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◆聖アリアドナの花

春が来て、スティールは進級し、士官学校の四回生になった。
士官学校は6年間だ。卒業後は各地の騎士団や領主軍に入団することになる。
(あと三年か。早いような遅いような…)
故郷を出て、もう三年が経ったのだ。そしてその間にスティールは印や紫竜を得て、運命の相手のうち二人に出逢った。
(予測つかないのが人生というけど、予想外れまくりだよ…)
山の中の田舎町から出てきた。のどかな町で一生を終えることを疑ってもいなかったので、都会ではついていけないだろうと母は心配していた。父は挫折して帰ってくるんじゃないかと思っていたらしく、帰郷するたびにまだ辞めないのかと問うてくる。物静かな家族たちはスティールの職をあまりよく思っていないようだ。
(まぁ無理もないけど。うちは代々薬師だし…)



新たに渡された時間割には見慣れない科目が幾つかあった。
「……調合?何を調合するの?」
「火薬や薬さ。四回生からは新たな授業が増えるんだ。その分、基礎授業がなくなる。より実践的なことを学ぶんだ」
「…へえ…」

まさか士官学校で薬の調合をする機会に出逢おうとは思ってもいなかったスティールだった。
細かい作業は苦手なんだよなーとラーディンは顔をしかめている。優等生なラーディンにも苦手なことはあるんだなとスティールは少しおかしく思った。
隣を歩いている友ティアンは逆にやる気たっぷりのようだ。緑の癒しの印を持つ者らしく、薬の調合などは積極的に学びたいらしい。実際、後方支援部隊には医術の使い手も多い。

「そういえばもうすぐ聖アリアドナの祭りだね」

ティアンは少し悪戯っぽく笑った。

「ラーディンは去年たっぷり貰ってたから、今年も期待できるんじゃない?」

聖アリアドナの祭りとは好意を持つ相手に手作りの小さなブーケを贈る祭りだ。花の多い春に行われるだけにもっとも華やかな祭りとも言われている。この時期は飛ぶように花が売れるのだ。

「おい、ティアン。からかうなよ」

少し困り顔のラーディンは爽やかな外見と性格でよくモテる。去年はたくさんのブーケを貰っていた。ブーケの数だけ好感を持たれているのだから、ある意味判りやすい人気のバロメーターになる。

(ラーディンは今年もたくさん貰うんだろうな。……先輩もすっごい数貰いそうだな……)

一学年上の先輩カイザードは派手な美貌と文武両道の人物だ。それだけでも目立つが、彼には顔と能力の優れた親友がいる。単独でも目立つのに大抵ペアでいるから、更に目立つ。二人は近くを通るだけでざわめきがおきるという士官学校の人気者である。
そんなことを考えていると、隣の親友に背を突かれた。

「なぁスティール。お前、好きな花とかあるか?」
「え?別にないけど…あぁけど、派手な花より小さな可愛い花の方が好きだな」
「なるほどなー」

何気なく答えたスティールは質問の意味を考えなかった。
そのためティアンが軽く肩をすくめ、その仕草を見たラーディンが苦笑したことに気づくことはなかった。





五回生の教室は四回生の教室の上にある。1,2,3回生の校舎が東にあり、4,5,6回生の校舎が西にあるのだ。
カイザードは自分のクラスでノートを睨むように見つめた。彼は不機嫌だった。理由は課題にあった。

「あぁうぜえ…。なんでこんな授業あるんだよ…」

全般的に成績の良いカイザードだが、調合の科目は苦手だった。丸暗記だけなら何とかなるが、目による見極めや指先を使った繊細な作業となると、どうしても向き不向きがでてくる。カイザードはそれらが苦手だった。
そのカイザードと机を挟んで向き合うように座っている親友ラグディスはカイザードと違った意味で不機嫌だった。

「…全くだ。何故調合の授業は2クラスで行われるんだ。鬱陶しくて仕方がない」

人気のある二人だが、それぞれにファンがいて、ラグディスの場合、隣のクラスに熱烈なファンがいる。勝手にファンクラブを作り、勝手に活動をしている者達だ。
ラグディスは放置しているが、その隣のクラスにはラグディスと犬猿の人物もいる。それが問題だった。普段はクラスが違うため関わる機会はないが、合同クラスの場合、嫌でも顔をあわせる。そして、ラグディスのことでファンとライバルが喧嘩を始めるのだ。ラグディス自身、幾度か止めたが、ラグディスが口出しすることで事態が悪化することも多かった。

「俺が何をしようと俺の勝手だろうが。なんでいちいち俺をネタに喧嘩されなきゃいけないんだ…」

クールな性格のラグディスは彼等の行動に大変迷惑していた。

「ファンってのは、勝手に俺たちに対して夢をふくらませているものだからな。だからといって俺たちが想像通りに生きてねえじゃねえかと言われてもどうしようもねーんだが」

カイザードもファンを名乗る女性に士官学校入り口で雨の日も風の日も待ち伏せをされ、大変迷惑した過去があった。その女性は毎日カイザードに着て欲しいという服を持っておしかけていた。結局はカイザードに相談を受けた学校側が女性を説得してくれたのだが。

「ところでお前、印授業で一緒のリオはどーした?」

邂逅の儀で印を得た仕官学校生は、授業で印の使い方を学ぶ。その印の授業の時は印ごとに分かれて授業を受ける。カイザードは火、ラグディスは風のため、その授業の時間は分かれて授業を受けていた。

「リオ?断ったに決まってんじゃねえか。俺にはスティールがいるんだし」

ラグディスの問いにカイザードはあっさり答えた。


カイザードの相手スティールは目立たない人物だ。
肩までのクリーム色の髪を首の後ろで一つに束ね、いつも眠たそうな目をしている。
成績もそれほど良いとは言えない。士官学校で重視される武術に至っては平均以下という有様だ。
個性らしき個性がないため、大勢の中にいたらあっさり埋没してしまう。実際、ラグディスもカイザードの相手だと聞くまで全く知らない相手だった。
そんな人物であるため、カイザードの運命の相手と言ってもそれだけだろうと周囲は思っている。強烈な個性の持ち主で大変人気もあるカイザードはスティールと正反対に大変目立つ人物なので、スティールとは合わないと皆が思っているのだ。実際、受ける印象もちぐはぐなので、運命の相手なのだと言われてもピンと来ず、違和感を感じる。
そんな二人なので、先輩と後輩、という間柄以上のものはない、というのが周囲の二人への認識であった。


「まぁ、そうだろうな」
カイザードにスティールのことを聞いていたラグディスはカイザードの返答に驚かなかった。
カイザードはちゃんとスティールに好意を持ち、スティールと接している。そのため、交際申し込みの類は全部断っている。そのことを親友ラグディスは知っているのだ。

「お前、手先不器用だろ。花束作りの練習しておいた方がよくないか?」

手先の不器用さは調合の授業によく現れている。

「確かにな。放課後、花を買いに行くか」

カイザードは真顔で頷いた。