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◆闇の手

ウィダー・ディーゼンは大国ウェリスタの王都士官学校の生徒である。
闇という希少な印の持ち主のため、選抜生に選ばれ、王都士官学校に入ることができた。
しかしその特異な能力故に周囲には忌避された。幼い頃に捨てられたのもその能力ゆえだった。
闇という力にはどうしても死がまとわりつく。死者に好まれる能力とされ、ウィダー自身、銀髪紅目、ひどく痩せていて骨と皮のような外見だ。声も低くてハスキーというより枯れたような声だ。
能力と外見が相まって、ついたあだ名が死に神ウィダーだった。



周囲が賑やかで騒がしい。
ウィダーは5回生。来年には最上級生だ。就職後の話も出始めている。

(ろくな就職先ねえだろうがな)

素行が悪く、成績も地を這っているウィダーである。授業をさぼって遊んでいることは珍しくないので内申も悪い。教師にも諦め気味で放っておかれている。実際、能力で引き抜かれなかったらとっくに放校処分になっているだろう。
友人も殆どいない。例外がシェイだ。黒髪黒目のシェイはウィダーと違って優等生だ。入学してすぐに知り合い、面倒見のいい彼はウィダーの面倒を見続けている。

「…っ、うっせえな、何なんだよ」

軽く机を蹴りながらの台詞にクラスメート達が迷惑そうな顔を向ける。しかし面と向かって苦情を言ってくる者はいない。

「あぁ?何か言いてえことがあるならさっさと言いやがれ」
「おい、ウィダー。喧嘩売るな。近衛将軍が学校に来てらっしゃるんだ」

ただ一人シェイだけがウィダーを恐れずに教えてくれた。理由が分かればウィダーもあっさりと引いた。

「は!たったそれだけのことでこの騒ぎかよ。暇な奴らだ」

ガタリと音を立てて椅子に座り、そのまま寝る体勢に入ろうとしたウィダーにシェイは苦笑気味に答えた。

「引き抜きもあるかもしれないから皆必死になるさ。近衛軍は皆の憧れだからな」

近衛軍といったら軍の花形だ。今は有名な将も多いので特に人気が高い。憧れの騎士と言えば、近衛軍の騎士たちの名が次々とあがるほどだ。その分、競争率も激しく、数十倍に達する年も多いと聞く。

(まぁ、俺にゃ関係ねえ話だが)

近衛どころかろくなところに就職できないだろうという自覚のあるウィダーは傭兵でもして過ごすのもいいかもしれないと思っていた。到底名を馳せることなどできないだろうが、とりあえず食べていければウィダーは満足だった。屋根があって、飯が食えるのなら幸せ以外の何者でもないではないか。人付き合いなど嫌うか嫌われるかだけだ。愛されたことなどない。だから好きだの嫌いだのは存在しない。

(俺には関係ねえ…)

一人で生きてきた。だからこれから先も一人。未来など生きて食べて行ければそれでいいのだ。




「待て、ウィダー、話は済んでないぞ!!」
「うっせえんだよ、放っとけ!!」
「放っておけたらこっちも構わぬ!!そうは行かぬから言っているんだ。こら、ウィダー!!」

進路指導担当の教師の声が追ってくる。ウィダーは無視して走って逃げた。
成績が地を這っているが故に教師の方もウィダーに補講を受けろ、練習をしろ、勉強をしろと五月蠅い。ウィダーにその気はないが、教師の方は五月蠅かった。

(どうでもいいっての)

大体闇の力など持っていたらどこの騎士団も嫌がるだろう。暗殺部隊などがあったら歓迎されるかもしれないが、闇の力の主など聞いたこともない。もしかしたらウィダー以外にいないのかもしれない。
学校は五月蠅い。教師も嫌だが、生徒も鬱陶しい。
ウィダーはいつも一人だ。シェイがいなかったら本当に孤立していただろう。グループ活動の時は必ずシェイが周囲を説得して誘ってくれるが、それさえ煩わしかった。シェイは好意でやってくれているのだろうが、団体行動というだけでウィダーは面倒なのだ。同じグループのシェイ以外の者達の迷惑そうな視線も不愉快だ。周囲から向けられる視線で好意的だったものは殆どない。
廊下を走っていても、ウィダーを見ると誰もが廊下の端に避けるか足を止めるかしてやり過ごそうとする。今更だったのでウィダーも構わなかった。しかし不快な気持ちがなくなるわけではない。

(うるせえ、うるせえ、どいつもこいつも俺に構うな)

早く卒業したい。そして一人で生きたい。この息の詰まるような空間から逃げ出したい。

(俺が嫌いなら俺に構うな!!)

一人で生きてやるから、どうか放っておいて欲しい。


緑は癒しの力だ。生気を操り、傷を癒やす。
闇は緑と正反対の死の力だ。生気を喰らい、死を導く。

闇の力を持つウィダーは生まれながらにして亡霊が見える。
幼い頃は生きた者と死者の区別が付かなかった。ウィダーを世話しようとしてくれた大人もいたが、『何もない空間』へ話しかけるウィダーを不気味がり、いつしか遠ざかっていった。同じ子供たちはもっと残酷だ。

『あいつ死人と友達なんだよ』
『近づくな、汚れが移るってじぃちゃんが言ってたぞ』
『こわーいっ』
『あっちにいっちゃえ、死に神ウィダー』

近づこうとしたら石を投げられ、指を差されて悪口を言われるのが常だった。
いつも一人だった。けれどそれを寂しいと思ったことはない。ウィダーにはいつも『他の人には見えない友人』がいたからだ。一般的に影の者、死人、雑霊と呼ばれる彼等は常にウィダーの側にいた。彼等は他愛のないことをよくウィダーに話しかけてきた。

『コッチヘ…オイデ…』
『技ハ……月…齢…ノ……』
『オ眠リ…愛シ子ヨ……』

殆どの霊は死す前の強い思いが残っている程度で満足な会話にはならない。しかしそれでも一人でいるより気は紛れた。
ウィダーは士官学校へ入り、シェイと出逢うまで誰かとろくに喋ったこともなかった。
いつだって一人でそれが当たり前だったのだ。