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■暗月の招く影(10)


「うわ、ぶよぶよだね、ドゥルーガ。肉の脂身みたいだ……」

既に小竜というより濃い紫のゼリー物体と化しているドゥルーガにスティールだけでなく、ラーディンやネクリスも顔を引きつらせている。

「一体どうしたんだい?」

事情を知らないフェルナンもさすがにドゥルーガの状態には驚いたらしい。
スティールが事情を話すと成る程と眉を上げた。

「ダメージを受けたんだろうね。死霊の攻撃方法はあまり知られていないから力になれないのが残念だ。とりあえず安静にさせてやるのが一番だろう。あいにく、道案内はしてもらわなければならないが…」
「あ、大丈夫です。ここまで来たら俺、何となく判ります」
「そうなのかい?」
「当時、草木をかきわけながら逃げましたから、後が残ってます」

スティールの言うとおり、やや離れた場所になぎ倒された木々や草が見えた。

「あんなところを走ったのかい?」
「邪霊に襲われて、必死でしたんで…」

呆れ顔のフェルナンに無理もないかとスティールは思った。
今いる場所は木々や草の間より多少マシな獣道だ。
それより下の斜面には木々や草がびっしり生えている。それなりの勾配があるため、ヘタしたら滑り落ちそうな場所だ。そこをかき分けながら走ったのだから、その時、いかに必死だったかが判る。回りが見えていなかったのだ。

そのまま道を進んでいくと見覚えある場所についた。

「ここです」
「……ああ、あるね。…確かに確認した」

被害者の遺体と暗殺犯の遺体を確認したところで、パンと破裂音がした。
音のした方角を見上げると空でパンパンと音が鳴っていた。きらきらと光が見える。

「信号弾だね。注意を促すものだからもう一度鳴るはずだ」

フェルナンの台詞に待っていると、十数秒後、再度、音が響いた。
一定の間隔をおいて、2、3度ずつ、破裂音が鳴り響いていく。

「援軍ですか?」

ティアンが問うとフェルナンは頷いた。

「シーイン副団長とアスワド大隊長が到着したようだ。スティール…」

昨日と同じ筒を投げ渡され、スティールは昨日と同じように信号を打ち上げた。

「一旦、援軍を待とう。恐らく憲兵隊もついてくるはずだ。彼等が到着したら、後は彼等の仕事だ」
「はい」

スティールは援軍を待ちつつ、革袋の中を見た。中のゼリー物体はぴくりとも動かない。
ドゥルーガがぐったりした状態を見たのは初めてだったのでスティールは不安で仕方がなかった。
その様子を見てフェルナンが眉を寄せる。

「紫竜は大丈夫かい?」
「途中で大丈夫じゃないと言ってました。自分で治療できるとは言っていたんですが…」
「その治療はここではできないのかい?」
「治療に行くと言っていたのでここではないと思います。教えてはくれない様子でしたが…」
「先に戻るかい?彼に死なれては困る」
「いいんですか?」
「構わない。彼の道案内のおかげで遺体と犯人は見つけることができたからね。迷わず帰れるかい?」
「はい、大丈夫です。ではお言葉に甘えまして失礼致します」
「ああ」
「フェルナン様、例の約束の日をお忘れなく」
「判っている」

やや顔を赤らめて睨み付けられ、スティールは苦笑した。
しつこかっただろうか。しかし念には念を押しておかないと、年に一度しかない彼の誕生日を仕事などで理由をつけられて逃げられそうな予感があるのだ。

気をつけてと仲間たちの見送りを受け、スティールは山を降りた。
降りていく途中、罠にかかった子イノシシを見つけた。そういえば罠を仕掛けたなと思った。まだ元気だったので注意深く近づいて気絶させ、罠から外してやり、手作りの罠を壊した。もう山を降りるわけだから不要なのだ。

「すまなかったね」

子イノシシに謝りつつ、罠を撤去すると、くぐもった声が響いた。

「…スティール。火を」
「え?わ、わかった」

唐突にドゥルーガから声をかけられ、スティールは革袋を地面に下ろした。

「そのまま俺に炎を放て」
「ええ?…わ、判った」

不安だがドゥルーガがそうしろというのだからそれでいいのだろう。
革袋から出したドゥルーガはぐったりしていた。しかしかろうじて小竜姿だ。
スティールはその小竜に炎を放った。小さな小竜が大きな炎に包まれる。
大丈夫と判ってはいても落ち着かぬ光景に見入っていると、スティールの身長と同じぐらいの高さまで炎が上がった。
小竜は完全に火に包まれて影すら見えない。燃え尽きてしまったかのように見える。
その炎に顔のようなものが浮かび上がった。一つ、二つ、と複数の顔が浮かび上がっては数秒で消えていく。
最後に現れたのは一番鮮明な顔だった。年の頃は二十代後半に見える。スッと伸びた鼻梁に切れ長の冷たさを感じさせる隙のない眼差し、真っ直ぐな眉は強い意志を感じさせる。髪は眼を覆うような長さで綺麗に横に流してあり、全体的に切れ者のエリートのような雰囲気があった。
その人物の髪の色は濃い紫色だった。スティールは小さな相方と同じ色を持つ人物を食い入るように見つめた。
最後の顔も他の顔と同じように数秒ほどで消え、2、3分後、大きな炎も消えた。
炎の後にはいつも通りの小竜の姿があった。

「ドゥルーガ?」
「あぁ。もう大丈夫だ」
「そうなの?」
「荒療治ではあったが、俺の体に残ったありがたくない思念も消えてしまったからな。応急処置にはなった」

では炎に浮かび上がってきたのは『ありがたくない思念』とやらだったのか、とスティールは思った。
最後に浮かび上がってきたのもそうだったのだろうか。小さな彼と同じ色を持った彼まで死者だったのならば少し残念だとスティールは思った。
麓へ再び歩き出しつつ、スティールは小さな友に声をかけた。

「紫の髪の人を火の中に見たよ」

肩に飛び乗ってきた小竜はピタリと動きを止めた。

「……ほぉ」
「格好良かったよ。被害者の人だったのかな、残念だ」

そうか、と小竜は呟いた。その声に感情は感じられなかった。

「それにしても大変な訓練だったね。それとも大変じゃないと訓練にならないのかな。今度はちゃんと清い鈴を持っておきたいな」
「それがいい。鈴さえ持っておけば近づいてこられなかっただろうからな」

俺がつくってやろうという小竜に、頼むよ、と答えつつ、スティールは山を降りていった。
ハプニング続出の中、新人騎士としての訓練はそうして幕を下ろすのだった。

<END>