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◆霧の記憶(12)


小さな黒い球がほのかな光を放つ。
それは本当にほのかな光だったため、誰も気づくことがなかった。
ロイは、オルスたちと共に、北の双将軍と力を合わせて戦った後、たっぷりと報酬を貰い、今はディンガル領へ向かう途中であった。

「う……っ……」
「起きたか?」

オルスに声をかけられ、ロイはあくびをかみ殺しつつ起き上がった。
旅の途中、野宿をしている最中であった。
周囲は森の中で、まだ日が昇ってはいないため薄暗い。
小さなたき火と土の印の技で軽い守りを敷いているため、それほど冷え込んではいない。
最初に見張り番になったのがロイだ。オルスは最後だったはずなので、彼が見張りをしているということは朝が近いのだろう。
ふと、視線をずらすと、アーノルドがエルザークを抱き込むようにして眠っていた。
付き合っている雰囲気がない二人なので、最初は妙に感じた光景だったが、野宿や仮眠のたびに見ているので、すっかり見慣れてしまった。そもそも婚姻しているというのだから、違和感を覚えるというのもおかしな話なのだ。

(なんだかすごく長い夢を見ていたような気がする……)

飲むか、と差し出された水筒を、礼を言って受け取る。
水筒に入っていた水は、山水を汲んでそれほど時間が経っていないのか、ひんやりとしていて美味しかった。

「美味い」
「そうか、それはよかった」

ニコッと笑んだオルスに、ロイは不思議な気持ちになった。

『ヨカッタ オルス ガ ワラッテイル』

(俺は今、何を考えた…?)

「ロイ…?」

いきなり泣き出したロイにオルスは戸惑ったように声をかけた。

「悪い……なんで……俺……」

『オマエ ガ ブジ ナラバ オレハ……』

「お前が無事ならば俺は……」

「!」

オルスが目を見開く。
無意識のうちに零れ出た言葉にロイは戸惑った。
自分は一体何を口にしているのか。
無事も何も、ただ野宿をしているだけの状況で危険などほとんどないというのに。
ロイは普段の自分の口調と今の言葉の口調が違っていたことに気づかなかった。

「ロイ!」

いつになく真剣な声で名を呼ばれ、ロイは驚いた。

「ロイ、お前か?」

問いの意味が判らず、ロイはただ狼狽えてオルスを見つめ返した。

(どういう意味だ…?)

そのロイをジッと見つめたオルスは、軽く首を横に振り、唇をかみしめた。
普段穏やかな笑みを絶やさぬオルスだけに珍しい表情だ。

「許せ……」
「え?何がだ??」

戸惑うロイへの返答はなかった。
ただそれだけを口にして黙り込むオルスの表情は、常になく暗く厳しいものであり、ロイは問い返すことができなかった。

「泣くな…」
「え?あれ?なんだこれ?なんで……」

ボロボロとこぼれ落ちる涙にロイは慌てた。
何がなんだか判らない。ただ、涙が次々にこぼれ落ち、ロイは途方に暮れた。悲しいわけでもなく、目が痛いわけでもないのに、ただ涙が止まらなかった。

「お前に泣かれるのはつらい」
「オルス?」
「お前はどんな時も泣かなかった。あの日も………。俺はお前の涙を初めて見た……つらいものだな」

戸惑うロイをオルスは優しく抱きしめた。

「すまない」

そう告げるオルスの方がつらそうで、ロイは戸惑うと同時に困った。
ロイには何が何だか判らない。ただ、そのオルスの表情を見ていると同じように胸に痛みが過ぎった。そんな表情をさせていては駄目だと心のどこかで声が告げるのだ。

「オルス、大丈夫だ」

訳がわからないまま、ロイはそう告げた。

「俺は大丈夫だ」

自分の涙の理由も判らないまま、ロイはただそう告げた。
『大丈夫』という言葉に根拠があるわけではない。ただ、そう言わないといけないと思ったのだ。
口にしてしまえば、本当に大丈夫な気がしてきて、ロイは笑んだ。しかし、それは引きつった笑顔になり、その顔を見たオルスはいっそう辛そうな顔をした。

そんな、どうにも間の悪い雰囲気を壊したのは、眠っていた二人であった。

「うー…ん……」
「……眠い〜…時間ですかぁ?」

パッとオルスの雰囲気が変わる。
起こしてしまったな、とオルスが呟いた。
言葉の理由はロイにも判った。歴戦の戦士であるアーノルドとエルザークは眠りが浅いのだ。周囲の雰囲気で瞬間的に目覚めることもあるという。今回は、ロイとオルスの雰囲気の影響を受け、目覚めてしまったのだろう。

「すまん、まだ寝ていていいぞ」

はぁい、と返事をして、アーノルドが目を閉じる。うらやましいほどの寝付きの良さだ。
その隣で薄く目を開いていたエルザークは、オルスと目を合わせて軽く瞬きし、小さく頷くと、アーノルドの手を握り、再び眠りに落ちていった。

小さな黒い球のほのかな光が消えていく。
朝の霧に包まれ出した森の中で、その光はやはり誰にも気付かれることがなかった。
まるで霧のように現れて消えたその記憶は、どこから現れてどこへ消えていったかも気付かれぬまま、再び、長い眠りについたのである。

<END>



ネタバレになるため、球に関する質問は受け付けません。ご了承ください。