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◆紅き竜と嘆きの器(1)


長旅をするときは隊商を組むことが多い。主に盗賊対策だ。一人旅は狙われやすいためである。
そして隊商を組むときは参加者全員が少しずつ金を出し合って護衛を雇う。そうやって成り立っているのだ。
しかし、ウェール家は別だ。豊富な資金力で最初から護衛を持っているからである。

「なぁ、シェル。ありゃなんだ?」

兄に問われたシェルは乗っている馬車の窓から後ろを振り返った。
ウェール家一行の後ろにくっついてくる旅人たちがいる。
隊に入っているわけでもなく、大きく離れるわけでもない。そんな微妙な距離を保ってついてくるのは数人の旅人たちだ。

「旅の商人だろう」
「なんで俺たちにくっついてくるんだ?ウェールの関係者じゃないよな?」

怪しい連中じゃ?と問う兄バディにシェルは首を横に振った。

「隊商に入る金がない者達だろう」

隊商に参加したくても参加するための金がない者達がいる。
そんな者達は少しでも危険を避けるために同じ方面に向かう隊商にくっついていくのだ。
そしてウェール家は護衛が多い隊商だ。ウェール家直属の護衛だけでなく、現地でも傭兵を雇っている。見るからに安全そうな隊商なのでくっついてきている旅人がいるのだろう。

「放っておいていいのか?」
「特に問題はない。彼らがいようがいまいが大した影響はない」

隊商に入ることができないほど貧しい者たちだ。盗賊も滅多に狙うことがない。
そんな者達がくっついてきたところでウェール家には影響がないのだ。

シェルは小さな箱から指輪を取り出した。
稀少な宝石をそのまま掘った大変贅沢な国宝級の品だ。
依頼者はシェル自身、制作者は紫竜ドゥルーガ。
大国の王都に土地付きの家一件分という高額の依頼料で作ってもらった品である。
海竜が食らいつくような猛々しいデザインの指輪は今にも動き出しそうなリアルさで生き生きと掘られている。さすがは七竜が作った品というべきか、見事な出来映えだ。
海竜はパスペルト国の紋章を意味している。紫竜は過去にパスペルト国にいたことがあったという。そのため、パスペルト国の紋章を知っていたのだろう。

(大きいな…)

指輪はシェルの指より太めだ。相手は剣の達人だ。しっかりと武器を握り、奮うことができる相手は男らしく太い指をしている。そのことをシェルは知っている。
男らしい指に、この猛々しいデザインの指輪はよく似合うことだろう。彼は喜んでくれるに違いない。指輪を渡す瞬間だけは、きっと。
シェルは隣に座る兄を見た。
兄が第一王子と婚姻するのであれば、シェルは今の婚約を破棄するつもりでいる。自分の結婚は兄の結婚により左右される。シェルはウェール家の次期当主だ。家の利益に繋がらぬ結婚はするつもりはない。

兄が王家に嫁ぐのであれば、断りの言葉を。
兄が嫁がないのであれば、婚姻の申し込みをするつもりだ。

どちらの選択をするにしても、この指輪は渡すつもりでいる。

(バディ次第だ……)

兄の幸福を最優先で考えたい。
しかし、その決意も最近は揺らぎつつある。
理由は過去に見てきた三つの形の愛だ。

愛してくれなくていいから結婚だけはしてくれと言った婚約者。
政略婚で結婚した相手はいない、と言った父。
そして、相手を愛するが故に相手の命を奪おうとした三兄。

三人ともとても優秀で、仕事面に関しては、シェルも高く評価している相手だ。

恋愛は人を愚かにする、とシェルは思う。
しかし、父のように家族全員を愛し、よき家庭を築き、一族を繁栄させている、そんな生き方も可能なのだ。
考えれば考えるほど、ハッキリした答えはでてこない。

「シェル、いい指輪だな」

見せてくれ、と伸びてきた兄の手から、逃げるように箱へ戻した。
彼以外の人に触れられたくないと思ったのだ。

「見るなら箱に入れたまま見てくれ」
「いいけど………これ、ウィリアム様に?」
「あぁ」
「すっげえ……これ、針銀晶に天空石をはめ込んであるのか……?これ一つで大きな店舗の年間売り上げに匹敵するんじゃ…」

商人らしい感想にシェルは苦笑しつつ首を横に振った。

「そんなに安いわけないだろう」
「安いっ!!??」
「材料費だけで城が建つ」
「はあ!?冗談だろっ!?」
「本当だ。今までの蓄えを全部出した」
「お、おまえ……っ」

さすがにウェール家の後継者だけあり、シェルは個人でも相当な額の貯蓄を持っている。
しかし、それを全部放出したという。指輪一個のためにだ。

「あの人の想いに何を返せるだろうかと思った。同じだけの想いは返せない。ならば想いと同じ価値があるだけの品を渡さねばと思った。金で計れるものではないが、俺には金しかないからな……」
「シェル……」

複雑そうに指輪を見る兄を見つつ、シェルは馬車の外を見た。
御者の隣には、ちんまりとした黄色い竜がいる。風に吹かれたいといい、今日は外にいるのだ。
幸運の竜のおかげか、天候の悪化などはなく、予定どおりに進んでいる。
そうして順調に旅路を踏破し、ガルバドスの西の国境近くの街まで来たとき、シェルは思わぬ相手に再会した。