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◆銀のミーディア(4)

ロディールは川で洗った薬草の入ったザルを持ち上げながら、空を見上げた。
ロディールが印を得て、数年の時が経った。
その間に祖父が亡くなり、兄が結婚した。

緑竜の使い手であった祖父が亡くなったのは、冬の日の朝のことだった。
老いによる体力の低下で病にかかり、亡くなったのだ。
しかし、病で亡くなったとは思えぬほど安らかな顔だった。

緑竜は無口な竜だった。
同じく無口で物静かだった祖父とは、いつも一緒に過ごしていた。
晩年もほとんど共に過ごし、薬草の選別をしつつ、ひなたぼっこをしたり、野道を散歩したりしつつ過ごしていた。
祖父が若い頃から一緒だという二人には、言葉にされぬ絆があったようだ。
祖父が亡くなった朝、緑竜は祖父の側で微動だにせず、無言で祖父の顔を見つめていた。
恐らくそれが彼と祖父の別れの儀式だったのだろう。いつの間にかいなくなっていた。

「…慈愛深き微笑みの…生と死の理(ことわり)を司る我らが母よ…」

聖ガルヴァナ神を讃える歌は、祖父と緑竜がよく歌っていた歌だ。
ロディールは祖父に薬師としての基礎を教わったため、歌も幼い頃から耳にしていた。

「ロディール、『ペーネの印』から手紙が届いたぞ」
「今行く!」

兄に叫び返しながら、ロディールは薬草の入ったザルを手に歩き出した。


++++++++++


世界中に広がる『冒険者ギルド』や『鍛冶師ギルド』のように、薬師にも独自のネットワークがある。それが『薬師ギルド』だ。別名を『ペーネの印』という。

ペーネは、万能の薬草と呼ばれる葉の名だ。その葉は殺菌作用と解熱作用を持ち、傷にも病にも効く葉として知られている。
育ちやすく、増やしやすい植物であるため、大陸中で見られる葉だ。
ペーネの葉は薬師の証とされ、『ペーネの印』に所属する薬師は必ず看板にその葉を象ったものを使用する。葉っぱの看板が掲げられた建物は薬師の証というわけだ。

薬師は数が少ない職業だ。
基本的に代々受け継がれていくものだから、数に大きな変化がない職なのだ。
故郷であるルォーク地方の薬師もロディールの生家が代々受け継いできた。
ロディールは、兄の結婚を機に、薬師のいない地方へ移り住もうと考えた。
そのために薬師ギルド『ペーネの印』によき移住先を紹介してくれと依頼した。
しかし、その返答はロディールにとって予想外のものだった。

「……銀の城……?銀の城ってどこにある城なんだ?」

ペーネの印から届いた書類を手に呟くと、家族が驚きの表情を見せた。
両親が顔を見合わせる。

「…銀の城というとミスティア家……」
「何故そんな大物が……」
「腕のこと書いていたからじゃない?」
「そういや、そうだった」
「ええ、確か条件で」
「だなぁ、迂闊だった」
「希望がなかったから」
「あぁ……」

ロディールには判らぬ会話が両親によって交わされる。

「『腕』が使えるとデカい街や貴族に回されてしまうんだ」

父はそう告げた。手には葉たばこを持っている。父は愛煙家なのだ。
しかし量は多くない。吸うことによる健康へのデメリットを知る父は、食後にたしなむ程度だ。
同じく煙草を吸う兄は興味深そうに親の話を聞いている。手には同じく煙草を持っている。

「『聖ガルヴァナの腕』か」
「あぁ。『腕』は都会で重宝される。だから人口の少ない田舎には行かせてもらえん。デカイところに回される」

ようするに聖ガルヴァナの腕という癒しの技の使い手は、都会にある大きな診療所へ配属されるということらしい。
『聖ガルヴァナの腕』は緑の上級印技の一つだ。生気で作り上げた幻の腕で治療を行う。生気の腕であるため、体内に入り込める腕で肉体を傷つけることもない。それ故、大変便利で重宝する技だ。
しかし一定の力と器用さが求められるため、使い手はそう多くないのが現状だ。

「…銀の城…ってことは貴族?」

どこの貴族だろうと思いつつロディールが問うと、父は頷いた。

「銀の城はミスティア家の居城だ。どうやらミスティア家に選ばれたようだな」

ロディールは顔を引きつらせた。
ミスティア家といえば、以前、祖父が仕事を受けたところがある貴族だ。
しかし、そのとき祖父と向かったのは、ミスティア家の親戚筋の貴族だった。ミスティア家の要請を受け、ミスティア家の貴族を助けたのだ。そのため、実際に銀の城にへ行くことはなかった。

ミスティア家といえば、南東に広大な領土を持つ三大貴族の一つだ。
豊かな実りを約束してくれる富んだ大地、東には豊富な海の幸が捕れる海を持ち、国内最大の貿易港を抱える。
質の良い鉱石を産出する鉱山もあり、そのうちの一つは銀山だ。そのため、ミスティア家の居城は『銀の城』という異名を持つという。
そして代々のミスティア公爵は名君で有名だ。そのため、ミスティア領は荒れることなく富み続け、国内有数の豊かな地として続いている。
領民は我らがミスティア公と敬愛を込めて慕っているという。

ロディールから書類を受け取った父は一通り読むと眉を寄せた。

「普通は候補が数カ所ほどあり、その中から選べるものだが…銀の城しか載ってないな…」

書類を横からのぞき込んだ兄は小さく苦笑した。

「ミスティア家じゃ競いようがないからだろう。指名された時点で決定事項になる」
「そんな大貴族なんて…冗談じゃない…」

出来れば故郷と同じような田舎で、静かに薬師をやりたいのだ。
だから貴族や大都市など考えたこともなかったのだ。
しかし、父はため息を吐いた。

「要望違いだったなら抗議もできるだろうが、相手が悪すぎる。勤めるにしろ、そうでないにしろ、一度ちゃんと出向いて話をした方がいい」

ちゃんと出向いて誠意を見せ、その上で田舎で薬師をしたいと話をしてこいと父。

「ミスティア家が相手じゃ下手なことをしたら死罪だ…。オヤジの言うとおり、一度お会いしてこい」

兄と母も同意するように頷いている。

「判った」

確かに相手が悪すぎる。ただ断るだけじゃマズイだろう。
ロディールは諦めて、一度ミスティア家に出向くことにした。