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◆銀〜罪の持つ真実〜(16)


『寿命というのは人それぞれだ。個性というものだろう』

寿命さえも個性だ。昔、そう言い切った男がいた。先々代の王だ。
ザクセンはその男が好きだった。

長身で大柄な男だった。
この国の長子として生まれ、血統も良かったために生まれながらの王と呼ばれた男だ。
彼は兄弟に捕らえられた己を助け出してくれた。
当時、すでに人嫌いだったザクセンを庇護してくれたのは彼だ。好きにしろ、とザクセンを自由にしてくれた。彼だけがザクセンの持つ光の印を欲しようとしなかった。
これ以上欲しい物はない、と言い切って笑える豪快な男だった。
彼のものにならばなってもいい、そう思ったのに、肝心の相手がザクセンを欲しなかった。運命とはこれほど皮肉なものかと当時のザクセンは思った。
彼が死んだとき、二度と誰にも従わない、そう思った。彼だから従っていたのだ。
彼に渡された品がある。二度と使わないだろうと思っていた短剣。あれは今どこにあるだろう。この国の王の紋章が入った短剣。雷竜が作りし逸品は。
あれがあれば、今のこの国の王に面会できるかもしれない…。

『罪は俺が負う』

ザクセンを連れ出すとき、アスターは誰かにそう答えていた。このことを予想していたのだろうか。厳しい罰を覚悟の上で連れ出したのか。

「とんでもないバカ野郎だ…」

ザクセンがそう呟いたとき、慌てた様子で部屋に医療兵が駆け込んできた。

「せ、せ、先代国王陛下がお見えですっ!!」

先代と言えば彼の子だ。ザクセンも幾度も会ったことがある。
ザクセンの驚きがやまぬうちに護衛と共に老人が入ってきた。
深い朱の服に金糸が施された豪奢な服が老人の身分を知らしめる。
老いても鋭き眼差しがかつてこの国を支配していた者だと語る。

「久しぶりだ。おぉ、ずいぶんやつれおって」
「……おかげさまでな」

ザクセンが皮肉げに答えると周囲の護衛が気色ばった。
しかし言われた当人は低く笑いを零しただけであった。

「相変わらず、父王以外には従わぬつもりとみえる」
「……」
「かつて、あれほどの寵愛を受けては無理もないか。だがおぬしのために命をかけた者がいる。その者は人望があると見え、黒将軍が複数、嘆願へやってきた。…主はどうする?」
「そいつはとんでもない大馬鹿野郎のようだ。お人好しもほどほどにせねば命を落とすという、よき教訓になっただろう」

ザクセンの皮肉げな口調も、大国の王であった老人の態度を微塵も揺るがすことはなかった。

「では殺すしかないかの」
「元は俺の脱獄を手伝ったというのが原因だろう。俺を牢へ戻せば済むことだ」
「相変わらず素直じゃないの。それほど父王の元へ行きたいか。あのときも一言も弁解せなんだな」
「……」
「だが今回は通用せぬぞ。現在、死人と語れる者が将軍位におる。そやつがお主の過去を知る者と語り合ってきた。すでにお主の罪状はほぼ晴れておる。お主が牢へ戻る必要はなく、当然、脱獄云々も関係がなくなった」

驚くザクセンへ老人は笑んだ。

「長き生は辛いか?過去はそれほど甘いか?」
「……」
「だがお主の生を望み、お主を助けようとした者がいる。どんな理由があろうとその者によってお主が救われたことに代わりはない。彼の力になり、もうしばらくこの世界を見てみるがいい。父王がそなたに与えた自由を我も約束しよう。お主の罪は晴れたのだ」

無言で顔を隠すように俯き、震える手を握りしめるザクセンに老人は静かに笑み、老いた手でザクセンの肩を力づけるように叩いた。

「ザクセンよ。長く辛い思いをさせてすまなかったな」

++++++++++

ノースは己の公舎の執務室でため息を吐いていた。
目の前では側近のカークがソファーに座って紅茶を飲んでいる。
本来、客人用のソファーなのだが、今では完全にカークの指定席だ。
カークはノースの感情を読むことに長けている。彼はノースに不機嫌さに気付いていた。

「ご機嫌斜めですね。何かありましたか?」
「…ホルグにアスターを取られた」

カークは少し驚いた。

「アスターを譲ったのですか?なんて勿体ない!」
「私もそう思う。譲る気はなかったんだが、あいにくホルグからの申し込みではなく、アスター自身の希望だったのでね」

当人の希望となると止めるわけにも行かなかった。引き留める要素もなかった。アスターとノースは元カークの部下というだけの繋がりでしかない。昇進したばかりのアスターが誰の元へ着こうと自由なのだ。
そしてノースにはよき部下が多くいる。アスターを引き留めたところで彼に十分な仕事を回してやれるかと言われれば確約できないのだ。

「ホルグめ。一体どんな条件で移動したのか気になるな。…部下に出ていかれたのは初めてだ」

ノースの部下は当初、カークとダンケッドだけだった。
現在はだいぶ増えているが、将軍職以上の部下は誰一人として移動希望を出してこない。それはノースの人望と信頼が成せる業だ。当然ノース自身もそのことは誇りと思っていただけにアスターが移動の話に来たときは軽くショックを受けた。

(本当に勿体ない。目、耳、頭が揃ったいい将なのに)

ノースはアスターを高評価していた。
戦場での判断能力が高く、臨機応変さがある。マニュアルに捕らわれることのない人物だ。
経歴を見ればかなりの激戦を生き抜いてきていることが判る。経験は何にも勝る糧だ。激戦を生き抜いてきたアスターは信頼できる。経験のない士官学校出のエリートより遙かに使えるのだ。そしてアスターは情報収集能力も優れている。良い男捜しをさせられたなごりというべきか、カークの部下だった影響のようだが、いつもいろんなことを知っていて、打てば響くような返答が返ってくる。
戦闘能力に関しては普通だ。上級印を持っているわけでもなく、大技を振るえるわけでもない。しかし、過酷な戦場で曖昧な命令を下しても、臨機応変にノースの望んだとおりに動いてくれる貴重な将だ。そんな臨機応変さと状況判断に優れた将はノースの知る限り二人しかいない。カークとアスター二人だけだ。
手放したくなかった。できればアスターの麾下に強力な上級印持ちを入れて、戦力アップを図りたいと思っていた矢先だった。

「取り戻せませんかねえ」

カークも未練を持っているようだ。

「ホルグのところとモメる気はないよ。どうしても必要になったら招集をかけてみるよ」

必要になったら借りればいい。一応、一言ホルグに告げる必要はでてくるだろうが、ホルグとノースの仲は悪くない。彼の元にいる側近中の側近は貸してくれないだろうが、彼の麾下に入ったばかりの新入りぐらいなら貸してくれるだろう。

「ところでザクセンの件はどうなりました?」
「先代陛下の勅命で罪状は晴れた。詳しくは闇の中だがやはりゼロが関わっていたようだ」
「どこまでも我らが前任者は付きまとってくるようですね」

アスターには関わらないと告げていたが、ノースは一通り、ザクセンの件を調べていた。
あいにく、途中で勅命が入り、調査は途中で打ちきりとなったが、大体のことはつかめた。
レンディとノースが黒将軍となる前の黒将軍たちのトラブルによってザクセンは牢へ入れられていた。その一件でノースの前の黒将軍ゼロが関わっていたのは確定のようだ。

「容疑は当時の王女の殺害だ。王族の殺害では幾ら黒将軍でも極刑にならなかったのが奇跡だと言っていいだろう。過去の国王の寵愛が彼の命を救った。先代国王が減刑してくださったらしい。ゆえに命だけは助かり、銀牢へ放り込まれた」
「……『そういうこと』になっているんでしょう」
「……真実は闇の中だ。長い歳月が経ち、当時の黒将軍たちも残る者は殆どいない。証人すら全員が死んでいる。まして王族殺害の容疑では減刑は不可能に近い。通常は」
「ええ、通常は。ですがレンディが動いたようですね。彼はアスターに甘い」
「デーウス、バッカス、ホルグ。その上、レンディが動いた。黒将軍のうち半数が動いたことによって不可能が可能となった。成り立ての青将軍でありながら、これだけの人数を動かせるとはね。アスターは人望があるようだ」

言いつつもノースの表情は暗い。そのアスターが己の元を離れていったことと、ゼロが関わっているということが彼の気分を晴らさないのだ。

「ノース様、私ではご不満なのですか?これほどノース様に尽くしているのに!」

わざと嘆くように言われ、ノースは苦笑した。カークが彼なりに気分の晴れぬノースを気遣っていると判ったからだ。

「昨日まで新しいお気に入りと遊んで、出勤すらしていなかったくせに何を言ってるんだい?」

部下が豊富なおかげで問題はなかったが、カークがいなかったのは確かだ。

「調教の成果をお見せしましょうか?」
「謹んで遠慮するよ」

そんなものを見せられてどうしろというのだ。
そこへダンケッドがやってきた。手には菓子の包み。彼はそれをカークへ差し出した。

「おや、気が利きますね」

ダンケッドはカークの向かいのソファーに座った。中身はケーキだ。
ダンケッドはそれがカークの手によって皿に盛られた後に口を開いた。

「ディルクからだ」

ノースに差し出せばしかめ面をされる。自分で皿に盛る気はない。
故にカークに差し出したダンケッドはタイミングを見計らって誰からの差し入れかを告げた。皿に盛られた後ならばノースが拒否しないと知っているからである。

ディルクはノース麾下の将の中でノースを想っている筆頭だ。断られ続けても諦めない根性が凄いと周囲に言われている。しかしその想いの強さ故にノースに遠ざけられているとは当人も気付いていないようだ。
ちなみにダンケッドとカークが菓子を受け入れるのは単に茶菓子が欲しいためであり、ディルクに協力しているわけではない。相伴に預かりたいだけなのだ。それを知っているからこそディルクも菓子を多めに買ってくる。

(いいかげん、ノース様も以前のディルクのことを吹っ切ってもいいと思うんですがねえ)

そう心の中で呟きつつ、カークはティーポットを手に取った。
カークの知る『ディルク』は二人いるのだ。そして彼らとノースの関わりをカークは知っている。カーク自身、やや苦い思い出となっている過去がある。

「さて、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「もらう」
「もらいたいな」

カークが部屋を出る直前、ぽつりとした呟きが耳に入った。

「このモンブランは美味しいな」

独り言のようだったが、ノースが菓子を褒めるのは珍しい。
ノースの好きな菓子として頭にインプットしつつ、ディルクに会ったとき教えてやろうと思うカークであった。

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