戻る」
「おいおい」

歩き出そうとする相手をアスターは慌てて引き留めた。
相手もそれなりに体格が良いため、それは抱きつくような体勢になった。
それを見て、ザクセンが無言で顔をしかめたが、アスターは気付かなかった。

「待て待て、ええと、コンラッドって誰だ?」
「俺の愛するご主人様だ」
「は……?何だって?」

アスターの顔に理解不可能という表情が浮かび上がったことに気付き、ザクセンは小さくため息を吐いた。

「話は後だ。ともかく逃げるぞ」
「賛成」

助けた相手に問答無用で負の気を叩き入れたのはレナルドだ。
無防備な状態で不意を突かれた男は意識を失い崩れ落ちた。
いきなり気絶した男にアスターは慌てたが、逃げるという意見には賛成であった。助け出した男の事情は判らないが、ここに長居してはいられない。何しろ敵地なのだ。
意識を失った男を背負おうとしたアスターであったが、それはザクセンに横から奪われた。
光の印の持ち主であり、驚くほどのパワーを持つザクセンは全く重さを感じさせない動きで男を背負ったため、申し訳なく思いつつもアスターは任せることにした。
レナルドは死霊から情報を得ているのか、全く敵がいないルートで帰ってくれた。
あいにくその道は、どうやって知ったのかと言いたくなるような洞窟だったり、闇の商人が使うという極秘の路地だったり、とんでもない山中の獣道だったりしたが、戦闘をすることなく済んだ。
そうしてアスターたちは敵国から撤退したのである。