ラーディンは部下や友人に誘われ、歓楽街へ来ていた。
同行者は同世代の者達が数人。
スティール以外にそういう興味を抱かないラーディンは、完全に付き合いによるものだった。
店内は天井から派手なシャンデリアが下がり、手元はほどほどにうす暗くなっている。ムードを高めるためにわざとそういうつくりにされているのだ。
広い店内にはソファーやテーブルが点在し、露出の多い店員が酒やつまみを持って行き来している。
「さすがだな、ラーディン」
「全くだ。一番、視線浴びてるよな」
「あぁ。注目度違うって」
「さすがですよ」
部下や友人たちにそう言われ、ラーディンは軽く肩をすくめた。
この店はランクとしてはそれなりだそうだ。周囲の席もそこそこ埋まっていて、客入りも上々といったところだろう。そんな店のソファーに座り、ラーディンは軽めの酒を楽しんでいた。黒いソファーはベッドのように深く沈むタイプのもので座り心地もそれほど悪くない。
ともに来ている友人達はそれぞれ今夜の相手を物色しているようだ。娼婦たちも近衛騎士が来たということで積極的に選ばれようと挑発めいた視線を送ってくる。
早くも相手を選んだ者は早速その相手を席に呼んでいる。
ラーディンは興味なさ気に、ただ、酒を楽しんでいた。
そのラーディンが一番視線を集めていると知り、友人の一人が舌打ちする。
「お前も選べよ」
「そういうの興味ねえの。知ってるだろ?」
「ったく、付き合い悪いなぁ」
「んなこと言ったって……あれ?」
店に思わぬ相手が入ってきた。
年上の同僚たちに誘われたのだろう。やや迷惑そうな顔をしているのはカイザードだ。
珍しくラグディスがいない状態で、しかめ面で店内を見回している。
そちらもやはり数人前後の状態だった。しかしカイザードの不機嫌が判っているのか、周囲は扱いに困っている様子も伺えた。恐らくカイザードがここまで不機嫌になるとは予想外だったのだろう。
(俺より拒絶反応でかそうだもんな、先輩は)
成績に優れている上、並外れた美貌と気の強い貴族のような雰囲気のせいでカイザードは上司にお坊ちゃまだと勘違いされがちだ。
しかし中身は完全な体育会系で気が強く、恐ろしいほどの負けず嫌いだ。キレたら何をするか判らない突発性爆弾のような危険性も孕んでいる。
恐らく年上の周囲はカイザードが年上には逆らわないタイプと思い、ネタ代わりに連れてきたのだろう。カイザードの美貌は間違いなく歓楽街では人を引き寄せるからだ。
案の定、周囲の注目を集めまくっている。
(完全に計算違いだろ……先輩はそっちの付き合いよくねえって…)
カイザードはラーディンのように上手く躱したり、そこそこ周囲に合わせて付き合うタイプではない。気に入った相手しか付き合わず、他とは完全に表面上だけで留めておくタイプだ。熱血なタイプなので修行とか訓練関係なら熱心に付き合ってくれそうだが、性的な遊びに付き合うことはしないタイプだ。
カイザードたちはラーディンたちの席とはやや離れた反対側の壁際に座った。
場を盛り上げる為だろう。早速周囲が女性たちを呼んだようだ。明るく賑やかな会話が漏れ聞こえてくる。
しかし、和むかと思われた雰囲気も最初の数分だった。
いきなり静まりかえり、ワッと顔を伏せてその席を逃げ出す女性が現れた。
「何だ?」
騒ぎに気付いたラーディンの友人が唖然としている。
「あー……カイザード先輩っぽいな」
しかめ面のカイザードが席を立ち上がるところだった。
「悪ぃ、俺、ちょっと先輩んとこ行ってくるわ」
そしてそのままどさくさに紛れて帰ろうと思い、ラーディンは立ち上がった。
++++++
カイザードと合流し、ラーディンは店を出た。
「ただ飲みに行くだけだって聞いてたんだよ。騙された」
「先輩、顔がいいから気を付けねえとやべえって」
「判ってる。今度は何が何でもラグディスと一緒に行く。一応、今までもそうしていたんだ」
たまたまラグディスに急用が入り、一緒に行けなくなったのだそうだ。
「何であの女性、泣いて逃げたんだ?」
「めちゃくちゃ臭い香水をつけてやがったからそう言ってやっただけだ」
「……どういう言い方したんだよ?」
「別に。そのまま言っただけだ。めちゃくちゃ臭いから離れろって」
(そりゃ泣き出すだろうな……)
「あんまりだろ、先輩。適当にやんわり言ってやれよ」
「ろくに知りもしねえ女に遠慮してやる必要ねえだろ」
きっぱり告げるカイザードは相変わらず不機嫌だ。
カイザードはこういう面では潔癖だ。恐らくスティール以外には絶対に肌を許さないタイプだろう。手に触れたり、体に触れられることも嫌っていそうな気がする。
(フェルナン様はそんなことねえだろうな)
彼はスティールと出会う前の時間がある。年齢的にも別の相手と経験がありそうだ。
ラーディンは一応スティール以外とは経験がないが、カイザードほど拒絶する気はない。他の相手と寝る気にはなれないが、花街の人々に対し、嫌悪感もないのだ。酒の相手をして騒ぐ程度なら何ら嫌な気はしない。
「あぁ、クソ。気分悪い……」
不機嫌に呟いて髪を掻き上げるカイザードと共に第一軍の寮へ戻ると、入り口でばったりスティールと会った。
「あれ?先輩はともかく、ラーディンどうしたの?」
カイザードは寮暮らしだ。
しかし、ラーディンは実家が王都なので寮暮らしではない。この時間に寮で会ったことが意外だったのだろう。
「いや…お前の顔見て帰ろうかと思ってさ。ここで会うなんて運がいいなー」
そう告げるとスティールが笑った。
「そうだね。俺は今から夜勤なんだ。ギリギリだったね。会えて良かったよ」
「おい、スティール。お前、香水をどう思う?」
唐突なカイザードの問いにスティールは目を丸くした。
「どうと言われても。高値で売れましたよ」
スティールの返答はラーディンの予想外のものだった。
そしてカイザードにとっても予想外だったのだろう。呆気にとられている様子が伺えた。
「俺は実家が薬師でしたからたまに依頼を受けて香水作ってましたよ。町長の奥さんが香水を使ってらっしゃいまして、ローズの香水がお好きで…」
どうやらスティールにとって、香水はつけるというより、作る方での印象が強いらしい。さすがは薬師の息子だ。
「いや、お前は?」
カイザードが重ねて問うとスティールは首をかしげた。
「俺?香水はつけませんよ。ご存じでしょう?」
「それは知っているがな。今日、すごく臭い女に会ったんだ。完全に悪臭だった。何であんなにつけるんだと思う?信じられねえ臭いだったんだぞ!」
「ええと…香水の粗悪品を使ってらっしゃるのかも…?」
「粗悪品?そんなのあるのか?」
「ありますよ。剣だって粗悪品があるじゃないですか。どんな品にも粗悪品はありますよ」
隣で聞いていたラーディンはそういう問題じゃないんじゃ?と思った。どう考えてもひどく臭いのは使用量の問題だろう。しかし、どうやらカイザードは『香水が粗悪品だった』ということで納得してしまったらしい。運が悪い女だと呟いている。
「欲しい時は言ってください。俺が作りますよ」
「お前作れるのか?」
「だから実家で作ってましたってば……」
粗悪品じゃありませんよ、とスティールは主張している。いつの間にか花街の話題はすっかり消え失せており、カイザードの雰囲気もいつもどおりのものに変わっていた。
(さすがスティールだな……)
さすが運命の相手というべきか、カイザードの機嫌をここまで簡単に直せるのはスティールだからだろう。
「スティール、お前、時間大丈夫か?」
「あ、交代の時間っ!すみません、俺、もう行きます。ラーディンありがと!」
慌てた様子でスティールが飛び出していく。
スティールは大隊長なので交代も責任者としての交代となる。責任重大なのだ。
何となく二人で見送った後、カイザードが髪を掻き上げた。その表情には満足げなものが浮かんでいる。
「…やっぱ俺、あいつが好きだ」
そう告げるカイザードには、さきほどまでの不機嫌さはなかった。
「なんでっていう理由はねえんだよな。頼りねえし、呑気すぎるし、すごく格好いい顔してるわけでもねえ」
「うん」
「けど何でかな。俺はあいつが好きだ。あいつしか考えられねえ」
「そうだな」
カイザードの独白じみた告白にラーディンは素直に頷いた。その気持ちがすごく判ったからだ。
はっきりとこういう部分が好きだと宣言できるような理由があるわけではない。ただ好きだと思えるものが心にあるのだ。
「…じゃ、俺もスティールの顔が見れたし帰るよ。またな、先輩」
「あぁ、おやすみ、ラーディン」
ヒラリと手を振り、ラーディンは帰路についた。
カイザードの告白を聞いたが、ラーディンには苛立ちや嫉妬はなかった。ただ同感だと思っただけだ。恐らくこれが逆の立場だったとしても同じだろう。そんな不思議な連帯感が二人の間にはある。
そしてそれはスティールへの信頼にも繋がっている。彼が二人を公平に扱っていなければ今の状態はなく、どこかで破綻していただろう。
(明日の朝、夜勤明けのスティールと会えるかな)
少し早く出勤してみようかと思いつつ、ラーディンは家へ向かうのであった。
<END>
スティールが大隊長、他の二人が中隊長時代です。