文字サイズ

◆砕けぬ夢を見る


ウェリスタ国南方メルヒン領。
近衛第五軍はメルヒン領近くに位置する南方クロス騎士団との演習に出向いていた。
事件は突如発生した。隣接する南方の国グロスデンが突如侵攻してきたのである。
不意打ちを突かれたクロス騎士団と近衛第五軍は一気に瓦解した。
どれほど強靱な軍もきっちり準備し、陣を敷いていなければ脆い。まして指揮系統が成り立っていないとバラバラになってしまい、立て直すことも出来ない。
人事異動直後で新人が多く入っていたことも災いし、敗北は必至となった。

「落ち着け。いいか、余計なことは考えるな。この状況で誰かを助けようなどと思うな。それは思い上がりってモンだ。生き延びることだけを考えろ」

近衛第五軍大隊長シードは第五軍の後方に位置していた。おかげで崩壊に巻き込まれずに済んだと言っていい。今は瓦解しかけている隊を取り纏めるのが精一杯だった。
シードは28歳。大隊長としては若手だ。藍色の髪でやせ形の中背、能力は地。特別、抜きんでている能力はない。
しかし大きな能力はないが、こつこつと今の地位まで昇ってきた。華々しい活躍をしたことはない。彼は後方支援のプロだからだ。

(くそ、状況が全くわからねえ……最悪だな!!)

彼は後方支援のプロだ。後方支援は文字通り、軍の後方で味方の後背を守り、補給を主とする。最前線での華々しい活躍は望めないが、なくてはならない立場。つまり縁の下の力持ちだ。しかしそれだけに彼の部下には目立った能力のあるものは配備されない。そういった大きな力の持ち主は総じて最前線に配備されるからだ。

「隊長!味方が総崩れです!!どうか、援護のご命令を!!」
「思い上がるなって言ってんだろ、アホ。右も左もわからねえこの状況でどう助けろってんだ。んな贅沢なこと言ってる場合か」
「し、しかし!!こんな状況で味方を救うなとおっしゃられるのですか!?」
「その通りです、隊長!!せめて一矢報いなければ騎士の誇りが…!!」
「バーカ。生き延びるのが最優先だって言ってんだろ。俺たちごときの隊で何が出来る。そもそも最前線がどこかすらわからねえ状態で何をやるってんだ」

シードはかなりの皮肉屋だ。故に周囲に理解されるまでが時間がかかる。しかし彼の育てた部下は彼の元を離れない。周囲に理解されずともシードは時間をかけて部下を育てる。後方支援という立場故に優秀な部下は配備されないが、その分、じっくり時間をかけて諦めずに育てる。そのため、育て上げた頃には部下はシードを理解してくれている。

「俺は部下の命を失う気はねえ」

正義感は強くない。口が悪いので誤解されやすい。しかも誤解を解く努力をしない。
性格故に損をしているが、いつの間にか部下に慕われている。シードはそういう人物だった。

(まぁ、最前線は間違いなくヒルマン将軍のとこだろうがな…)

シードが敵でもやはり軍トップの隊を狙う。それが軍の崩壊を狙うのに最適だからだ。
シードはいつものように後方支援として最後方にいた。今回はそれが幸いし、味方の崩壊に巻き込まれずに済み、自隊の瓦解を防いでいた。

(クロス騎士団の方までは面倒見きれねえ。もう少し持ちこたえねえと退くに退けねえ…さてどっちへ退くか…)

総崩れになる味方を見つつ、シードは冷静に状況を判断していた。
一矢報いたい部下の気持ちも分からないでもない。しかしそれをすれば自隊さえも総崩れになるとシードは判っていた。後方支援担当の自隊は攻撃に向いた隊ではない。ましてこのような状況では無理をすれば一気に瓦解するだろう。
今は耐えて、退いてきた他隊のフォローをしつつ、なるべく犠牲を少なくしつつ退かなければならない。それが後方支援の役目だ。

「いいか、耐えろ。俺たちは味方の最後尾を守る役目がある。いいな、今は耐えろ」
「……っ、御意!!」

悔しげな表情をしつつも部下は頷いた。シードは頷き返す。
そんな中、シードの視界に見覚えある姿が入った。

(あれはアルディンか。ということはあれが左翼か!)

アルディンは同じ大隊長。しかし後方支援担当のシードと違い、最前線を任された一人だ。右翼と思っていたところに思わぬ味方を見つけ、シードは舌打ちした。予想以上に陣が崩れている。

「おい、リンガル、アルディンを見つけたぜ。右翼にいた。左翼のくせに」

皮肉を交えつつ告げるとシードより年上の彼の副官は目を丸くした。

「は!?アルディン大隊長をですか?しかし右翼とは…」
「それだけ陣が崩壊してるってことだ。アルディンを補佐するぞ。そしてそのまま退ければ退く」
「はっ!!」

一体生き残りはどれぐらいいるのだろうか。そう思いつつ、シードは隊をアルディンの左側に回り込ませた。見たところ、自隊の方がまともだ。アルディンの隊の時間稼ぎぐらいはしてやれるだろう。

「シード!?」

アルディンは全身血まみれだった。相当に奮闘したのだろう。しかし彼の周囲に彼の副官の姿はない。隊も崩壊しかけている。間一髪だったようだ。

「あぁ、退け。南東方面だ」
「南東だな、判った!」

アルディンは即座に隊へ命令を出した。シードへ何も問い返さなかったところを見ると彼はシード以上に状況が判らないのだろう。そしてシードを信じているのだろう。アルディンはいつも何も言わない。しかし皮肉屋のシードを嫌うことなくいつも信じてくれている隊長の一人であった。
アルディンの隊が退いたのを見届け、シードは自隊へ退却命令を出そうとした。そのとき、再び視界に見覚えある姿が入った。シードは思わず舌打ちした。

(あれはルーカスじゃねえか?クソ、どうする?助けるか、見捨てるか…)

今は間違いなく退き時だ。退き時を見誤れば死ぬ。これは基本中の基本だ。ルーカスの隊は見捨てるべきだろう。理性がそう判断する。
心の中で謝罪し、退却命令を出そうとしたとき、敵陣に将を見つけた。あの位置に将がいるのであればチャンスがある。何も全軍でなくていい、ただ将のいる位置だけを集中攻撃すればいい。ルーカスも退却したくて奮戦しているはずだ。時間稼ぎさえしてやれば助けられる。
迷いは一瞬だった。

「リンガル!俺の言うとおりに軍を動かせ。いいな、一度で良い。深追いは無用。一撃で退却するぞ。槍状陣形にて攻撃後、退却時は扇形陣形に変化させつつ退却せよ」
「御意!!」

チャンスは一度だ。何度もチャレンジできるほど自隊も余裕がない。そのチャンスをものにできるかどうかはルーカス次第だ。

(恨むなよ)

一度のチャンスさえ与えてやれるのだからありがたく思ってくれ。そう呟きつつ、シードは剣を構えた。

「突撃せよ!!」