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◆山羊泥棒とハーブ入りパンの話


王都の周辺には幾つかの山がある。
一番有名なのは、北西にある山脈だ。この山脈を越えると、ディンガル地方に出る。
山と山の間に交易路があるため、完全に分断されているわけではない。しかし、交易路が限られているため、山賊に狙われやすい道でもある。軍が見回りにでるのはそういった事情がある。
スティールは中隊の部下たちと山を登っていた。家畜が被害を受けて困っているという陳情を受けたためである。
通常は、近衛軍まで回ってこないレベルの仕事であるが、時期が悪かった。実りの秋が迫っていて、どこも人手が足りない時期だったのだ。
スティールの中隊も休暇中の者が多かった。その中で20名前後を選んでやってきた。
スティールが山脈の麓にある小さな村に出向くと、出迎えてくれた村の若い女性は顔を真っ赤にさせ、わざわざ近衛軍の騎士様が来てくださったと、大喜びで村長を呼びに行ってくれた。
しかし、出てきた村長は女性と正反対の反応だった。

「田舎の兵隊でよかったんだ。都の若いモンが家畜のことなんざ判るはずがねえ!」

見事に田舎の頑固親父といった雰囲気の人物であった。
スティールは無口で職人肌の父親を思い出し、少し似ているかもしれないという印象を抱いた。
父に似ているのであれば、こういうタイプの人物にはむやみに反論しない方がいい。実績をたてねば納得してくれないタイプだろう。
村長は足を怪我しており、杖をついていた。山賊と争って怪我をしたのだという。
命に別状はないものの、大切に守っていた家畜は奪われてしまったのだそうだ。

「家畜は何頭奪われましたか?」
「9。そのうちオスが1、メスが4、子ヤギが4だ」
「メスは全部母ヤギですか?」
「そうだ」
「ヤギ乳を狙われましたね。まだぎりぎり絞れる時期だったでしょう?」
「そうだ」

顰め面で頷く村長の雰囲気が少し和らぐ。少しは話が通じるヤツだと思われたのだろう。

「では探しに行ってまいります。ええと、声はホーイでいいですか?」
「いや、ホッホーイだ」
「判りました」

村長と別れ、小さな村の外れまで徒歩で歩いていく。
先頭付近を歩いているのはカイザードとラグディスだ。
その後を、副官であるオルナンとキーネスが地図を見ながら話をしつつ歩いている。どうやらキーネスが、地図の見方と印の付け方をオルナンに教わっているらしい。

「声ってなんだ?」

隣を歩いているラーディンに問われた。

「家畜を集めるときのかけ声のことだよ。地方によって違うみたいなんだ。俺の地元の方じゃホーイだったんだけどなぁ。ここはホッホーイなのか」

なんかヘンだよね、とスティール。

「俺にはどっちも大差ねえっつーか、よくわかんねえよ」

ラーディンは王都生まれの王都育ちだ。家畜のことはよく判らないのだろう。

それで家畜が来るのか?とラーディン。
もちろん来るよ、とスティール。

「それで躾けられているからさ。それにたぶん先輩がいるから大丈夫じゃないかな」
「なんでだ?」

ちょっとスネたように問うラーディンにスティールは肩をすくめた。

「先輩の実家って牧場だよ。ある意味、同業者だよ」

馬中心ではあったが、羊や山羊も飼われていたことをスティールは知っている。当然、カイザードは家畜の扱いに慣れているだろう。その証拠に彼は全く迷うことなく歩いている。恐らく地形などから、どの辺りで普段放牧が行われているのか判るのだろう。
やがて放牧が営まれていた付近にたどり着いた。山の麓であるこの辺りにはカイザードの地元にあったような平地はない。しかし、緩やかな斜面を中心として、放牧に向いた草が生える地形があった。その付近には簡素ではあるが、柵らしきものも建てられていた。
少しだけヤギの姿があった。しかし、痩せていて、お世辞にも健康そうではない。

「…病気か何かか?」
「違うよ、ラーディン。この辺りはあまり土地が肥えていないから、草も少なめだ。あまり太れないんだよ。それにこのヤギはもう年老いている。だから盗られなかったんだろうね」
「老いる前にさっさと肉にしちまえばよかったのにな」
「きっと彼女は繁殖用のヤギだったんだよ。頑張って子を産んでくれたんだろうね。だから最後まで養っているんだよ」
「メスなのか」
「ラーディンってホントにヤギがわかんないんだなぁ」
「悪かったな。家畜はさっぱりだ」

中隊のメンバーと手分けして、周辺を調べる。
さすがというべきか、最初に手がかりを見つけてくれたのはドゥルーガであった。

「北の山道を通って行ったようだな」

この辺りには幾つかの山道がある。その中でどの山道を使ったのかを調べるのが最初の仕事であった。
その道を歩いていくうちに、すぐ次の手がかりは見つかった。
蹄の後や、ヤギの糞などが目印のごとく残っていたためである。

「幾ら何でも分かりやすすぎだ。罠じゃないか?」

副官のオルナンが、少し伸びた顎髭をさすりつつ、少し困惑気味に言う。

「やはり他の山道も調べた方がよかったかもしれんな。人手を分けるべきだったか……」

隊長であるスティールの経験が浅いため、基本的な策はオルナンが立てている。
地図を見ながら迷うようにため息を吐くオルナンにスティールは周辺を見つつ、告げた。

「罠かもしれませんが、家畜狙いの山賊ですよね。子ヤギを含んだ9匹を連れて、この狭い山道を逃げるのはそう容易ではないと思います」
「ふむ。罠をたてるほど余裕がないと?」
「可能性は捨てきれないと思いますので、念のため、他の手がかりがないか慎重に調べつつ行きましょう」
「まぁそうするか。あいにく地の利は敵にある。人手を分けて戦力を半減させるよりいいか」

そうして山道を進んでいくうちに先頭付近を歩いていたカイザードが立ち止まった。

「足跡が消えた」
「道はまだ続いているのに、どこに消えたんだ?消されたか?」

周辺を見回すが道は一本道だ。脇道はない。
茂みなどを探す他の隊員をよそに、スティールの腕から声がした。ドゥルーガだ。

「崖だ」
「え?」
「岩肌を見ろ。目の前の岩肌だ」

山道の左側はうっそうと茂る木々、右側は岸壁というべきか、急な斜面となっている。幸い、登る側の傾斜面なので、落ちる心配はない。

「不自然な突起が幾つか続いている。人工的に作られたものだろう。この斜面の上にアジトがありそうだな。恐らく、仲間が上から縄を降ろし、登ったのだろう」

実に不格好で出来が悪い突起だ、とドゥルーガ。

「いや、この際、突起の見た目とかどうでもいいから。でもありがとう、おかげでアジトが見つけられたよ」

さて、この岩肌をどうやって登ろうと悩むスティールの隣で、土の印使いであるラーディンが地面に手を付けた。

「土砂崩れが起きないよう、注意しつつ、階段でも作ればいいだろ?」
「うん。でも岩肌だよ。かなり堅そうだ。手伝うよ」
「作るのは結構だが、その前に作戦会議だ」

オルナンに制止され、スティール等は向き直った。