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◆銀のミーディア(13)

一方、ミスティア領の公立診療所では、ロディールの同僚ジーネが食事休憩中であった。
ジーネは既婚者であり、幼い子供がいる女医だ。
普段は銀の城に勤めているが、週に一回、公立診療所で婦人科や小児科を手伝っている。
この世界で医師は人手不足だ。ジーネはいつも歓迎されている。

従業員用に作られた休憩室はお昼時ということもあり、介護士や掃除人たちも集まって、食事を取っている。
そこへやや遅れてやってきたのは外科のスルペルだ。

「あらスルペル先生」
「こっち空いてますよ、どうぞ」
「あぁ」

横柄に答えて、スルペルは開けられた席に座った。

黒い髪に茶色の目のスルペルは二十代半ば。『聖ガルヴァナの腕』を使えるため、この病院では一番働いていると言ってもいい医師だ。
性格は我が儘で自信家な一面があるが、仕事にプライドを持っており、努力家でもあるため、嫌われてはいない。ほとんど休日をとれないような働きぶりだが、皆がそれをフォローし、スルペルのためにと動いてくれている。
例外は銀の城から派遣されてくる医師たちだ。彼らはスルペルとは一線を置いて付き合っている。

銀の城の医師たちはエリートだ。
生まれも腕も考慮されて引き抜かれたエリートたちであるため、常に人手不足に悩む公立診療所からしてみれば、非常に複雑なのだ。
しかし、大貴族ミスティア家がそこらの医師で満足するわけがない。一流の者を雇うのは当然であり、選ばれた者が、勤務条件がいい銀の城に雇われるのも当然だ。
人手不足のことは銀の城も理解してくれており、定期的に人を派遣してくれる。
常勤で働いてもらえないのは残念だが、そこは我慢するしかない。診療所と銀の城には、そんなジレンマが横たわっている。

「おい、ジーネ女史」
「なぁに?」
「新人はまだ来ないのか?」

ジーネは首をかしげた。
スルペルの言う『新人』が誰だか判らない。

「新人の医師なんて入ってないわよ」
「そんなはずねえだろ。この間、夜間の急患で派遣されてきたヤツは新人だと言ってたぞ」

誰のことかしらと首をかしげるジーネに対し、周囲で話を聞いていた人々が口々に説明を始めた。

「若い男の先生よ。淡いプラチナブロンドで意外と背が高かったわ」
「腕持ちの先生で三本ぐらい同時発動されてたわ。糸の縫合が一瞬で驚いたわ」
「そうそう、本当に凄腕だったの」

ジーネは納得して頷いた。

「あぁ、ロディールね」
「ロディールというのか。新人なんだろう?いつ、うちに来るんだ?」
「彼、薬師なのよ。薬師は足りてるんでしょう?」

だから派遣予定はないわよと答えたジーネに周囲は目を丸くした。

「うそ!?医師じゃないの!?」
「だってあんなに凄腕で……薬師!?本当に!?」
「医師じゃないの!?どうして!?」

ジーネは肩をすくめた。何故と問いたいのはジーネも同じなのだ。
しかし、当人は薬師という職に拘っている節があり、医師と言われるたびに顔をしかめている。
実際、銀の城では『薬師』の方で雇われているらしい。医師ギルドではなく、薬師ギルドからの紹介だったというから薬師なのは確かだ。

「ご領主様が彼をお気に入りでね。派遣は無理だと思うわ」

城に来た時から、ロディールはほとんど医師団の一員として働いてはいない。来たときからずっとアルディンと共に過ごしているので、医師や薬師というより保父状態だ。
彼にアルディンが懐いている上、アルドーに気に入られているため、現状は変わりそうにない。
しかし、ロディールの腕が優れているのは確かだ。現場としては、とても欲しい人材だろう。実際、心待ちにされていたようだ。周囲の人々はしきりに惜しむ言葉を口にしている。

「彼が来てくれたら、少しスルペル先生の負担を軽くしてあげられると思ったのに」

ため息混じりの看護士の言葉にジーネは眉を寄せた。確かにスルペルはジーネの目からみても疲れ切っている。もう長いこと過重労働状態になっているのは確かだ。
横柄な性格のスルペルだが、仕事に関しては真面目だ。忙しすぎることに愚痴を言いつつも仕事を投げ出さずに頑張っている。周囲が少しでも軽減してやりたいと思うのは当然だろう。

「(さすがに気の毒ね、相談するだけしてみようかしら)」

そう思うジーネをよそに、周囲の話題は別の話題に変わっていた。
最近、この診療所を悩ませている正体不明の病があるらしい。

「どんどん患者が増えている」
「どうも感染する病のようだ。早急に対策を見つけなくては」
「医師ギルドからの返答はまだこないのか?少しでも情報が欲しい」

南方最大の診療所だけあり、運び込まれてくる患者も多いのだ。
それだけ、未知の病に遭遇する率も高い。

「急患だ!!」

休憩室の外から切羽詰まった叫び声が聞こえてくる。
食事もそこそこに部屋を飛び出していく人々を見送るジーネであった。


++++++++++


「ひとーつ、ふたーつ、みっつ…」

無事、ミスティア領に戻ったロディールは、相変わらず、保父状態で過ごしていた。
卓上にリンゴを一個ずつ並べて、数を数える練習をしているのはアルディンだ。
その側で書き物をしているのは、ロディールの同僚であるブラウ。茶色の髪と黒い目をした、二十代後半の医師だ。代々ミスティア家に勤める医師の家系に生まれたため、子供の頃から銀の城に出入りしているという筋金入りの医者だ。

「急患だ」
「急患ですっ」

そこへ争うように飛び込んできたのは二人の騎士だ。

「センセー!練習中に剣がすっぽ抜けちまって!相手に刺さっちまったんです!!急いで来てください!」
「公立診療所からの救援要請です、お願いします!!」

ロディールとブラウは顔を見合わせた。
お互い、別々の場に行かねばならないようだ。

「診療所の方、頼んだぞ」

先にブラウが走っていき、ロディールは呼び止める暇もなかった。
こうなれば診療所へ行かざるを得ない。しかし……。

「アルディンはどうすればいいんだ……」
「センセ、早くっ!!」
「判った。仕方がない、行こうアルディン」

誰かに預けるのも放置するのも躊躇われる。仕方なく子連れで馬車に乗るロディールであった。


診療所の入り口付近に倒れ込んでいたのは、20代の若い男だった。なかなか体格がいい。
しかし、腹部を切られている為、出血が酷い。もうわずかほども動かせない。動かしている間に死ぬ。その為、入り口付近で施術をしているようだ。
側で医師や看護士が必死で施術している。しかし、患者はもう虫の息のようだ。
あまりにも酷い傷だ。アルディンには見せられない。
ロディールは診療所の看護士にアルディンを預け、患者の側に膝をついた。

(順番にやっていては間に合わない。すべてを同時に行わないと)

「これは…もう無理じゃないか…?」
「腹が真っ二つだ。助かるわけがない」

周囲の人々からそんな囁きが聞こえてくる。

「ロウタス、この馬鹿野郎!!」

患者の側にいる血まみれの男は、患者の連れのようだ。涙ながらに叫んでいる。

「あんた、確かスルペル師だったか?ちょっと離れてろ」
「あぁ?邪魔をするな……って、あんた確か銀の城の…」
「交代しよう」

ロディールが告げると、疲労を見せていた医師は素直に場所を移動した。

助けられるかどうか判らない。あと数分で確実に死ぬであろう男だ。
それでもやらないよりマシだ。どうせ後悔するならやってから後悔したいし諦めたい。
脳裏に浮かぶのは、彼にとっての師である、愛する祖父とその相棒の技を奮う姿だ。

(じぃさん、ロス、どうか力を貸してくれ)

ロディールは息を吸った。

「……慈愛深き微笑みの……」