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◆オルブレロ地区教会とある建築士の話(1)


アランはアスターの弟であり、三人兄弟の末っ子である。
建築士の家系に生まれた彼は、兄たちと同じく、子供の頃から家業の手伝いをして育った。
両親が大柄なせいか、アランも大柄な体だ。身長は190台の次兄アスターが一番の長身だが、アランも充分に長身で180cmを超えている。
アランの家には住み込みの従業員がいる。彼らは当然ながら同じ建築士だ。
そのため、家は広い。王都の端の方ではあるが、普通の家の3,4件分ぐらいの敷地は優にある。
幸いなことに仕事には困っていない家だったが、ちょっと人生を間違ってしまったんじゃないかと思われる次兄アスターが軍の工事関係の仕事を実家にまで持ち込むようになり、更に忙しくなった。
おかげで日雇い労働も雇うようになり、従業員はかなり増えている。
ちなみにアランは徴兵に行かなかった。
本来、軍事大国ガルバドス国の男性には三年の徴兵期間がある。特別な事情がない限り、30才までに終えることが通例となっており、なかなか厳しい決まりのため、大抵の人間は逃れることができない。
長兄、次兄とは年齢が数才ほど離れているため、徴兵時期もずれている。
長兄はとうに終え、婚姻し、子供もいる。
次兄アスターは出世しすぎて、今や青将軍にまで出世している。青竜の使い手レンディを可愛がっていたり、元黒将軍を部下にしていたり、いろんな意味で型破りの兄だ。
母曰く、元気がよすぎて一番育てるのに手がかかったのが次兄だという。
アランも徴兵に行く予定だったが、次兄アスターが勝手に徴兵名簿から外してくれた。

「何で勝手なことするんだよ!」

自分だけ徴兵に行かないなんてきまりが悪いではないか。
近所の人も従業員の子も徴兵に行くのだ。自分だけ行かないなんてわけにはいかない。
そう言って抗議したが、アスターはお前の都合じゃないときっぱり言った。

「言いたくないけどなー、俺、嫌われてんだよ、同僚の青将軍たちに。士官学校出じゃないからお前のことを頼めるような味方もいないしな。お前が来たら余計なことまで気を使わないといけなくなる。そんな余裕ねえんだよ」

予想外の話にアランは目を白黒させた。

「軍内部の派閥みたいなものか?」
「そうだな、近いかもしれないな。俺は今ホルグ様の麾下にいるが、新参者だ。元はノース様の麾下だったからな。おかげで親しいヤツが一人もいない」
「何で移ったんだ?ノース様は知将で有名な方なのに」
「いろいろあるんだよ。移らざるを得なかった事情がな。だから俺は今、余裕がない。ついでに言えば、現職の青将軍以上の地位にあり、弟妹とか我が子のような近い血縁を徴兵させたヤツはほとんどいない。ようするにそれだけの理由があるんだよ」

そんな次兄の意見に同意したのは家族たちだ。
家族は当然ながら末っ子が徴兵に行かずにすむという話に喜んだ。
従業員たちも行かずに済むならそれが一番だと言った。
アランと近い世代の者たちも、羨ましいが行かずに済むならそれがいいだろうと言ってくれた。

「アスターはもう青将軍だ。いろいろと事情があるんだろう」

そう言っていた。
その次兄は秋休みに一度帰ってきた。
同じ王都住まいではあるが、多忙のため、年に2,3回帰ってくるかこないかの次兄だ。
その次兄は友人兼部下だというレナルドを連れていた。
無口で無表情な人物だが、このレナルドという兄の友人は人付き合いがいい。なかなか酒も強いし、カードなどのゲームも知っている。公共事業の仕事にも携わっているためか、仕事の話もそこそこ通じる。おかげでアランの家族や従業員の受けもいいのだ。
問題はいつも挨拶もなく、夜の間に勝手に帰っていくところだ。翌朝までいたことがないのだ。
だが、次兄アスターによれば『そういうヤツなんだよ、ほっといてやってくれ』とのことだった。

「ちゃんと出入り口から出入りするだけ気を使ってるんだぜ、あいつ。俺なんか窓から出入りされてるからな」
「いや、そこは注意しろよ兄貴。窓から出入りって行儀悪すぎだろ」
「その前になんで窓から出入りするのかがわかんねーんだよなー。今、俺の部屋、三階にあるんだぜ。窓から出入りする方が面倒だと思うんだけどよー」
「危険すぎだろ!すぐやめさせろよ、兄貴!」

相変わらずへんなところで呑気な次兄だとつくづく思う。
そんな呑気な兄に朝食用の焼きたてパンが入った籠を渡しつつ、母が問うた。

「アンタ、今度ザクセン将軍をお連れするって言ってなかったかい?」

次は、坊を連れてくる、シプリを連れてくる、ザクセンを連れてくる。
毎回のようにそんな風に言う次兄だが、レナルド以外の人物を連れてきたためしがない。そのため、家族も、「来るかもしれないけど、たぶん来ないだろう」と思って、割り切っている。
同じ朝食の席に着いている他の家族や従業員らも、またふられたんですかと笑っている。
仕事現場が複数あるため、仕事に出る時間がまちまちなので、全員が揃っている訳じゃないが、この家は大所帯だ。
いつも10人以上の人間が大きなテーブルについている。

「古い知人に呼ばれたとか言って、来なかった」

その古い友人とは前国王のことだが、さすがに言葉をぼかしてアスターは答えた。

「兄貴、いっつもふられてねえ?嫌われてるんじゃ?」
「いや、さすがにそんなことはないと思うんだけどよー」
「あんまりしつこいとフラれるぜ。他の軍に行かれないように頑張りなよ」
「さすがにそれはねえと思うが、確かにこれ以上戦力が落ちるとやばいよなー。ただでさえギリギリだからなー、うちは」
「え、そんなにヤバイの?兄貴の軍って」
「そりゃそーだ。俺がトップだぜ。強い軍のわけねーだろ」

そう言われればそうかも、と思ってしまうアランである。
軍の事情などさっぱりわからないが、次兄がトップなのだ。強くはなさそうだ。

「うちは上級印持ちが少なくて、戦力が低いんだ。強い赤将軍が欲しかった。だからザクセンに入ってもらったんだ。戦場で一騎打ちを挑まれることが多いのは青か赤だからな。
敵将を足止めできる将が前線にいないと、そこから崩されてしまう。一度崩されてしまったら立て直すのが難しい。強い将は軍に必要なんだ。
贅沢を言えば、あと一人か二人、上級印持ちの将が欲しいんだよなー……でないと合成印技の発動を食い止められねえ」
「…な、なんだか難しくてわかんねえよ…」

兄の語る内容が急に遠い世界のように感じられ、アランはぽつりと呟いた。
周囲も黙り込んで話を聞いている。
軍事大国ガルバドスにおいて、青将軍というのはエリート中のエリートだ。へたな貴族より軍人が力を持つ国なのだ。
今まで周囲に兄のことを言われても全く実感がなかったが、兄の語ることを聞いていると急にその実感が沸いてきた。兄は国のトップ近くにいる人間なのだと。

「まぁホルグ様のところに移動するだけの価値はあったと思うぜ。ザクセンが入ってくれた。あいつはマジで強い。赤将軍だけじゃなく、青将軍を含めてもトップクラスの実力だろう。一騎打ちならまず負けることはないだろうよ」

誇らしそうな兄の言葉からはザクセンへの信頼や好意が感じられる。
誰にでも普通に接することができる兄はあまり多弁ではなく、誰かをこんな風に褒めるのは珍しい。よほどのそのザクセンという人物を気に入っているのだなとアランは思った。

「兄貴、そのザクセン将軍のこと好きなんだなー」
「なんだいきなり。そりゃ好きだけどよ」
「今度その人をちゃんと連れてくるんだよ、アスター。ちゃんとご挨拶しておきたいからね」
「あのよ、おふくろ。俺は何度も誘ってるんだよ、来ないのはザクセンの方だ」
「あら、脈なしなのかい。そりゃわるかったね。頑張りなさいよ」
「…………」

テーブルに突っ伏し、撃沈した次兄を気の毒に思いつつ、アランは朝食を平らげた。

「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「頑張れよー」

アランは工具が入った革袋を手に家を出た。
アランは20歳を幾らか過ぎたぐらいの若い建築士だが、幼い頃から家族に鍛えられてきただけあって、腕の良い建築士だ。
しかし、同じ境遇の者は周囲にもいる。その中の一人がタヴィーザという男だ。年齢は数歳ほど上だろう。次兄アスターと同世代だ。
当然ながら建築士としての腕はアランより上だ。そのため、現場ではアランの上司として働いている。アランはいわゆる会社経営者の息子という立場にあるが、アランの父はそれぞれの現場に実力主義で責任者を置いている。アランであっても、その責任者に従わねばならないのだ。まだ若いアランが責任者になったことはない。
しかし、タヴィーザは二十代前半から責任者になっていたという。それだけ腕が良いのだ。
アランも彼のようになりたいと日々頑張っている。
そしてそれは幸せなことなのだとようやく判るようになってきた。

『俺も徴兵なんか行きたくなかった。アランには俺のような想いをしてほしくない。徴兵の三年は長い。その分、あいつには腕を磨いて、良い建築士になってほしい』

夜遅く、長兄と酒を飲み交わしていた次兄がそうぼやいているところを見てしまったのだ。
次兄はあまり多弁な方ではない。人が多く出入りする実家でも大抵の場合、聞き役に回っている。そんな次兄は軍での話は滅多にしない。問われたことにそれなりに答える程度だ。愚痴ることは滅多にない。
すでに子もいて、自他共に認めるよき跡継ぎとして頑張っている長兄はそんな次兄の頭を優しく撫でていた。

『好きな仕事をできることは幸せだ』

アランにもそう判るようになった。