文字サイズ

◆闇〜掟の鎖〜(4)


同じ小隊の長をしているアスターの手は器用だ。
大柄な彼は手足も大きい。軍のベッドなどではやや狭そうに手足を畳んで寝ている。そんな様子は身を縮めて眠る獣に似ているとレナルドは思う。
アスターは大きな手足を器用に使う。長い手足のリーチを利用し、長棒を操る彼はとても強い。大柄なのにスピードが早いので印などを使用される前に敵を叩き伏せている。
彼は指先も器用で、大きな手でちょっとした玩具を作ることがうまい。
彼が可愛がっている少年兵がいるらしいことはレナルドも知っていた。

「坊がまた背が伸びててな…」

たまにそう話してくれるその様が自分を可愛がってくれたヨハネスと重なり、レナルドはアスターを気に入っている。
アスターは面倒見が良く、レナルドが読み書きできないと知った時、レナルドを馬鹿にすることなく、教えてくれるようになった。
おかげでレナルドは読む方だけはできるようになった。アスターは読めるだけでもできるようにならないと今後、何かあったときに騙される可能性があると心配してくれたのだ。
人里離れた地で暮らしてきたレナルドは自分が世間知らずだと自覚がある。しかしアスターだけは信頼できるとレナルドは思った。それは彼の普段の様子を見ていれば判る。
戦場で足手まとい以外の何者でもないエドワールを見捨てず、最初に声をかけたのはアスターだ。
その後もなんだかんだ言いながらも苛められやすいエドワールを庇い、トマと共に助けている。根本的なところでお人好しなのだろう。エドワールが死なずに生き延びているのはアスターの助けが大きい。生死の境で信頼できる相手はそういない。アスターはその数少ない相手だとレナルドは思う。ゆえにレナルドはアスターのことだけは心から信じている。


+++++++++++++


秋の長期休暇で再び部族の元へ戻ったレナルドは、老女である長のサビーネにレンディのことはそのままにする旨を告げられた。
その言葉は重く深い悲しみに満ちており、レナルドはその決断に大きな悩みと苦しみがあったことを悟った。
レナルドはサビーネが急速に老いたことを感じた。
住み慣れた洞窟を離れて新たな洞窟で生きることは楽ではないのだろう。

レナルドは若かった。子供だった。子供ゆえの適応能力の高さで外の世界に馴染むことができた。
しかし大人は、特に老人だった人々はどうだろうか。新たな洞窟に馴染むだけでも大変なことだったのではないだろうか。
元気な老婆だったサビーネは今、痩せて小さな老婆になっている。言葉にされない苦労があったことがその姿から感じられる。

『憎しみは辛い。憎しみは己を苦しめ続ける。憎しみは不幸になる。だから憎むな』

育ての親ヨハネスはそう繰り返していた。
その考えは同族も同じようだ。この洞窟で仲間達から憎しみの言葉を聞いたことはない。
だから間違ってはいないのだろう。

(けど悲しい)

レナルドはそう思う。戻るたびにそう思う。
多くの仲間を失った悲しみは癒えていない。癒えることはないのかもしれない。
この洞窟はただ静かな悲しみに満ちている。

『いつの日か、時が来たら、迎えに行くよ』

サビーネはそうレナルドに告げた。

『皆が天に還るのを仲間達と見送ってきた。お前も、皆も、迷うことなく還れるだろう。だがあの子は一人だ。あの日、ワシらはあの子を救うことができなかった。あの子を救えたのは青竜。ワシらではなかった。
怖かったろう、寒かったろう、寂しかったろう。
あの子の悲しみと苦しみは、あの子にしか判らない。片手ほどの歳しか生きておらぬ幼子をワシらは救えなかったのだ』

その通りだとレナルドは思う。
レナルドにはサビーネの苦悩が判った。
子供の中の年長者としてレナルドも年下の子を守らねばならぬ立場にあった。しかしレナルドは子供たちを誰一人として救えなかった。
煙と恐怖に阻まれて、ただ一人、洞窟を逃げ出した。そうすることしか出来なかった。
レンディを見捨てたという点ではレナルドも同罪なのだ。
レンディがいかに聡明な子供とはいえ、あの日、生死の境でただ一人にされた恐怖はいかほどのものだったのだろうか。
たとえ七竜の一つ、青竜に救われたとはいえ、一族とはぐれ、人ならざる存在と生きる道が楽であったとは到底思えないのだ。

『ただ見守っていておくれ。あの子の生を。あの子の選んだ道を』

共に生きよとは言わないとサビーネは告げた。
レナルドにはレナルドの生があり、道がある。だから強制はしないという。
ただ、レンディがいかに生きているかを遠くから見て、教えてくれればいいという。
レナルドは頷いた。
今のレナルドには育ての親ヨハネスのように山野で生きて、よき狩人になりたいという目標がある。
しかし、同族のため、せめてそれだけでもしようとレナルドは思った。