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◆フェルダーケン地区の新築工事の話(16)


ガルバドス国の徴兵期間中は、低額ではあるが給与が出る。
そして衣食住は給与と別に支給されるので生活に困ることはない。
徴兵を終えても、職にあぶれて食べるのに困った者が軍へ一般兵として戻ることも珍しくないのはそういった理由からだ。
しかし、徴兵中であっても特殊な環境の者はいる。
例えば、スターリング黒将軍の婚約者であるタヴィーザだ。

「徴兵用の官舎でいいって言ってるのに、他の男と雑魚寝なんて許さんとか言って、黒将軍用官舎の一室で暮らせとか言われるし、徴兵中に着るはずの作業着もスタちゃんが古着は肌に悪そうだとか言って、新品を買ってくるし。
大体、男の肌にいいも悪いもないだろ!?古着がダメだって言うなら家にある服は全部古着になるだろ!俺はそんなか弱い肌じゃない!オマケに食事までスタちゃんと同じなんだ!将軍位の食事は別になってるはずだろ?なんで徴兵中の俺まで同じ内容の食事なんだよ!おかしいだろ!?」

新公舎の打ち合わせだという口実でアスターの公舎へやってきたタヴィーザの愚痴にアスターは気の毒そうな顔になった。

「何というか、いろいろと勘違いなさってる感じだなー。お前がか弱い女性なら理解できるんだけどよー。けど俺も反省しなきゃいけないかな〜。うっかり、坊にファーのコートとマフラーと帽子をセットで贈っちまったことがあるんだよ。いや、これがすげえ可愛くてよー!レナルドから売ってもらった柔らかな白の毛皮で、シプリのお師匠に仕立ててもらったんだけどよ!もふもふした毛皮に埋もれてる坊が可愛くて可愛くて……」
「お前も同類か、アスター!」
「ちょ、ちょっと待てよ!俺は、当時、坊が意外と薄着で寒そうだったから贈ったわけであって、下心とか変な気持ちはないぞ!結婚するかもしれない相手は別にいるからな!」
「ザクセン青将軍か?」
「違う違う。イーガム青将軍の方だ。一応俺がプロポーズをしたことになっている相手だ」
「なんだ、その一応プロポーズっていうのは……」
「な、成り行きで……」
「お前は成り行きでプロポーズして、成り行きで結婚する気か!?お前のオヤジさんと女将さんに言いつけるぞ、アスター!」
「わー、待て待て。ワケありなんだって!それにイーガムには別に候補がいるんだよ、ただそいつがストーカーっぽくてな」
「……ストーカーから守るためってワケか?」
「うーん……」

バハルドとイーガムがいつ知り合ったのか、などの詳しいことはアスターにも判らない。
ただ、将となる以前からの付き合いで結構古い仲らしく、やはりバハルドが一方的にイーガムを好いているという関係だったようだ。
赤将軍時代に知将ノース経由でカーク部隊に入ったのも、バハルドから逃れるためというのが大きな理由だったようだ。
当時、カークの部隊はまだ部下が揃っておらず、人手不足だった。しかし、すでにカークの評判は多くの将に知れ渡っていて、他の黒将軍たちはカーク部隊に部下を貸したがらなかった。
困ったノースはいろんな将に声をかけた。そうして結果的に移動となったのがアスター、イーガム、マクシリオンの三名だった。
ノースとカークは部下の管理をきっちりとやるタイプだ。それは当時から同じで、イーガムは上官二人により守られることになった。
その後、青将軍昇進時にイーガムはブート黒将軍麾下へ移っていたが、やはり移動時に上官と取引をしたらしい。おかげで彼はバハルドから逃れられてたようだ。
そのため、バハルドが移動してきたとき、アスターは『何で受け入れたんだ』とイーガムに恨まれる羽目になった。そんな事情があるなら早めに教えておいてほしかったと思うアスターである。

(うーん、あそこまで嫌う理由がわかんねえんだよなぁ……)

アスターは好きな相手を溺愛するタイプだ。それは自他共に認めるところである。
そしてそれはバハルドも同じようだ。彼は過剰なほどイーガムへ愛を向けている。しかし、それはイーガムには鬱陶しく感じられるらしい。
イーガムが負傷して、顔に傷が残った後も『私の愛は変わりません!』と言い切るほどだ。なかなか立派じゃないかとアスターは思うのだが、イーガムにはそうは映らないらしい。

(俺もバハルドに似たところがあるからな〜。イーガムとうまくやっていけるか自信がねえんだよなぁ……)

イーガムのことを白くて小さくて可愛いとは思う。気の強い自信家なところも好きだ。しかし、あくまでも友情の範囲内だ。
そしてバハルドと同じく相手を溺愛するタイプの己とイーガムがうまくやっていけるのか、少々自信がないアスターである。
その点、どれほど世話をしても当たり前のような顔をして受け入れるザクセンとは相性がいいように感じられるのだ。
しかし、ザクセンは人嫌いだ。そこが賑やかなことが大好きで大勢での生活を好むアスターとは合わない。

「アスター?」

友人に声をかけられて我に返った。思わず考え込んでいたようだ。

「俺も考えてはいるんだよ。けどなかなか難しいんだよなー。合う部分と合わない部分ってのが必ずあると思わないか?」
「それは人それぞれの個性だから仕方がないだろう。そう都合の良い相手がごろごろしているわけがない」
「そうだよなー」
「だから妥協して付き合っていかないといけない。それでも受け入れられる部分とそうでない部分があるけどな!スタちゃんは立場を利用しすぎで職権乱用だろう!そう思わないか、アスター!?俺は仕事でこういう風に権力を悪用するのはどうかと思うんだ!」
「いや、お前一人に権力使う程度、全然問題ねえような気がするんだけどよー……。お前、黒将軍の権力一覧表見てみるか?凄まじいぞー……俺はうっかり坊に泣きついたほどだ」
「な、なんだ、権力一覧表ってのは……そんなものがあるのか?」
「黒将軍就任時に国王陛下から贈られた品々の目録みたいなもんなんだけどよ、どっちかっつーと金品なんかより、ついてきた権利の方がすげえというか……」

国王以外に跪かなくていい権利とか国内であればどんな高位の貴族の領内であろうと許可無く通れる権利とか、一代限りとはいえ、死ぬまで侯爵位を保持できるとか、高級奴隷を無料で買える権利とか(買う人は殆どいないんだけどね、と坊にさりげなく言われた)、引退後は貴族として領地を治められるようになるとか(その代わりにお金を選んで王都に残っても全然問題ないんだよと坊に言われた)。

「………頭が痛くなりそうだな」
「だろー!」
「なるほど、スタちゃんがやってることはそれほど無茶なことじゃなかったのか」
「お前個人のことだし、いずれあの人と結婚するのであれば黒将軍の伴侶であるお前の身を心配するのは当然じゃないか?俺たちにはこれだけの権力が付属してくる。国王陛下の次に高い立場を持っているんだからな」
「……やっぱり自信がなくなってきた……婚約を破棄して別の相手を考えようかな」
「待て待て、大丈夫!仕事やめたら、ただの人だから、問題ないって!」
「どうせ黒将軍と結婚するなら、俺、お前ぐらい普通の人がよかった。アスター、お互いに相手について考え直さないか?俺はお前とならやっていける自信がある」
「いやいや、頼むから俺を巻き込まないでくれ。ただでさえスターリング黒将軍に借りが出来てしまったんだ。これ以上面倒なことになりたくねえ!」

風向きが怪しくなり、真剣に友人を説得するアスターであった。

++++++++++

一方、レナルドはギルフォード軍にいた。
しばらくレナルドを借りたいと言われ、アスターが応じたのである。
黒に昇進したばかりで多忙なアスターだが、レナルドは書類整理などに全く役立たない。彼は完全に非常時の人間であり、戦場でこそ力を発揮するタイプの将なのだ。そのため、要求に応じたのである。
そうして出向中のレナルドだが、大して仕事の役には立っていなかった。やっていることといえば伝令と雑談の相手ぐらいだ。
しかしそれでいいのだとレナルドは判っていた。
公舎から助け出された日、仕事を終えてレナルドの家へやってきたギルフォードはしばらくの間、レナルドを抱きしめて離さなかった。
とても心配させたのだと気付いたレナルドは、そのままずっと抱きしめられていた。
お互いに戦場に立つ身だ。別れは覚悟している。
しかし、いざ、目の前に突きつけられたとき、その喪失は計り知れないものがあるだろう。
彼は弱い人間ではない。戦場での死にも慣れている。しばらく側についていれば心の傷も癒えるだろう。だから今はただ側についていてやりたい。

「レナルド」
「うん」
「レナルド」
「うん」

仕事を片付ける合間に名を呼ばれて静かに応じる。
意味のないようなやりとりだが、己の存在を示すことが繋がりを示す。そんな何気ないやりとりが大切なのだとレナルドは知っている。
だから、ただ答える。
名を呼ばれて答える。

「レナルド」
「うん」

時折、名を呼ばれて側に近づき、頬にキスを落とすのも、レナルドにとっては大切な意思表示だ。

「ギルフォード」
「なんだ?」

そしてたまにはこちらから名を呼ぶのも良い。
名を呼ばれてこれほど嬉しいのだ。もらった愛はしっかり増やして返したい。

「ギルフォード」
「レナルド」

交わす視線にはお互いへの愛情と信頼が浮かんでいる。

<END>