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◆碧〜枷と咎と〜(2)


不老長寿となる光の印は、常に権力者に狙われる存在だ。
いつの時代も欲に塗れた者たちは、光の印が持つ力の謎を解明しようと躍起になる。
完全な人間不信であったザクセンを救ってくれたかつての王はもういない。
大らかで優しかった、あの王はいないのだ。
今のザクセンの手元に残るのは何もない。空虚な思い出だけだ。
牢に放り込まれながらも抵抗しなかったのは、終わりが欲しかったからだ。これで果てるのならばそれでもいい。長すぎる生に憂えていた彼はそう思った。
そんなザクセンを救った男は青将軍の地位にある軍人だという。
やはりその軍人も光の印を欲し、ザクセンを解放したのだろうか。
そんなことを思いつつ会った相手は、長身の若い男であった。助け出された時は体調が悪かったため、相手の容姿をろくに覚えていなかったのである。

「無事でよかったなー!いや、無事とはいえねえか。ひっでえ牢だったもんな」

開口一番、そう言ってきた相手にザクセンは驚いた。
彼の方こそ、ザクセンを助けた為に牢に放り込まれたのではなかったか。

「お前こそ大丈夫だったのか?」

やや呆れ気味に問うと、皆が助けてくれたおかげで大丈夫だ、と笑顔で答えてくれた。

「そうか。礼をしたい。何が欲しい?」
「部下がたりねえんだ。腕の良い将が欲しいんだよ」

部下になれということか。つまりやはり彼も光の印が欲しいのだろう。

「判った。他には?」
「いや別に。それだけで十分だ。そういや、あんた、武器は何を使うんだ?」

ここでザクセンは相手がこちらのことを知らない可能性に気付いた。
ザクセンが強靱な肉体を持つ光の印能力者であることを知っていれば、武具のことを聞くはずがない。肉体そのものが武具になる。それが光の印だからだ。

「使わない。素手だ」
「へえ…実は俺も素手が得意なんだ。今度相手をしてくれよ。けど戦場じゃやりにくくないか?リーチ足りなくてよ」

やはり知らないようだ。
するとこちらの素性を全く知らずに彼はザクセンを助けたということになる。
ザクセンは内心驚いた。呆れるほどのお人好しだ。

「俺は光の印保持者だ」
「光の印?……って……悪ィ、あんまりよく知らねえんだけどよ…。あー、そういや、なんか師匠が言ってたような……?長生きできるんだったっけ?」

自分でお茶の準備をしつつ、男は困ったような表情をした。
ザクセンは呆れた。本当に何も知らずに自分を解放したらしい。ずいぶんと命知らずだ。
ザクセンが印について説明すると、男はそうかと頷いた。

「そんなことより、あんた、黒将軍様だったって?まいったなー。俺、赤将軍が欲しくて銀牢に行ったんだ。俺、新米だから将がいなくて」

光の印を『そんなこと』と言ってのけた男は、ザクセンの印より経歴の方が気になるらしい。ザクセンは再度驚いた。不老長寿の印を『そんなこと』ですませた人間は初めてだ。
ザクセンは元黒将軍だ。経歴も長い。当然、軍の運営についてはよく知っている。

アスターは己の軍の現状を説明した。
兵はいるが、将がいないという珍しい話にザクセンは呆れ顔になった。兵はいて、将がいないということは将が弱くて死に絶えたということだろうか。

「違う違う!死んでない!最初っからだ!」

最初からいないというのも、また、珍しい。
以前の上官から将を譲ってもらえなかったのかと問うと、男は困り顔になった。

「いや、カーク様は、その……」
「カーク?誰だそれは」

ずっと牢に入っていたザクセンは、現在の状況をまるで知らない。当然、カークのことも知らなかった。

「えっと、カーク・フェナンド・スリーザー様。ノース黒将軍の側近中の側近と言われる方で、すごく腕のいい方だ。ただ…ちょっと変わった性格の方でな。ものすごい男好きで有名なんだ」
「……スリーザー?あのスリーザー家か?」
「あの、って何だ?」
「……スリーザー家を知らないのか?お前、出身はどこだ?」
「王都の外れにある建築士一家の生まれ。ただの平民だ」
「……通常印の上、平民。その上、若い……お前、よく青将軍になれたな」
「あー、俺もそう思うぜ。まぁ、おかげで今苦労してるんだけどよ」

それよりあんた、俺の部下になってくれるのか?と問われ、ザクセンはまたしても呆れた。
元上官の話をしていたというのに話題が元に戻っている。
どうやら目の前の男は他人に深い関心を持たない男らしい。元上官の素性などどうでもいいのだろう。そして同じようにザクセン自身のこともどうでもいいようで、深く問うてこない。ありがたい反面、少々呆れる。ここまでサバサバして大ざっぱな性格の男も珍しい。

「牢から出してもらった借りがあるからな。力を貸してやろう。だが俺を簡単に御しきれると思うな。気にくわなかったらすぐにでも出て行く」
「そっか、ありがとな!えっと、一応、赤ってことでいいか?俺の部下が黒じゃちょっと示しがつかねえし、申し訳ないんだけどよ」
「好きにしろ。ヴァレリムにも好きにしていいと言われている」
「ヴァレリム?」
「先代国王だ」
「!!!!」

驚愕している男が入れてくれたお茶を飲む。
無骨そうな手が入れたお茶は意外なことにかなり美味であった。

「ほう…美味い」
「そうか?よかったら菓子も食うか?ハーブクッキーがあるぜ」
「もらう。………悪くないな。もうちょっと甘みが欲しいところだ」
「あんた甘いの好きなのか?今度買ってきてやるよ。美味い店を知ってるんだ」

さりげなく卓上に置かれたシュガーポットから砂糖をカップに追加する。
己の分を入れている男の手つきは慣れを感じさせる。どうやら普段からこういったことをやっているようだ。

「副官はどうした?」
「あー、俺いないんだ。新米青将軍だからよー」
「それで自分で入れているのか」
「いや、これは違う。紳士のたしなみらしいぜ」
「なんだそれは…」

どうも先ほどからこの男の言っている事と行動がよく判らない。
青将軍が自らお茶を入れたり、菓子を出したり、それを紳士のたしなみと言ったりしている。
牢に入っている間に軍の常識がずいぶんと変化したのだろうかと不安になるザクセンであった。