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◆夢見る雨(1)

ニオルは王都士官学校の出である。
現在は海軍所属の騎士だ。
彼は王都士官学校時代、あまり出来の良い生徒ではなかった。成績としては中の下ぐらいか。いずれにせよ、多くの生徒の中に埋没してしまうような平凡な生徒であった。
そんな彼は七竜の一つ、紫竜の使い手であるスティールと同期である。
スティールもまた、成績はよくなかった。むしろかなり悪い方だった。
ニオルとスティールは仲は良くも悪くもなかったが、一緒に補講を受けたりするような関係だった。ようするに似たり寄ったりの生徒だったのだ。
そんな二人の関係は士官学校時代の後半に変化した。士官学校では邂逅の儀を受けた後、印の授業が始まる。そこでスティールが印に関して、並ならぬ才能を開花させたのだ。
他の成績は相変わらずだったが、スティールは印に関してだけは好成績を収め続けた。
そしてスティールはエリートコースである近衛軍へ入団した。
ニオルはといえば、水の印保持者であることを生かして、海軍に入団するのがやっとだった。海軍は水の印保持者であれば優遇されるため、入団しやすいのだ。
そうして二人の関係は分かれた。


ウェリスタ国の南東にミスティア領は位置する。国内でも有数の大きく豊かな領地だ。
海軍の本拠地はそのミスティア領の一角にある。港町ギランガの沖合に位置する島が本拠地なのだ。
訓練中に負傷したニオルはそのミスティア領の端にある田舎の診療所で療養することになった。
ろくに任務もこなせぬうちに戦線離脱することとなり、ニオルは落ち込んでいた。
そして遠く離れた地にも噂は聞こえてくる。同期のスティールは初陣とそれに続く戦いで大きな功績を立てたという。
更に西で起きた戦いではガルバドス国の将を二人も捕虜にしたというから相当だ。

(俺は何をしてるんだ…)

比べても無意味だと判っている。
それでもニオルは落ち込まずにいられなかった。士官学校時代、スティールは自分と同レベルだったので尚更だ。

+++

ニオルの負傷は足だった。
ただの骨折ではなく、複雑骨折だったので回復には相応の長い時間が必要だと言うことだった。そのために療養にいい静かな田舎の地にやってきた。
回復のためだと判っている。しかし何もない田舎に追いやられたような気がして、ニオルは気が滅入っていた。今は何もかもマイナスに受け止めてしまいそうだった。

そのニオルの世話をしてくれる療養所の職員はサヴァと言った。
ニオルより何歳か年上の男だ。痩せていて、目つきもいいとは言えない。愛想は欠片もない。正直言ってベテランか、若い女性の方がよかった。
しかし、不器用だが、いつも真面目に世話をしてくれる相手だった。
そのサヴァは同僚達に余り好かれていないようだった。院長であるテーバの愛弟子であるということが原因のようだった。妬まれているのだ。けれど悪質なイジメなどは受けていないらしい。ただ疎外されているらしい雰囲気があった。
そして介護士としては未熟で頼りない彼は、療養所の患者たちにも嫌われていた。
特に担当している老齢の女性マイヤには嫌がらせまで受けている有様だ。
そんな様子を見て、ニオルはサヴァに同情していた。

(どこでもそんなことがあるんだな)

ニオル自身、王都士官学校出身であるということで、ミスティアの士官学校生が多い海軍ではやや疎外されていたのだ。
さすがに嫌がらせまでは受けていないが、知り合いも殆どいない海軍では孤独を感じていた。

(海軍に戻ったところで居場所はあるだろうか……ヘタしたら左遷されるかもな)

自分なりに頑張ってはいたが、不慣れな海であまり役に立てていたとはいえない。
その点、ミスティアの士官学校出身者は海に近い地のためか、自分より遙かに海に慣れていた。

(海軍に戻るより転職した方がいいかもしれない……)

そんなことを考えつつ、日々を過ごしていたある日。
足を怪我しているために動けず、退屈していたニオルの部屋の窓の外からその声は聞こえてきた。

「一つ…二つ…」
「……?」
「カタギリ草…と…ユウベリ草…?」
「…何やってるんだ?」

窓の外にいたのはサヴァだった。調合でもしているのかと思うが、窓の外でやるようなことではないだろう。声をかけるとサヴァはやや気まずそうに顔を覗かせた。
手には紙の束。他には何も持っていなかった。

「書類か?」
「いや……読み書きのための手本だ」
「読み書き?」

なるほど、紙の束には不格好な文字が並んでいる。

この世界では学校へ行くことが必須ではない。学校がないような田舎では両親や長老が教えることが多いという。
さすがにある程度の大都市になれば、それ相応の学校があるが、読み書きが出来ない者はけして珍しいとは言えないのが現状である。

「教えてやろうか?」

ニオルがそう申し出るとサヴァは驚いた。

「動けないからやることがない。退屈しているんでな」
「そうか、あんた騎士だったな。読み書きは出来て当然か」
「まぁ一応な」

腐っても騎士というべきか、平均よりは読み書きが出来る自信がある。

「じゃ頼む」
「ああ」

紙の束を受け取り、ニオルはニオルはゆっくりと指を動かしていった。

「いいか?読み書きにはコツがあるんだ…」

+++

読み書きが出来ないというサヴァはいろいろと苦労しているようであった。

「カルテも読めねえし、調合用の本も読めねえから、まずは読み書きからって言われてるんだ」
「よく薬師になろうって思ったな……」
「医師になりてえんだ」
「おい、薬師より難しいんじゃないか!?本気かよ?」
「俺だって難しいって判ってる。俺より若い奴らがどんどん上を行ってるからな」

それは事実だ。
サヴァは二十代のようだが、ここには十代中頃から働いている者たちが複数いる。
この世界の薬師や医師は、世襲が多い。先祖代々受け継いでいくことが多い職の一つなのだ。
そのため、新たにそれらの職につこうと思ったら、誰かに弟子入りするしかない。しかし、世襲が多い職のため、なかなか弟子を取る者はいない。こうした大きな医療所に就職して頑張るしかないのだ。
しかし、それも狭き門だ。読み書きすらできないサヴァが入れたのが不思議なほどに。
それを問うと、サヴァは苦笑した。

「俺は……ここの院長であるテーバの知り合いでな……俺は運がよかったんだ」

なるほど、コネがあったのか、とニオルは納得した。
読み書きすらできないのだから、あまり良き生まれではないのではないかと思っていたが、意外といい生まれなのかもしれない。到底そんな風には見えないが。

(努力家だよな……)

ニオルはそう思う。
見るからにワケありのように見えるサヴァは何となく他の者たちから邪険に扱われているように見える。
そして読み書きができないために他の者たちより能力的にも下だ。当然雑用しかやらせてもらえない。
それでもサヴァはいつも文句一つ言わずにコツコツ頑張っている。そして休憩時間にも読み書き用の手製の教本を手放さず、文字を覚える努力をしている。

(俺は何をやってるんだ……)

エリート校である王都士官学校をでていながら、思い通りに行かない現状にただ不満を抱いて燻っている。
ニオルは当然読み書きも出来る。実家だって金銭的には不自由していない裕福な家だ。
サヴァより遙かにいい環境にいるのに不満ばかり抱いている。そんな己が情けない。

(何やってんだ、俺は……本当に……)

自分が情けなくて、仕方がなかった。