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◆銀のくし(5)


ノースは目の前に立つ己の元奴隷を見つめた。
今日が彼の初護衛任務だ。
柔らかなプラチナブロンドと明るい水色の瞳をしたカーディはまるで少女のような少年だった。
しかし、綺麗な髪をばっさりと切り落とした今は、甘さをそぎ落とし、鋭い眼差しをした貴公子のような青年に成長している。
筋肉などまるでなさそうだった柔らかな少年の体も無駄なく鍛えられているのが見える。体こそ細いが柔らかな部分など全くないだろう。筋肉だけの体だ。

(私より細くて小柄だったのに……)

カークが合格させたのだ、それ相応の腕なのだろう。実際、カークが『マシになりましたね』と言ったぐらいだ。微妙な言い回しではあるが、一応は褒め言葉なのだからそれなりに認めてくれたということだろう。
カーディはノースの視線を感じてか、緊張した様子で固まっている。視線を逸らさないのは奴隷としての教育を受けたからだろう。主人がいる場で主人から許可無く視線を逸らさないのは彼らの共通点だ。
ノースは腕を伸ばして相手の髪に触れた。

「ご主人様……」
「私のことは名で呼ぶように」
「あっ……も、申し訳ありません」

パッと顔を赤らめ、カーディは慌てた様子で頭を下げた。

「あ、あの……ノース、様……何か…………?」
「いや、もう髪を伸ばすことはないのか?」
「え?」
「君はとても綺麗な髪をしていた。今も伸ばせば綺麗だろうに」

カーディは驚いた。
調教が終わって会った時、ノースはろくにこちらを見ていないように思えた。実際ほとんど接することなく捨てられたので、まさか覚えてもらえていたとは思わなかった。

(覚えていて……くださったのか……)

あの日、カーディはとても容姿に気を使ったのだ。
調教を終えてやっと主人に会えるという喜びで、ジョルジュと共に調教師が用意してくれた服の中からあぁでもない、こうでもないと試着を繰り返して服を選んだ。
自慢の金髪を猪毛のクシで丹念に艶がでるまでとき、少しでも主が気に入ってくださるようにと願った。
しかし、ろくに見てもらえなかった。そう思いこんでいた。
まさかそんな昔のことをノースが覚えていてくれたとは思わなかったのだ。

「また……伸ばします……」

強さを願い、そればかりを求めてきた。
髪は邪魔になるとしか思っていなかった。
けれどノースが綺麗だと褒めてくれるのならばいくらでも伸ばす。主が褒めてくれた初めてのものだ。伸ばすぐらい何てことはない。髪の手入れだってちゃんと覚えている。昔は容姿にしか気を配ってこなかったからだ。

「あぁ、君の髪は綺麗だからそうするといい。きっと似合う」
「ありがとう、ございます……」

ノースの言葉が嬉しい。
求めてきた強さに関することではなかったけれど、髪だってカーディが持つ自慢の武器だ。
自分だけが持つ何かをノースが褒めてくれたことが嬉しい。いつだって奴隷は主の言葉だけがすべてで、今までノースがカーディを褒めてくれたことはなかった。今回が初めて貰えた暖かな言葉だったのだ。

「君は強くなったと聞いている」
「はい」
「だが君は弱かった。私と同じぐらいに」
「それは……で、ですがノース様はとても頭がよくて……」

ノースは弱い。それは周知の事実だ。主に武術の腕はない。
しかし彼は誰よりも優秀な頭脳がある。この軍事大国でトップの頭脳を持つ人物なのだ。武術が悪くても全く気にすることはない。それに勝る武器が彼の頭なのだから。

「そうだね、けれどね、私も強くなりたかったんだよ、今の君のように」
「え……」
「家族を守る強さが欲しかった。小柄でパワーがなくても強くなりたかった」

カーディは小柄だ。
そして少女のように細く弱い肢体だ。
戦場では不利なこの体で戦うためにスピードを重視する武術を身につけてきた。
愛らしい外見を武器にするには有利な体。しかし戦うには不利な体。
今現在、愛されることを諦めたカーディにはありがたくない体だった。

「憧れるよ。今の君は私の理想だ。私は君のような強さが欲しかった」

あまりにも意外な主の言葉にカーディは驚いた。
多くの人に慕われ、人望溢れる主。軍事大国の頂点に立つ一人であり、知将として揺るぎない地位を得ている彼が自分などに憧れるという。

「ノース様……」

愛らしい容姿だけが武器だった幼少時。
主に捨てられ、強さだけを求めてきた近年。
内容は違うが、いずれも主のためだけに努力し続けてきた。
ずっとずっと目の前の人のためだけに努力し続けてきて、それでも振り返ってもらおうなどとは思っていなかった。それはもう諦めてきた。
見返りはいらない。そんなことは一度捨てられた身ではとても望めなかった。だからただ自己満足で、せめて主の命だけは守っていきたいと思っていた。
それでもどこか寂しかったのは事実だ。いつも乾ききった心を抱いてきた。

(判って……くださったんだ……)

同じような細く弱い身でカークに認められるだけの強さを身につけることがどれほど困難か、ノースは判ってくれたのだろう。だからこそ口に出来る言葉だ。

(判ってくださった……)

胸が熱くなる。ノースの言葉が乾ききった心を潤してくれる。
いつだって性奴隷は主の言葉がすべてで、だからこそ主の言葉がとても大切でただそれだけで癒され、満たされることができる。

(頑張ってよかった……)

ノースの側にいるためならば下働きでもよかった。
従者になることを選んだらきっと離れることなく側にいることができた。
けれどノースの身を守るために離れる道を選んだ。そのために二年以上の歳月をアスター軍で過ごした。
主の元を再度離れるのはとても辛かった。ザクセンはよき師であり、アスターは二人のことを気遣ってくれたけれど、胸が満たされることはなかった。
しかし、離れる道を選んだからこそ今の自分がある。
努力したからこそ、主に認められることができた今の自分があるのだ。

「これからよろしく頼む」
「はい…!」

ノースが差しだしてきた手を万感の思いで握り返す。
握手というのは対等な者同士がする仕草だ。それをノースは求めてくれたのだ。
手にキスでもなく、ただの命令でもなく、握手を求めてくれた。そのことがとても嬉しい。

(髪を伸ばそう。伸びてきたら邪魔にならないよう髪紐で結ぼうか。髪をとくための新しいクシも買わないといけない……質の良いクシはあるかな……)

これほど幸せな今日の自分を、昨日までは考えもしなかった。
そしてこれほど心躍ることもなかった。やはり主のために何かをすることはとても嬉しい。
髪が伸びたら髪を褒めてくれるだろうか。その期待にも胸がいっぱいになる。

(ジョルジュ、髪を褒めてもらえたよ)

今の自分があるのは友がいてくれたからだ。いつだって励まし合って頑張ってきた。そのことをカーディは忘れていない。
少年のように純粋な性根の彼はきっと自分のことのように喜んでくれるだろう。それが思い浮かぶ。

そうしてその日の護衛を終えたカーディは帰宅後にジョルジュにその日の話をした。
想像通り、とても喜んでくれた彼は、自分はお茶の淹れ方が上手いと褒めてもらえたのだと心底嬉しそうに教えてくれた。
そういえば指先の器用さは彼の方が上だった。彼はアスター将軍に教わったお茶の淹れ方をすぐにマスターすることができたのだ。

「今度美味しい茶葉を探しにいこうと思っているんだ。ノース様はどんなお茶がお好きかな」
「私はクシを探しに行こうと思っているんだ」

ダンケッドが黒将軍となったためにノースの護衛は手薄になっていたらしい。
カークとディルクは青将軍としての仕事もあるため、カーディとジョルジュの出番はなかなか多くなりそうだということだった。
仕事が多いということはそれだけノースの側にいられる時間も増えるということだ。そのことが二人は嬉しい。

「お茶菓子も作ろうか」
「いいね」

後日、二人は自信作をノースに食べてもらい、舌の肥えた主に微妙そうな顔をされることになるのだが知るよしもなかった。

<END>
今度はお菓子作りの特訓することになるという話(違)
ノースはいろんな人に美味な菓子をさんざんプレゼントされているので甘味に関する舌は肥えまくってます。