蝶~夢境の鳥かご~
「えええ、カーク将軍~っ、さすがにこれはどうかと思いますよ。ベルリック殿がお気の毒ですよ~」
ダンケッドが古巣であるノースの官舎に茶を飲みに来たら、ダンケッドと同時に黒将軍となったアスターが来ていた。どうやらカークに用があったらしい。
地位的にはアスターが上になったがアスターはカークの元部下だ。そのため精神的に逆らえないらしい。他軍に所属していた時期も時折こうして呼び出されて官舎に来ていた。
アスターが気の毒だと主張しているのはカークが壁に飾っている絵の事だろう。カークの愛人の一人であるベルリック青将軍の裸体を描いたその絵は実は二枚目だ。一枚目はベルリック自身に気づかれて破棄されてしまったがカークはよほどその絵を気に入っていたのか二枚目を作らせて飾っている。
「そうですか?素晴らしい芸術だと思いますが」
「嫌ですよ、こういうのは相手にしか見せたくありませんって。俺がカーク様の恋人だったらカーク様にしか見られたくありませんよ」
「なるほど。私にしか見られたくないと……相変わらず可愛いことを言いますね貴方は。いいでしょう、これは下げることにします」
「か、可愛い?……まぁともかくそれがいいですよ」
これは思わぬ展開だ。誰が説得してもやめようとしなかったのにアスターの言葉で絵画を下げるとは。
しかしアスターはカークとの性格的な相性がいいようだ。アスターの何気ない言葉でカークは動くことがある。今回もそのパターンだったようだ。そしてその結果にカークの側近である赤将軍二人が喜んでいる。居合わせたこの二人はカークの愛人たちでもある。つまり自分たちも絵画の素材となる可能性があるため、危惧していたのだろう。カークが取りやめてくれて安堵したようだ。
そのカークは束のような厚みの書類を機嫌良く見ている。
「今回も素晴らしい質と量ですね、感謝しますよアスター。ご褒美は何がいいですか?」
アスターは『いい男の情報』を持ってきたらしい。彼はカーク麾下にいる頃からその仕事を欠かしたことがない。カーク直属の部下である赤将軍ですらまともにやっていないのにアスターだけはきっちり守り続けているのだ。オマケに内容も徐々に変化していて、リアルな描写の絵付きになっている。こういうところがカークに気に入られている理由の一つだろうと思うダンケッドである。
「ではお言葉に甘えまして。協力してほしい工事箇所があるんです。そこの領主である貴族に公共工事を邪魔されて少々困ってまして。ですが絶対にそこに砦が欲しいんですよ」
アスターが説明した場所は確かに砦があった方が良い場所だ。そしてその貴族には心当たりがあった。これはカークが動くより自分が動いた方がスムーズに行く案件だ。問題の貴族は第一王妃の実家に近い貴族だからだ。カークもそのことに気づいたのだろう。こちらをチラリと見てきたので頷き返す。特に反対する理由もないし、カークやアスターとは今後も仲良くしていきたい。少しでも面倒事を減らすためにも彼らと協力し合った方が今後楽を出来そうだからだ。
大変面倒くさがりのダンケッドはそう考え、この案件に協力することを決めた。
「アスター、俺の名を出していい。そしたら牽制できるだろう」
「え、そうなんですか、ダンケッド殿」
「あの領主は第一王妃のご親族になられる方なのですよ、アスター」
「ええと……?すみません、俺、王宮内のことは詳しくなくて……」
「第一王妃はバルドイーン第一王子のご母堂です。つまりダンケッドの婚約者の母君というわけです」
「なるほど!そういうわけですか。助かります、ありがとうございます!」
頭を下げてくれたアスターは『それであんな噂があるのか』と呟いた。
「なんです、その噂とは?」
「あ~、気を悪くせず聞いてほしいんですが……ダンケッド殿は黒将軍に上がられたばかりなのに何故かその次を噂する奴らがいて不思議だったんですよ。ですが王子のご婚約者だからそういう噂が流れていたのかと思いまして」
「ああ、それは以前から流れている噂ですから気にしなくていいですよアスター。私やダンケッドは以前から結婚して辞めるのではないかと噂され続けておりますから。王族や貴族の婚姻は早いものですからね、そういう噂が流れるのは無理もありません。そういう意味では殿下方の婚姻は遅すぎるぐらいです」
通常、王族貴族は十代で婚姻することも珍しくない。その理由は当然ながら後継者作りのためだ。
だが現在の王バルドイーンは多くの子がいる。正妻の子はもちろん、妾の子に至っては何人いるのか判らぬほどだ。そのため王子たちの婚姻は急がれていない。
しかしダンケッドと第一王子はすでに三十代に突入した。いつ結婚してもおかしくないというより遅すぎるぐらいの年頃のため、そういう噂が流れているのだろう。
「実は少し考えている」
「おやそうなのですか?ですが貴方に引退されると少々面倒ですね。結婚しても仕事を続けませんか?」
「面倒だ。……だが王妃となるのも面倒な気がして悩んでいる」
正直にそう答えるとカークは軽く眉を上げた。
「王妃ですか。そうですね貴方がバルドイーン様に嫁げば間違いなく次の王はバルドイーン様ですね。ベルンスト様がご寵愛の方は貴族ではありませんから」
やはりカークの目から見てもそう見えるのかと思い、ダンケッドはウンザリした。このままでは王妃という望まない地位から逃れられないようだ。
だが王子以外の婚姻も気が進まない。王子以外と婚姻したら長兄と後継者の座を争うことになるのは目に見えているからだ。長兄と自分はそれぐらい流れる血の重さが違う。自分が王子との結婚を反故にしたら絶対に母方の実家が口出ししてくるだろう。長兄が実家を継ぐことを許してくれなくなる。
「いろいろと大変なんですね。俺は平民なのでその大変さは判りませんが、黒将軍となった今、何か力になれることがあるかもしれません。力になれそうなことがあったらご相談ください」
アスターがそう言ってくれた。
裏のないその言葉は本心からダンケッドを案じる言葉であり、ダンケッドは嬉しく思った。カークが気に入るはずだ。上流階級生まれの自分たちにはこういう裏のない言葉は殊の外、尊いものに感じられる。裏のある言葉のやり取りばかりしている身としてはとても新鮮に感じられるのだ。
「ありがとうアスター将軍」
そのため心から礼を告げたダンケッドであった。