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◆にわとり印のパン屋の話(その1)

俺はラーザ。23歳のパン職人だ。

「おい、お前、独立して頑張れ」

俺はいきなり店主のザジさんにそう言われた。
俺の勤める店はウェリスタ国の王都の西通りにあるウェールのお店王都第二支店だ。
ザジさんは若くして店主を務める辣腕家で主に歓楽街のお客様を相手に荒稼ぎしている。特に媚薬は評判がいい。ザジさんによると腕の良い薬師さんと知り合えたことが幸運だったらしい。
何でも取り扱うザジさんの店で俺は主にパンを売っている。何故かというと俺の育ての親がパン屋だったからだ。結局、いろいろあって跡を継げなかったため、ザジさんの店に奉公に入った。独立する金もなかったからだ。
それから約十年間、ザジさんのお店で頑張ってきた。この世界でパンは主食だ。おかげでいつもそれなりに売れている。13歳だった俺も二十代になった。

「独立しろと言われましても…」
「安心しろ。金なら出してやる。お前のパンは美味いが場所がよくねえ。ここは歓楽街で店は多めだが住宅街じゃねえからな」

ザジさんは北地区がいいと言った。
東と西は既に大きな商店街があり、ライバル店舗も多い。
けれど南と北、特に北は店が少ないのだそうだ。

「まずはワゴンで売って回れ。そうして様子を見つつ、本格的な店を出す場所を決めりゃいい」

いずれにせよ、独立はいい話だ。俺は頷いた。

「はい、頑張ります」


++++++


俺は手押しタイプのワゴン型店舗であちらこちらを回ることになった。
パンはあらかじめ、貸店舗を間借りして焼いている。ザジさんがウェール一族のネットワークで借りてくれたのだ。
あちらこちらを回ったが反応は微妙だった。値段は高すぎると言われてしまう。
けれど材料費を考えるとこれ以上落とせないのが現状だ。質の悪いパンは作りたくない。
そうして俺が近衛第一軍本営前に来たのは店を始めて半月ほど経ったときのことだった。

「あれ?コーザ様?」
「コーザ様、いつお戻りで?」
「何故、こんなところで店を開いてらっしゃるのですか?」

いきなり一部の騎士から声をかけられて驚いた。

「いや、俺はパン屋の店主でラーザと言うんですが…」

そう名乗ると更に驚かれ、納得されるということがしばし繰り返された。
どうやらよく似た知人が以前、第一軍にいらっしゃったらしい。
パンはそんな騎士様たちを相手にちまちまと売れ、それなりの数が売れた。
そうして時も過ぎ、夕刻近くに店じまいを考え始めた頃、いきなり飛びつかれた。

「コーザ!!コーザ!!」

どうやらまた間違われたらしい。
しかし、逃がさないと言わんばかりにぎゅうぎゅうに抱きつかれ、俺は驚愕した。

「コーザ、会いたかった、コーザ!!」

その人には連れがいた。赤い髪の騎士様は困惑したようにこちらを見つめ、首をかしげた。

「…おい、ラグディス。人違いじゃないか?」
「あ、そうです。俺はパン屋の店主でラーザと言います」

慌てて頷くと俺に抱きついてきた人はゆっくりと離れ、顔を上げた。
珍しい蒼の髪、同色の睫に縁取られた目がゆっくり瞬きする。至近距離で見た相手は驚くほどの美青年で再度、驚いた。

「別…人…?」
「違います。俺、軍とか全然無関係でして…」

明らかにショックを受けた様子で黙り込む相手に俺は気の毒になった。

「あー、売れ残りで良かったらこれをどうぞ。食べて元気出してください。精魂込めて作ったパンなんで美味しいですよ」

パンを二、三個渡したが相手からの反応はなかった。呆然としているようだ。
どうにも居たたまれない空気から救ってくれたのはやはり先ほどの赤毛の青年だった。

「すまない、迷惑をかけた。パン代を払うが幾らだ」
「いえ、結構ですよ。よかったら一緒に食べて元気をつけてあげてください」
「そうか、ありがとな。おい、行くぞ、ラグディス」

赤毛の青年がやや強引に引っ張って連れていく様子を見送り、俺は小さくため息を吐いた。
他の場所より売れたけれど、トラブルも多発だった。
ここは止めた方がいいのかな。

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