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◆碧〜枷と咎と〜(15)


密かに案じていたザクセンと周囲の不協和音が、自分のショタ疑惑によってあっさり解決したことも知らず、のんびりと戻ってきたアスターは、軽く周囲を見回し、眉を寄せた。

「ザクセンは?」
「こっちが聞きたいよ、会わなかったの?」
「ああ」

この店の厠は外にある。てっきり一緒に戻ってくると思っていたシプリは首をかしげた。

「じゃ、帰っちゃったんじゃないの?」
「え、大丈夫かな」
「彼、元黒将軍だろ。大丈夫でしょ」
「そうだけどよー。酒入ってるし、あいつ、帰り道ちゃんと覚えてるかな」

俺もそろそろ戻ろうかなと言うアスターは追うつもりのようだ。なんだかんだ言いつつも過保護な世話焼き男である。
引き留めようかどうしようか迷うシプリの前で、酒場に入ってくる人の気配があった。今日は貸し切りにしているので、やってくるならば関係者だろう。
入ってきたのはザクセンだった。どうやら戻ってきたようだと安堵したアスターの前で、ザクセンは顰め面のまま、口を開いた。

「おい、急報だ。リーチ黒将軍が重傷を追ったらしい。危ないそうだ」
「なっ……!」
「デーウス黒将軍も引退を表明したらしい。黒将軍が二人入れ替わるぞ」

酒場が静まりかえる。
ザクセンの後ろには伝令らしき男がいる。彼から報告を受けたのだろう。
周囲の視線を一気に受けたアスターは落ち着いた様子でザクセンを見つめ、静かに問うた。

「敗北したのか?」
「いや、戦い自体は勝ったらしい。デーウス黒将軍の方は勇退のようだ」
「なるほど……」

思案顔をしつつ、アスターはソファーにかけていた青のコートを羽織った。

「ホルグ黒将軍の公舎に行き、次の連絡を待つ。皆は楽しんでてくれ。ザクセン、あんたはすまないが同行を頼む」
「判った」

アスターは幹部である赤将軍たちが集まっている付近を振り返った。

「明日、会議を開く。昼までには公舎に集まっておいてくれ」

了解、という皆の返答を聞きながら、アスターは酒場を出てホルグの公舎へ徒歩で向かった。
現在の黒将軍は、レンディ、ノース、デーウス、リーチ、パッソ、ブート、ホルグ、ゼスタだ。
そのうち、レンディ、ノース、デーウスの功績が高く、軍も強い。
そのデーウスが引退を表明した。彼はまだ三十代。まだまだ働けたはずだが、限界を感じたのだろうか。
しかし、軍事大国であるガルバドスでトップである黒将軍を続けるのは大変なことだ。引き際を感じた時、潔く退くのは大切だ。命は軽いものではない。多くの命を預かるトップに立つのであれば尚更だ。

(誰が後任になるんだろうな……あの軍ならばスターリング青将軍とギルフォード青将軍か、どちらになるんだろう。スターリング将軍かな)

そんなことを思っていると、上方から誰かが飛び降りてきた。

「うぉっ!?」

ギョッとして後ずさる。民家の屋根から飛び降りてきたのは、己の部下兼友人であった。

「レナルド!?お前、屋根の上で何をしてたんだ!?」
「近道」
「どこからどこへの近道なんだ?」

そういえば酒場にいなかったような気がする。
いつも、神出鬼没な人物のため、気に留めなかったのだ。飲み会のことは間違いなく伝えていたので、来たければ来るだろうと思っていたのだ。

「ギルフォードのところ」
「あー……」

今考えていた人物の元にいたらしい。
ギルフォードはシプリの兄でデーウスの側近だ。
レナルドと見合いをしてつきあい始めたと聞いていたが、何分、レナルドのいうことなので本当か嘘か判らないと思っていた。
ギルフォードは真面目そうな人物だ。奇想天外な行動を取るレナルドとつきあっているというのがイマイチ、ピンと来なかったというのもある。

「スターリングが跡取り」
「跡取りって、軍は家じゃねえんだから。あー、でもそうか。やっぱりスターリング将軍が後任か」
「俺、酒、取りに来ただけ。すぐ戻る」

レナルドはアスターたちが出てきた酒場に走っていった。

「あいつ、デーウス軍で働いているんじゃないだろうな」

フリッツ救出後のレナルドは以前にも増して神出鬼没で、殆ど公舎にも顔を出していない。おかげでそんな疑惑を持ってしまうアスターである。

「おい、何故スターリングの方だと思った?功績はほぼ同じなんだろう?奴らは」
「何となく、かな」
「なるほど、直感か。だが得てしてそういう勘は当たるものだ」
「うん?」
「こいつがトップだろう、という勘は、こういう場合、当たるものだ。実績がほぼ同じでありながら、こいつだ、と思ったということは、そいつの方に人の上に立つカリスマ性のようなものがあるということだろう」
「ギルフォード将軍の方も悪くはねえとは思うんだ。どっちでもおかしいとは思わなかったと思う」
「なるほど。それは良い軍だ」

黒将軍になってもおかしくはない将が二人いるということだから、確かに良い軍なのだろう。
実際、デーウスが引退しても揺らぐとは思えないのだ。そんな安心感がデーウスの軍にはある。
そうしているうちにホルグの公舎に着いた。
アスターと同じように連絡を受けたのか、公舎内部には、ホルグ麾下の赤や青の将軍が多く集まっていた。

「何だ、飲んでいたのか?この非常時に呑気な奴らだ」
「新年だぜ、飲むだろ普通」

他の青将軍らにからかわれつつも、あっさり躱して肩をすくめる。

「それに俺だけじゃねえだろ」
「は!どいつもこいつも気楽な奴らだ」

アスターと同じように軽く酒を飲んだ状態の将軍らは多かった。やはり新たな年を家族や友人らと迎えていたのだろう。

「良き策を取られたらしい。特に印に関する対策がよく練られていたらしく、印使いが集中して所属しているリーチ将軍の軍が大きな痛手を受けたようだ」
「なるほど」

デーウスの軍はバランス型だが、リーチの軍は違う。典型的な印使いの軍なのだ。

「誰が後任だろうな」
「リーチ将軍の後任は判らないが、デーウス将軍の方はスターリング将軍のようだ」

アスターが告げると、視線が集中した。

「何故判る?」
「さきほど引退表明があったばかりだぞ?」
「いや、デーウス軍に知己が居る者から漏れ聞いただけなんだ。確認した訳じゃないから、本当かどうかは判らないぜ?噂話みたいなもんだ」
「なるほど。だがスターリングかギルフォードで確定だろうな、あの軍の後任は」
「そうだな、どちらが継いでもおかしくはない」

あれやこれやと雑談をしているうちに、ホルグが軍本部から戻ってきた。
リーチの後任がアニータ、デーウスの後任がスターリングになったことが正式に告げられた。
どちらも前任者の側近だ。功績もある。ごく自然な人事と言えた。
そうして、解散することになり、通路に出たところでアスターは同僚に呼び止められた。

「当たったな、アスター。いい読みだったな」
「何故判ったんだ?」

同じホルグ麾下のホセとフォードの二人に問われ、アスターは言葉に詰まった。

「あー、だから噂話だって」
「それにしては自信ありげだったが。噂の出所はどこだ?」
「言えばいいだろうが。アスターの部下にギルフォードの恋人がいるんだよ」

軽く酒が入っている雰囲気の二人に絡まれているアスターを哀れに思ったのか、暴露したのはザクセンである。
ゲッという顔になったアスターと無表情のザクセンに周囲の視線が集中する。

「ギルフォード将軍が見合いをしたと聞いていたが、アスター将軍の部下だったのか!」
「どんなヤツだ?男か?女か?」
「あー………」
「なんだ隠す必要はないだろうに」
「全くだ。見合いなら結婚を前提にした堂々とした付き合いだろうに」
「ああ。どんなヤツなんだ?」
「別に邪魔しようとは思わないぞ。見合いからの付き合いならご両親や周囲も納得の上の交際だろう。邪魔をするのもヤボだからな」
「うーん」

どう説明すればいいのだろうとアスターは悩んだ。褒めたいが褒め言葉がでてこない。
神出鬼没で狩人志望な部下。
主に窓から出入りし、単語を繋げたようなしゃべり方をする。部下をもたせれば別の部下に隊を預けてしまうので持たせられない。文字の読み書きが苦手なので、デスクワークは不可能。オマケに最近は殆ど姿を見せぬほどだ。一体どこで何をしているのやら。
ダメだ、どうしても褒め言葉が出てこない。どうすればいいのか。

「おかしな男だ。そうとしか言えん」

悩んでいるうちにザクセンが素っ気なく、身も蓋もない言い方で切り捨てた。

「いや、それはあんまりだろう。戦場ではこの上なく役立つ部下だぞ」
「あれはおかしな男としか言えん。もしくはへんな男だ」
「うーん…いや、けど……」

おかしな男か、へんな男らしい、ほぉ、という反応が周囲から聞こえる。
身も蓋もない切り捨て方だったが、何故かそれで周囲は納得してしまったらしい。

「まぁ、ギルフォード将軍だからな」
「そうだな。彼は手のかかるタイプに縁があるのだろう、気の毒なことだ」
「そうだな、スターリング将軍の運命の相手だから、婚姻相手にもそんな縁があったのだろう」

なんだそれはとアスターが思っているうちに、勝手に納得した周囲は帰って行った。
元々、夜半だったこともあり、話が済んでしまえば、自然と解散ムードになってしまったのである。
後日、アスターはスターリング将軍がレナルドと大差ないぐらい、独特な考え方をする人物だと知るのだが、この時はまだ知らなかったため、謎は解けぬままであった。


++++++++++


翌日のことである。
昼前に集まった部下に対し、黒将軍の人事を告げ、新年度の仕事について、少し話したアスターは、解散後にレナルドを呼び止めた。

「……というわけでな、お前とギルフォード将軍のこと、俺の同僚にバレちまった。すまん」
「別にいい。俺とギルフォード、らぶらぶ」
「そ、そうか…」
「とってもらぶらぶ」
「よ、よかった…な…?」

どうやら昨夜はあのあと、いい雰囲気になれたようだ。表情の変化が判りづらい部下だが、今日は上機嫌のようである。
ただ、そのことはシプリには言わない方がいいだろうとは思うが。

「結婚予定」
「あー、それなんだがよ、結婚するためには家族の同意が必要だと思うんだ」
「家族の同意……」
「ちゃんと家族を説得してから、円満に結婚した方がいいと思うぞ」
「……頑張る」

相手のギルフォードは常識家のようだから大丈夫だろう。
しかし、無理に結婚して、シプリとレナルドが不仲になってしまえばアスターが困るのだ。
出来れば二人には仲良くやってほしいと思うからだ。

「説得には協力するから」
「ありがとう」

とりあえずはシプリの説得から始めなければならないだろう。
しかし、どうにも説得に有効な手が思いつかない。
さてどうしたものかと悩むアスターであった。

<END>