蝶~夢境の鳥かご~

 ダンケッドは褐色の髪と黒い瞳を持ち、190cm以上の長身を誇る体格のいい黒将軍だ。
 元は知将ノースの側近であり、昇進して現在の地位に上がった。
 そして生まれも良く、ガルバドス国の上流貴族の生まれである。
 ダンケッドの父アドルフは貴族らしく、複数の妻や妾を持っている。そのため子供も複数いるが、その中でダンケッドは最も良い血を引く男子であった。
 
 ポロン、ポロロンと室内に柔らかな音色が響く。
 実家に帰ってきたダンケッドは大貴族らしく広すぎるほど広い母の部屋で実母が奏でるハープを聴いていた。
 実母が気に入っているハープは持ち運びしやすい小型のハープだが上流貴族らしく大変高価な品で細かな細工が施された品だ。

「どう?」
「大変素晴らしいハープですね。音も素晴らしいですが本体の細工も見事です」

 骨董品集めが趣味であるダンケッドはハープに施された細工にも興味津々だった。
 息子が本心から言っていると母にも判ったのだろう。母は機嫌良さそうに笑んだ。

「でしょう?」

 アドルフ様が買って下さった素晴らしい品なのよと母は笑った。
 繊細な細工が施されたハープを抱いて笑む母親はまるで人形のようだ。ダンケッドのようにとっくに成人済みの息子がいるようには到底見えない。
 実際、母は若い。上流貴族の娘らしく、十代前半で嫁ぎ、十代半ばでダンケッドを産んでいるからだ。三十代の息子がいる彼女は未だ四十代なのだ。三十代の息子がいる母親としては相当に若い方だろう。
 ダンケッドの母は国内でも有数の名家の出身だ。父とは完全な政略婚だが母が従順な人物のため、夫婦仲は良好だ。政務に口出しせず、大人しく人形のような母は父にとって扱いやすい正妻なのだろう。音楽が趣味の母は時折貴族向けの音楽会へ出席したいとお強請りしているようだが父はいつも咎めることなく許している。何か悪さをするわけでもなし、ただ音楽を聴きに行くだけのことだから反対する必要も感じないのだろう。実際母は音楽会への出席と王妃である友人たちとお茶をすることが楽しみのようだ。金遣いも荒くなく、男遊びもせず、政務にも無関心。貴族の正妻としてはかなり扱いやすい部類だろう。
 そして母はダンケッドとも性格的な相性がいい。骨董品鑑賞を好むダンケッドはジッとしていることが苦にならないタイプだ。そのため母の音楽鑑賞に付き合ったり、ハープを聴いたりすることが苦にならないのだ。

(こういう母で助かる……)

 息子に過度の関心を持たず、ただ自分の世界で生きている母。
 こういう母だからダンケッドが軍に入った時は理解してもらえなかった。
 だが反対もされなかった。彼女は息子にも深い関心を抱かないのだ。家のこと、そして息子のことは完全に父任せ、乳母任せであり、ダンケッドを育ててくれたのは乳母であり、使用人たちであった。
 だがダンケッドはそのことに不満はなかった。上流貴族ならごく普通のことだったからである。そして五月蠅く言われるのも面倒なので母が自分に無関心なことはありがたく思いこそすれ、不快には思っていなかった。

(父にはまだ少し未練を抱かれているようだが……)

 それはダンケッドがこの家でもっともいい血を引いている為だ。そのため当初は後継者候補だった。そしてダンケッドが家を継いだ方が母方の実家とも結びつきが強くなるため、理想だった。
 そのためダンケッドが強引に軍に入った時は一波乱あった。しかし強引に止められずに済んだのは第一王子との関係だ。
 第一王子バルドイーンの実母はダンケッド母と仲が良い。そのため王子とは幼い頃からお互いに母親に連れられて顔を合わせていた。いわば幼なじみなのだ。そのバルドイーンにダンケッドはとても気に入られている。娶りたいと言われているほどだ。
 母親同士は仲が良いので我が子たちが結婚するのは大歓迎のようだ。そしてダンケッドの家としても王家と結びつきが強くなるのはありがたい話なわけで、この話に反対意見は出ていない。そのおかげでダンケッドは父から『家を継げ』と強く言われずに済んでいる。

(俺は頭を使うのが好きじゃない。実家を継ぐのはごめんだ……)

 体を動かすことは好きだ。だがそれ以上にボーッとするのが好きだ。
 美味しい茶を飲みつつ、骨董品を眺めるのが一番の楽しみだ。

(だからノースの部下であることは都合がよかったのに……)

 何も考えずに済んだ。何しろ全部ノースが策を考えてくれたから自分はただそれに忠実に従うだけで良かった。それだけで勝てるのだから知将の側近という立場は実に都合が良かったのだ。

(出世したくなかった……)

 黒将軍の地位なんて望んでなかった。だっていろいろと考えねばならなくなるではないか。いろいろと考えるのは面倒なのだ。例え軍の最高位という名誉ある立場であっても欲していなかったのだ。なんでこうなったと言いたい気分である。ノースだって自分を手放したくなかったようだから、出世せずに済むだろうと思っていたのにこの結果だ。ダンケッドは実に不本意だった。
 救いなのは昇進を告げてきたノースも不本意そうな顔をしていたことだ。彼も未練たらたらという様子だったから責めるのは止めた。恐らく黒将軍会議で他の将たちから押し切られてしまったのだろう。
 
(そろそろ結婚退職でも考えるか……?)

 面倒くさがりすぎて、そんなことを真剣に考え始めるダンケッドであった。