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◆焦げた砂糖菓子の欠片


カークの生家であるスリーザー家は、南西に広い領土を持つ上級貴族である。
長い歴史を持つ祭司の家柄であり、ガルバドス国で行われる重要な儀式はすべてスリーザー家が担っていると言われているほどだ。
カークはそんな家に嫡男として生まれた。
当然ながら英才教育を受けて育った。
彼は両親の期待以上に優秀で、周囲を満足させた。
しかし、当人は子供ながら、大変冷めた性格であった。

(面白くない……)

大貴族の嫡男ともなると周囲は彼に仕える者ばかりだ。
両親はいつも忙しく働いており、王都にある大神殿や王宮で仕事に従事していることも多く、ほとんど顔を合わせない。
カークにはすぐ下に弟妹がいたが、カークとの差は歴然としていた。
こうした貴族の家では家を継ぐ長子が重要視される。二番目、三番目はスペアでしかないのだ。
そしてカークはとても優秀であった。年齢は1、2歳しか違わずとも弟妹との才能の差は大きく、弟妹がどう頑張ろうと現時点では後継者の座は揺るぎようがなかった。
弟妹も子供ながらに長兄との差は判っているのだろう。たまに顔を合わせても怯えたように挨拶されるだけで、兄弟としての暖かな関係は全く存在しなかった。

(……面白くない……)

毎日、家を継ぐためのことを学び続け、ずっとこのような生活を送っていくのだろうか。
そんな風に諦め、達観していたときにカークは運命の相手に出会ったのである。

++++++++++

カークの家では印がとても重要視される。
真実、審判、誓約の神であるティラート神。
そして、そのティラートの対とされる安定、調和の神、リィラート神。
天候を司ると言われるこの二神に、災害が起きないようにと祈る儀式を行うのがカークの家なのだ。
春先に行われるこの儀式は毎年仰々しく行われる重要なものである。
そしてその儀式を行う祭司は、運命の相手と儀式を行わなければならない。
そのため、カークの家では本来、成人である15歳の時に行う邂逅の儀を幼いうちに行ってしまう。印を調べるためだ。
通常、成人の儀を早めるのは縁起がよくないとされる。そのため、通常は早めないのだが、カークの実家はそういったことは気にしなかった。
カークも物心ついた頃には印を調べられた。そして多重印を持っていることが判明し、両親を大変喜ばせた。
両親はカークの運命の相手を探し続けていたようだ。
そして運命の相手は基本的に身近な人間に現れることが多い。カークも例外ではなく、最初に見つかった運命の相手は代々カークの家に仕える家柄の者から発見された。

「レイガの孫か!」
「それも土。カークの緑と組み合わさる豊穣だ!!素晴らしい!!」

異種印の組み合わせでも『豊穣』の場合、最高によい組み合わせとされる。
その上、豊穣の場合は地の神の加護も受けることができるとされるため、儀式には最高の組み合わせなのだ。当然、両親は諸手を挙げて喜んだ。
そうして連れてこられたのは、変わらぬ年頃の少年であった。
黒い髪に黒い目、よく日に焼けた元気そうな肌にはひっかき傷が残っている。いかにもやんちゃに外で遊び回ってそうな少年だ。勉学に勤しんでいるカークとは正反対のタイプである。
少年は祖父に教わったのか、不慣れな言葉遣いで精一杯丁寧に名乗り、頭を下げた。
そして、祖父が退室すると心細そうに広い室内を見回した。
運命の相手である彼は今日からカークと一緒に暮らすのだ。そして立場上、カークに仕え、カークと婚姻する運命にある。
まだ親に甘えたい盛りであろう彼は強制的に連れてこられた部屋に取り残され、不安げな顔をしている。

「……俺、いや、わたくし、は……なにをすれば、いい、ですか?」

言葉遣いに慣れないのだろう。たどたどしく問うてきた相手にカークは笑んだ。

「普通に喋っていいですよ。今は誰もいませんから」
「ホント!?」
「ええ」
「よかった!!俺、怖くてさ!!ありがとう、カーク様!!」
「カークでいいですよ」
「じゃ、俺のこともディーンでいいぞっ!」

キラキラと顔を輝かせて言う相手にカークは笑んだ。
いいぞ、と偉そうに言っているが立場は本来カークの方が上なのだ。
しかしそういったことがこの少年にはいまいちよく判らないのだろう。
カークと同じ歳らしいが、この少年はカークの弟妹より純粋な性根の持ち主のようだ。恐らく両親に愛情を注がれ大切に育てられたのだろう。人を疑うことを知らぬようだ。
嬉しげに笑んでいるその顔を見ているとカークは急に庇護欲が沸いた。

(彼は私のものだ。私だけのものだ)

生まれたときから定められた運命の相手。
『豊穣』という何よりも強き絆で結ばれた相手。
彼だけは両親のものでもない、弟妹のものになることもない、生涯カークだけのものなのだ。

「俺、何も知らないんだ。何か失敗したらカークが怒られないかな」
「大丈夫ですよ」
「え?」
「私が貴方を守ります」
「じゃあ、俺もカークのこと守る!!」
「ありがとうございます、ディーン」

嬉しげに笑む相手を同じように笑んで見つめ返すカークはまだ知らなかった。
自分にまだ知らぬ事が多くあることを、知らない子供だったのだ。


++++++++++


貴方が好きです、と言えば、俺も好きだと返してくれた。
庶民として自由に遊べた日々からいきなり勉強やマナーを身につける日々に変わったというのに、ほとんど愚痴をこぼすこともなかった。
カークが当主様になるために頑張っているのだから、自分もいいお嫁さんになるために頑張るんだと言ってくれた。
カークのお嫁さんになるのだと笑顔を見せてくれた。
いつになったらお嫁さんになれるんだろう、早く大人になりたいと言ってくれた。

大好きだった。

大切だった。

誰よりも何よりも大切だった。


++++++++++

カークの元から愛する運命の相手が失われたのはその三年後のことであった。ディーンの両親が我が子を連れ去ったのだ。
当初は己の両親と共に憤慨していたカークだったが、歳を取るにつれ、少年の頃には判らなかった事情があったことを悟った。

(祭司の対である運命の相手は洗脳される……)

けっして主君である祭司に逆らわぬように。
祭司に危険が及んだら身を持って庇うように。
どんな理不尽なことを命じられても祭司に逆らわぬように、徹底的な洗脳教育を施される。
そしてそれは性奴隷教育などのように徹底的に行われ、生涯解けぬように作り替えられるのだ。
更に……。

(呪術ですか……)

カークの家柄は代々緑の上級印を受け継ぐ。それが大地からの恵みを神に祈る祭司の家柄としては相応しいからだ。
その緑の印を使った特殊な術がカークの家には受け継がれていた。
祭司の運命の相手に施す技もその一つであり、長い時間をかけて体に染み込ませていき、体を作り替えるというものであった。
何重にも絡みつく呪いのような洗脳の術。
奴隷よりも徹底的に施される身代わりの技。
それらの技は最終的に人間から感情を失わせてしまうという。
祭司の運命の相手には人権など無いに等しいのだ。それほどまでに祭司のためだけに作り替えられてしまう。
そのことを両親とほとんど接しないカークは成長するまで知らなかった。
だが、ディーンの両親は代々カークの家に仕える家柄だ。そういった事情を知っていたのだろう。彼らは息子を守るために連れ去ったのだ。
ディーンの祖父レイガは放蕩息子である次男がとんでもないことをしでかして申し訳ないと自殺しようとしたが、カークの両親はそれを止めた。レイガは家への貢献度が大きい優秀な人物である。失うのは惜しいと考えたのだろう。
そしてレイガの次男が出来の悪い人物であることは有名だった。代々カークの家に仕える家柄に生まれながら、家を飛び出した人物だったのだ。
以前はそのことをとんでもない男だとカークも思っていた。
しかし、実情を知った今となっては我が子を守る行動力のある、よき人物だと思えるようになった。

(ディーンが元気に過ごしているのならそれでいい……)

無邪気なディーンにとってこの家は窮屈そうだった。
誰に会うにも緊張していて、失敗をしないかと不安げにしていた少年だった。
そんな彼はカークにだけは純粋な笑みを見せてくれた。何をするにもカークを第一に考えてくれて、カークだけを頼ってくれた。カークはそんな彼に頼られるのが嬉しかった。
彼がこの家に残っていたら、悪しき風習のために感情を奪われ、その笑顔は失われてしまったことだろう。
素直な彼だ。洗脳などしなくても彼はカークのためなら積極的に動いてくれたに違いない。
それでも当時のカークが彼を守り切れたと言い切れない以上、彼がこの家を出て行ったことは正しかったのだ。
何しろディーンの両親が忍び込んできたことにすら気づけなかったカークだ。この巨大な権力を持つ家からディーンを守れたなどと言い切れるほどカークは厚顔ではない。

『俺たち、将来結婚するんだよな』
『ええ、そうですよ。運命の相手ですからね』
『楽しみだな〜。俺、カークの運命の相手でよかった』

嬉しそうに笑って己の印を見つめていた相手を思い出す。彼は己の印の形をカークとおそろいだと言って眺めているのが好きだった。
こんなしがらみの多い巨大な家に無理矢理連れてこられながら、運命の相手でよかったと言ってくれたディーンが、カークは心底愛おしかった。
成人後、カークが家を出たのは、家に未練がなかったからだ。
そして軍に入ったのは、家の権力が届かない場所だったからだ。それ以外の場所はすべて家の力が及んだ。軍以外の場所を選ぼうとするならば他国に行くしかない。それほど実家の力は強かった。
幸いにして軍はカークに合っていた。多重印を持っていることも幸いした。三つの印を駆使して戦うカークは順当に出世することが出来た。

「貴方は今幸せですか?ディーン」

恐らく彼は記憶を失っているだろうという。
ディーンの祖父レイガは代々カークの家に仕える家柄だ。様々な儀式の補助をしてきたレイガはいろんな術に長けていて、その中には洗脳の技もあった。
記憶を封じる術、その上から別の記憶を重ねる術、服従の術、狂信者と化す術など、表には出せない術をレイガは知っている。
そしてそのレイガの子であるディーンの両親も、それらの技を受け継いでいるのだ。
ディーンの親は我が子に記憶を封じる術をかけただろう。我が子を守るために。
記憶を失ったディーンはカークの知らぬ地でカークを知らぬまま生きていることだろう。

「貴方が幸せなら、私はそれでいいんですよ」

彼が幸せならそれでいい。
だが幸せじゃないと許せない。手放した意味がない。

「私も今、案外幸せですよ」

自分も今、幸せを追求している。彼を失った心の隙間を埋めようとしている。
彼を失った今、失って怖いものは何もない。軍で好き放題しているが、なかなか楽しい。
信頼できる上司に会えた。協力し合える同僚が出来た。素敵な愛人たちに出会えた。
彼も同じように幸せでいてくれればよいと願う。

幼い頃の面影はだいぶ消えてきた。
だがそれでいい。もう会えない今、思い出は綺麗なまま消えていってくれるといいと思っているからだ。
それでも緑の印を見れば思い出す。
カークと結婚できると喜び、同じ印でよかったと言ってくれた彼のことを思い出す。

「会えなくても貴方の幸せを祈っていますよ、ディーン」

だから自分も幸せになるのだ。
過去を嘆いてばかりいるような暗いことはしたくない。
前向きに生き、幸せをつかみ取るのがカークの生き方だ。

「カーク様、先ほどの戦いで敵将を捕らえたんですが…」
「よくやりましたよ、アスター!その捕虜はどこにいるのですか?」
「では、案内いたします」
「カーク、まだ戦いが残っているんだ、早めに戻ってきてくれよ」
「ええ、もちろんですよ、ノース様。よき男かどうか確認しておくだけですから」

年下だが命を託せるよき上官に巡り会えた。
少々好みからは外れているが、ちょっと味見してもよさそうなよき部下にも巡り会えた。
新たに出会った恋人達は皆、とても可愛らしい。
戦場でハーレムに入れる恋人候補を探すのも楽しい。
案外、幸せな日々だ。

(貴方は幸せですか?)

その問いに答えが来る日などないけれど。
ずっと祈っている。
幼き日に別れた運命の相手の幸福を祈っている。

<END>