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◆灰〜終着の分岐点〜(12)


その見えないぐらいがちょうど良い老医者は大きな屋敷にいた。
黒将軍デーウスが所有する屋敷のひとつである。

「ほれ、いいですぞ」
「ご苦労」

老医者は目も耳もあまりよくないらしい。
ハッキリ言って、医者としてはどうかと思う人物だが、この老人を連れてきたレナルドは『貴方には見えないぐらいがちょうどいい』とセルジュに告げた。意味が判ってセルジュは苦笑した。プライドが高いセルジュは体を見られるのが嫌いだ。微妙な位置にある傷もあるため、確かに見えないぐらいの相手がちょうどいい。
あの青年は本当にセルジュのことをよく判っている。もうだいぶ回復しているのでこの老人でも問題はない。

医師が帰っていく様子を見送った後、デーウスはセルジュの部屋に入った。
元々、医者はデーウスが用意するつもりだった。
しかしその話を聞いたレナルドはデーウスに対し、不信感たっぷりの目を向け、王都に着くと同時に老医師をつれてきた。彼はすっかりデーウスを信用してないらしい。しかし、デーウスの屋敷で療養することだけは認めてくれた。
ひとつは王都に着いた途端、セルジュの宿舎に部下が押しかけてきたことにあるだろう。相手が怪我人だと言うことを忘れて再会の喜びに興奮しまくったセルジュの部下達をレナルドは無言で叩き出したのだ。
その点、デーウスの屋敷であればセルジュの部下達も遠慮があり、容易に押しかけることはできない。デーウスの方もそれを許す気がない。セルジュはゆっくり療養することができるだろう。

セルジュはようやくデーウスに気を許してくれるようになった。今は以前のように話をできるようになっている。
最近は少しいいムードにもなるようになっていた。治療の手伝いのため、体に触れることも許してくれる。時折、思い出したように『婚約話はどうなったんだい?』と意地悪げに問われる。随分昔の話を持ち出してくれるものだとデーウスは苦笑した。結局、立ち消えになった話だが、セルジュはそんな話があったことを覚えていたらしい。

それから一ヶ月後、デーウスは長い間、机の引き出しに入っていた上質の小箱を取り出した。
どんな戦場よりも緊張して切り出した言葉は苦笑気味に受け入れられ、デーウスはセルジュの指にその小箱の中身をはめることを許された。
時折、様子を見にやってくるレナルドは婚約の話を当人たちから直に聞き、本当に痴話喧嘩だったのかと呆れ顔であった。
そして、デーウス軍への引き抜きは即答で断りを入れた。

「絶対いやだ!」

黒将軍からの引き抜きだ。普通は誉れ高きものとして光栄に思うべきだろう。しかしレナルドはしかめ面だった。よほど懲りたらしい。
デーウスとしてもレナルドには大きな借りがあることが判っていたので諦めることにした。惜しいと思うが当人が嫌がっているのだ。今回ばかりは無理強いできない。

「じゃあ結婚式には出てくれるか?」

デーウスが問うとレナルドは呆れ顔であったが、仕方なさそうに頷いてくれた。

「ありがとう」

春が近い冬の日のことであった。

<END>