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◆碧〜枷と咎と〜(5)



ホルグの官舎から己の官舎に戻ったアスターは、執務室でザクセンの話を聞いた。

河のどこに橋をかけるのが、一番、民のためになるのか。
国の守りを強くするためには、どこにどんなタイプの砦を作るべきなのか。
王都の治安維持のため、どの地区の警備を強化すべきなのか。その地区の治安が悪いのは何故なのか。
これらの一つ一つについて考えていくうちに、国作りについて、少しずつ頭が回るようになるだろう、とザクセン。

「あんた、ノース様と考え方が似てるなー」

アスターがそう感想を告げると、ザクセンは呆れ顔になった。

「智将が俺に似ているんじゃない。ある程度、頭のある将はそれぐらい考えるということだ」

お前の元上官カークもそれぐらい考えているだろう、と言われ、アスターは疑問を持った。
確かに彼は頭のいい人物だ。しかし、そういったことを考えているだろうか。何しろハーレム作りしか考えていなさそうな男だ。可能とするだけの知性があっても、国作りをする気などなさそうだ。

「そうか、お前、スリーザー家がどんな家かも知らなかったな」
「あ〜、あの後、少し調べた。祭司の家らしいな」
「そうだ。ティラートとリィラートの家柄だ」

騎士に信仰されることが多い真実、審判、誓約の神、ティラート。
そのティラートの対とされる安定、調和の神、リィラート。
この二神は天候の安定と調和も司ると言われている。災害が起きないようにと祈る対象となる神がこの二神なのだ。

「その儀式を司るのが、スリーザー家だ。ガルバドス国の神官や祭司の頂点に立つ家で、国の重要な儀式はスリーザー家が執り行っている。当然、大貴族の一つだ。
どんなアホだろうと神に祈りを捧げぬ者はいない。よほどの変わり者でない限り、人は何らかの神を信心しているものだ。この軍事大国に置いても神官や祭司の持つ権力というのは馬鹿にできない」
「カーク様がねえ……」
「スリーザー家には、この家にしか伝わらない独特の儀式があり、王家との繋がりも深い。スリーザー家は南西に豊かで広い領土を持っている」
「へえ、どんな儀式なんだ?」
「相印の相手と行うと聞いたことがある。血と運命の繋がりを使う独特の儀式だったはずだ。ティラート神が誓約、リィラート神が安定を司るため、相印の相手がいなければできないと聞いたことがある。うろ覚えだが、スリーザー家の跡取りの運命の相手が、『豊穣』だったと聞いた気がする。『豊穣』は土と緑の印による相印を指す。相印の中でもっとも強い組み合わせだ。より強い結びつきの場合、よりよい儀式を行うことができるんだ」
「カーク様ってスリーザー家の長男だったぞ。カーク様に運命の相手がいるって話は聞いたことがないんだけどな」
「さて、その後どうなったかまではさすがの俺にもわからん。牢にいたからな。もしかしたらその相手と死に別れたのかもしれないな。惜しいことだ」
「じゃあ、儀式は……」
「カークは三重印なんだろ?一人と死に別れても、残り二つの相手を探せばいいだけだ」
「それもそうか」
「しかし、惜しいな。『豊穣』の組み合わせは地の神ペイランの加護を得ることができると言われている。つまり、ティラート、リィラート、ペイランの三神の加護を得られることになり、最高の儀式を行うことが出来たはずなんだがな」
「カーク様がそういう儀式を行われるのってピンとこねえなぁ…」
「うちの国ではスリーザー家が行っているが、他国でも大神官が似たような儀式を行っているはずだ。天候の安定を祈り、その年の実りを祈願する儀式は基本中の基本だ。通常は春先の種まきの時期に行われている」
「なるほど……」

現当主はカークの親となる人物だが、その人物が健在で儀式は執り行っているらしい。
そしてカークには弟妹がいるという。今のところ、家が断絶する心配はなさそうだ。

「相印の相手か〜」
「なんだ、欲しいのか?」
「いや、別に」
「珍しいな。軍人は普通欲しがるものだが。印の強化に繋がるからな」
「そりゃ印を使うヤツならそうだろうけどよ。俺は威嚇や防御の補助に使う程度だからなぁ。通常印を強化したところで威力は期待できねえし、今のままで十分だ」

アスターは沸騰したお湯をティーポットに注ぎ、カバーを被せた。
美味しい紅茶を入れるため、ティーポットを温めるためである。

「ところでお前、ずっとホルグ黒将軍の麾下にいるつもりなのか?」
「今のところ、移動の予定はないぜ。何でだ?」
「軍のレベルが低いからだ」
「うーん、そうか?」
「少なくとも智将の元から移動した理由が判らないぐらいにはな」

移動のきっかけとなったのは目の前の人物が原因なのだが、それは口にせず、アスターは悩むように視線を彷徨わせた。
ホルグは黒将軍となっただけあり、それなりの実力を持っている。しかし、あくまでも『それなり』にすぎない。豊富な人材を抱える軍事大国ガルバドスでは、平凡と言われても仕方がないような人物だ。
しかし、それは黒将軍レベルにおいては、の話である。将としては十分な能力を持っている。だからこそアスターも従っているのだ。

『少なくとも智将の元から移動した理由が判らないぐらいにはな』

しかし、ザクセンがそう言うということは、ザクセンには智将の方が上に見えるのだろう。
アスターがそう問うと、ザクセンは出された紅茶を飲みつつあっさりと頷いた。

「リハビリ中、暇つぶしに近年の記録を読んだが、智将の策はずば抜けているな。策を実行できるだけのよき部下に恵まれたこともあるが、それを差し引いても際だっている。
頭のいい将の元にいれば長生きできる。上官としては申し分がない」

その点、ホルグは部下の質もよくない、と言うザクセンにアスターは眉を寄せた。
確かにそうかもしれない。智将ノース麾下の顔ぶれと比べても、ノースの方が人材には恵まれていると言わざるを得ない。
ホルグの軍が弱いというわけではない。ただ、ノース軍の方が上なだけだ。ノース軍はなんと言ってもカークとダンケッドがいるのが強みだ。彼らはすでにいつ黒将軍になってもおかしくはないだけの実績を立てている。ノース軍は黒将軍レベルの将が三人いるようなものなのだ。

(ノース様のところから離れてみたら、ノース軍の強さがよく判るなぁ…)

誰よりも頭の良い智将と、智将の策を実行できる有能な部下が揃った軍。
智と勇が揃った、弱みらしい弱みが殆どない、強い軍だ。

「不敗の将と言えば、もう一人いたんだったか。レンディ、と言ったか、国王気に入りの青竜の使い手は」
「あ、ああ」
「智将と不仲らしいな」
「うーん、そうなのかな。まぁ一般的にはあまり仲はよくないって言われてるみたいだけど…」

そもそも黒将軍が集まるというのは大きな戦いのときぐらいなので、よく判らないのである。定期的に集まって交流をするようなこともない。仕事以外での交流が全くないのだ。
その為、彼らの関係を知る機会も殆どないのだ。

(坊のヤツ、友達いるのかな…)

昔からそれが心配だったが、彼の身分が判った今でも同じ事で心配になる。
レンディには身分を関係なく接することができる友がいるのだろうか。
その点、ノースは同じ地位で同世代だというのに。
彼ら二人は黒将軍の中でも飛び抜けて若いのだ。

「仲良くすりゃいいのになー」
「そんなことはなかろう。不仲なのはいいことだ」
「へ?」
「だから交流の機会も極力設けられていない。そこには王の意図も含まれている。
黒将軍は馴れ合うな、と表向きには言われているが、その理由は権力の集中を防ぐためだ。黒将軍は互いを監視し合い、競い合うことを推奨されている」

さすがに長年、黒将軍の地位に居ただけのことはある。事情に詳しいザクセンにアスターは驚きつつも納得した。

「黒将軍には必ず『監視役』が存在する。黒将軍内のスパイ、王の手の者が必ずいる。今はそのレンディが担っているんだろう。その前はゼロという男だったはずだ。更にその前が俺だがな」
「そんなことまでするのか」
「当然だろう。この国は軍事大国だ。軍人によるクーデターを防ぐため、王は幾重もの手を打っている。例えばレンディだ。七竜の使い手とはいえ、何の経験もない子供をいきなり黒将軍に据えたのは、他の黒将軍への牽制だったはずだ。ゼロはとても野心家だった。監視役としては最適でもあり、危険でもあったぐらいにはな。ヤツは戦場で死んだらしいが、暗殺された可能性も高いと思うぞ」
「……それをやったのがレンディとでも言うつもりか?」
「だとしてもおかしくはない、と思うがな」
「レンディは当時、子供だったはずだ。あんな小さな子が暗殺なんてするはずがない」

出会った頃の面影を思い出しての台詞をザクセンは一笑した。

「レンディはガキでも、保護者はガキじゃねえ。神話の時代から存在している武具だ」

レンディの使う武具が七竜の中でも残虐非道と名高い青竜であることを思いだし、アスターは表情を曇らせた。
ザクセンは素知らぬ顔で菓子を食べている。
順調に減っている菓子を見て、アスターは気を取り直した。世話好きの彼はザクセンが菓子を気に入ってくれたのだと思い、嬉しくなった。

「そういや、アンタの元部下なんだけどよ。一部、牢に入れられたり降格されたりしてた人たちがいたんだ。その人たちへの賠償を行ってもらえるように手配しておいたから、教えておくぞ」
「…は?俺の元部下だと?全員死んでるんじゃないか?生きていたとしてもとっくに引退済みだろう。今更…」
「アンタ、連絡も入れてなかっただろ。ちゃんと助かったって連絡しないと駄目だぜ。アンタの元部下の人たちは、アンタが助かって、名誉が回復されたって知ったら喜ぶと思うぜ。
牢に入れられたり、降格された人たちはアンタを助けようと思って頑張った人たちだろ。少なからずアンタの為を思って頑張った人たちだ。そういう人たちを放っておくのはどうかと思うしな」
「……」
「ま、ちゃんと連絡を入れたし、賠償の手続きもしておいたから、アンタも元部下の人たちから連絡があったらちゃんと相手をするんだぞ。相手が引退済みだろうが、じーさんになっていようが、アンタの元部下の人たちなんだからな」
「お前と俺の部下は関係ないだろうが。何故そんなにお節介を焼くんだ」
「アンタは俺の部下だろ。アンタの元部下は俺の元部下だ」
「いや、違うと思うぞ!」
「部下の責任は上官が負うものらしいぞ」
「今回の件は俺個人の問題に近いだろう…………お前、なんでそんなにマメな性格なんだ?」

紅茶を入れたり、菓子を出したり、ザクセンの元部下についての手配をしたり。やたらとまめなアスターに呆れ顔のザクセンにアスターは真顔で答えた。

「そりゃもちろん好きでやってるんだ。俺、アンタの世話するの好きだ」

絶句したザクセンに気付かず、アスターはカップを洗うために部屋を出て行った。

「なんなんだ、あいつは。天然のタラシか…」

そのため、赤くなった顔を隠すように俯き、ぼやいたザクセンの声を聞いたものはいなかったのである。