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◆ジオレラの花(1)


庭の片隅に植えられた小さな花が咲いた。
鮮やかな黄色でほのかな香りを放つ花だ。
しかし王宮の庭には見栄えのする大輪の花が多く植えられている。
その小さな花は低木で花自体も小さいため、他の鮮やかな花に比べると見劣りする。
その花は、亡くなった祖母との想い出がある花だった。

王宮は権謀や策略に満ちた世界だ。
国の第一王子として、血筋も問題のない生まれであることに嫌気が差したことがないと言えば嘘になる。次代の世継ぎである身に本音で近づいてくる者などいないのだ。誰もが媚びを売り、丁重な態度で接してくる。身分という名の垣根が幾重にも張り巡らされ、その中にただ一人立たされている。
同世代の者達は誰もが『ローシャス様』『さすがは殿下』と言って褒め称えてくる。何をしても褒めることしか能がないかのように同じ台詞を繰り返す。本音が見えない賞賛をこちらが喜ぶと思っているのだろうか。そうであればずいぶんと見くびられたものだ。
そう思いつつも変化のない虚構に満ちた日々を過ごしていたある日、その相手に出会った。

勢いよく廊下を走ってきたのだろう。曲がり角で胸に飛び込んできた相手はその衝撃にびっくりした様子でこちらを見上げてきた。
何歳か年下だろうか。騎士っぽい身なりをした十代後半の青少年だ。
丸い目が更に丸くなっている。少し跳ねた赤い髪は元気の良さを表しているかのようだ。
服の質はいいが、襟元など大きく開いていて、乱雑だ。わざとそういう風に着こなしているのだろうか。
騎士の見習いか、なりそこないに見えなくもなかったが、胸元につけられたブローチは青玉石だ。その大きさや質の良さは彼が貴族であることを知らしめていた。

「えっと、悪い!アンタ、痛いところとかないか!?俺、ちょっと急いでてよ、前見てなかったから俺が悪い!」

相手は怪我の有無を確認するかのようにぶつかった胸元をべたべたと手で触ってくる。そんな風に遠慮無く触られたことなどなかったから驚いた。まるで子供のようだ。しかし相手は真顔だ。本気でこちらの身を案じているのだろう。
怪我がないことを告げると相手はパッと笑った。屈託のない子供のような笑みだった。

「そっか、よかった!あのさ、俺、この先にある花園に行くんだ。よかったらアンタもいかないか?珍しい浄水泉花(ジオレラ)が咲いてるんだってよ!」

驚いた。
確かに浄水泉花(ジオレラ)は珍しい花だ。
しかし珍しい以外、特に話題にならない花だ。実際、見てもこれといって見栄えのするような花ではない。だからわざわざ見ようと言う者などいない。そんな地味な花なのだ。

「見て、がっかりするかもしれないぞ。あれは地味な花だ」

そう告げると赤毛の相手は笑った。

「いーじゃん。俺が見たいんだし好きなんだ。あの花は香りがいいし、サイズもいいし、地味でも良いところたくさんあるぜ」

再度驚く。
相手は花自体を知った上で見たいと言っているようだ。
あの花を自分と亡くなった祖母以外の人間が好きと言うとは正直思っていなかった。

「そうか、では見に行こう」

そう言うと相手は目を丸くした。本当にころころと表情が変わるものだ。見ていて飽きない。

「あんた、地味だって今言わなかったか?別に無理に付き合ってくれなくてもいいぜ」
「そうだな。だが地味な花にもいいところはたくさんある。そうだろう?」

そういうと赤毛の相手は笑った。

「そーだよな!誰にだっていいところはあるんだよ。そういやあんた、名は?」

問われて内心少し残念に思う。
正直に身分を告げたら彼は態度が変わるだろう。それが残念だった。
だが隠していたところでどうせばれる。

「ローシャスだ」
「へー。俺はバディだ」

驚かれなかった。どうやら気付いていないらしい。
そう思って内心ホッとしていると、歩き出そうとしていた相手がパッと振り返った。そうしてマジマジと見つめられる。
やはり大きな目だと思って見つめ返していると、相手は軽く眉を上げた。

「ローシャスって第一王子の名じゃなかったっけ?」
「そうだ。私だ」
「へー。……思ったよりデカイなー。ウィリアム様みてえ」

彼は弟を知ってるらしい。
しかしそれ以上に彼がこちらの身分を知っても態度を変えないことに驚いた。
試しにそのことを告げると相手は笑い出した。

「俺だってすげえし!なんと黄竜一族の直系なんだぜ。驚いたか!」

そこは驚くべきところなんだろうか。
しかし相手が自信満々で屈託のない笑みを浮かべているのが妙に面白くて笑ってしまった。
その笑いは相手に好印象を抱かせたらしい。バディと名乗ったウェール家の相手はつられたように笑い出した。
それがウェール家のバディとの出会いであった。